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バックパッカーにおける、金の価値

長期旅行をしていると、たくさんの旅行者と出会う。国籍や年齢はバラバラで、もちろんルートだって異なる。旅行者の数だけ旅行の物語があると言ったものだ。旅行者の目的も様々で世界遺産を観光したり、有名な土産を買いに行ったり。あるいはコアな目的でその国に訪れている人だっている。

今のシーズンは長期旅行者が多い。いわゆるバックパッカーと呼ばれる旅行者ばかりだ。

私はバックパッカーが嫌いだ。

なぜなら、損をしたくない、無駄金をはたきたくない、現地の人々と同じ物価で過ごしたいという、"与えられること"しか脳にない奴らで溢れているからだ。

今回は、そんな愛しの「馬鹿ばっかー」達と接して考えた、モノの価値とは何なのかについて書いてみたい。

まずは価値はどうのようにして決まるのかについて。

価値の指標はたくさんある。需要と供給をベースに、場所・時間などがあり、あらゆる状況が加味されて対価となる値段が決まる。少しややこしいけど、お金自体の価値さえ変わる。価値における重要なポイントは流動的であるということだ。

例えば、500mlペットボトルの水。周囲に何もない砂漠のど真ん中で、喉がカラカラになった状況での水と、すぐ隣で湧き水がバシャバシャ溢れている状況での水。水の量や成分は全く同じだけど、価値が違うことは容易に理解できるはずだ。

そんな中で、多くのバックパッカー達は絶対的な値段や、物価しか見ていない。自分の置かれた立場や状況を考慮して価値を判断しない。安さこそが全て。その癖に質にうるさい。最低極まりない。経済成長を食い止めるウイルスのような奴らだ。この様な人はバックパッカーに限らず、日本に「原価厨」という別名で多く存在している。

私がバックパッカーを嫌う理由は、さらにもう一つある。

その前に、もう一つ重要なポイントについて触れておきたい。それは、価値(値段)を決めるのは販売者だけではないということ。なぜなら売買契約は購入者がその値段だけの価値があると判断して、はじめて成立するからだ。モノの価値(値段)は販売者と購入者の二者間で決められる。その取引の積み重ねで、物価という概念が生まれる。部外者が損得を評価するのはナンセンスという話だ。

そんな中でバックパッカー達は、集団ツアー客をみて鼻で笑い、他の旅行者に「それは高い。損をしている」と指摘をしている。自分はローカルプライスだと胸を張る。で?だから何なの?と思う。そんなみみっちい旅行をして本当に財産になるのかい。

フラフラと旅行しに来ておいて、金がないってアホかと思う。生産者へのリスペクトもせず、値段だけみて駄々をこねる。物価相応で過ごして、その国を知った気になる。そしてそれを周囲に自慢する。何も格好よくない。

ただ、日常生活で旅行するために倹約するのはわかる。しかし、待ちに待った旅行でも倹約し続けるのは凄く間抜けじゃないか。なんの為に今まででお金を貯めてきたんだねと問いたくなる。ケチケチするくらいなら、もう少し金を稼げよと思う。その方がよっぽど素敵じゃないか。

現地の人からしてみれば、ツアー客だろうがバックパッカーだろうが同じ観光客。あくまでも異邦人に変わりない。それはフェアな視点だと思う。しかし、バックパッカー達は同類に見られることを嫌がる。むしろ現地人と同じ土俵に立とうとする。

バックパッカー達は価値の指標を無理矢理にでも、現地人と合わせようとする。そして、その指標を聞いてもいない他の旅行者に押し付ける。

これが私がバックパッカーを嫌う一番の理由だ。

しかし、これほど綴っておいて私自身も同じバックパッカーに属する旅行をしている。同族嫌悪だ。自己嫌悪と言い換えてもいい。逃げ道を作るなら、騙されたくない、ぼったくられたくないという気持ちから、貧乏くささが滲み出ているのかもしれない。そして彼らは旅行仲間に注意喚起するついでに格安自慢をしてしまうのだろう。

でも立場はわきまえよう。良いモノやサービスにはちゃんとお金を払い、他人の売買取引に首を突っ込むべきではない。

愛しの「馬鹿ばっかー」を鏡に、自分を律して、これからも西に進み続けよう。

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