⭕日々の泡沫[うつろう日乗]7

たいていの作家は、ほぼ例外なしに、狂気や幻想を「本」によって体験する。体験した言葉は、作家の細胞の中で増殖し生命をもつことになる。書いたものを透かして読むと…作家自身が忘れていた記憶の水面下の柔らかな泥濘のような層から浮かび上がってくる。読者は、何度もそれに出会うことになる。

パリンプセプトあるいはパランプセプトと呼ばれている、文学の作用。元々の文字を消してその上に新たに文字を書いた羊皮紙から、見えなくなっていた文字が、科学的処理によって浮かび上がってくる──。
フローベール、プルースト、そしてネルヴァル。ふとしたきっかけによって記憶の古層から思い出がよみがえってくるさまをとらえた「シルヴィ」。

この作品はマルセル・プルーストをして、「『シルヴィ』のなかには、つねづね私が表現したく思っているいくつかの謎めいた思考法則が、みごとに表現されてい」るといわしめ、「自分にも、あの『シルヴィ』のような幾ページが書けたら」と嘆息させた。その評価は、ネルヴァルが「自分の画面を夢の色彩に染めあげるすべをみるけることができた」点に由来する」
プルーストによれば「純朴な絵とも見なされているこの物語が、実は、とある夢のまた夢なのだということ。」を忘れてはならない。ひとつの夢想がさらに記憶のより深い淵へと導かれていくような「シルヴィ」の展開は、プルーストをはるかに先取りして「失われた時」を探求する歩みを描き出していた。(第一章は「失われた夜」と題されている。(ウンベルト・エーコ)

じゃぁ、表層の言葉を、もとの文脈から切り離して、さらに自分の文章に編み込めなかったとき、それもまた作家の表現として[OK]と言うのなら…

こうしてはじまる。

⭕第1章◉山の上の舞踏団
       あるいは…。

足のデスマスクと浮遊する舞踏手がでてくるのはだいぶあとのこと。

さて、Kが到着したのは、ある冬の夜遅くのこと。
北陸線・武生駅は、深い雪の中に横たわっていた。瀕死になって、静かにかろうじて息をしながら風が止むのをまっていた。待っていたのか?それも分からない。春が来るまで永遠に続く深い雪。駅前のロータリーに立ってみると霧と夜の闇に包まれて、灯ひとつ見えなかった。闇は深く吹雪の匂いだけがした。

国道が前を走る、駅前のローターリーに立ってKは山の頂の方を見上げていた。アッシジなら駅から教会へのファサードが遥かに見えるのになぁ…そしたら延々と目指して歩いていけばいい。ここでは吹雪に頬を横殴ぐられて山の稜線さえ定かではない。武生では何も見えない。全部雪だ。まったくなぁ。なんで呼び出した?
――山の上に舞踏団がいる。早く見に来い。Fが手紙を寄越した。越前紙の職人になると東京での活動をあきらめて、地元武生に戻ってったブルースギターのF。くたくたの背広にゴム長を履いてセミハコを抱えてサマータイムブルースを得意にしていた。得意か?ボーカルのEの妹が『夜想』創刊号のデザインを手伝ってくれていた、そんな関係だ。
カフェ・ゴドーで待っている。12月12日。果たして何の日付だったのか。舞踏団の公演?駅にポスターぐらいあるだろう。ない。怪しいな。ゴドー? 待っても誰も何もこないということか?
吹雪は強く。駅員はもうどこかに引っ込んで人の気配も消えた。国道に出てみようか。右左をみて、さて方向音痴なKは思う。いつもの方向と逆だ。左。歩き出した。とぼとぼと。自分では山の方へと歩いているつもり。横殴りの吹雪。吹雪に息を合わせながら身体を揺らめかしていると、ぼやけた瞬きが見えた。いや見えたような気がした。引寄せられるように歩く。
暖色の灯が漏れていた。何んか、楽しそうだな。ゴドーへの道を聞こうと、おそるおそる扉を開けると、ブルースギターの音の塊が吹っ飛んできた。ギャーという漫画の吹き出しのような騒音が、Kにぶつかってきた。ここがゴドー…?か。もしかして。

『夜想』を自宅で創刊した1978年から2~3年経った頃。泊まるところがなくなったから泊めてくれと自宅の電話が鳴ったのは深夜2時。ドアの前には、もう紅龍&ひまわりシスターズのメンバーが立っていた。連れた来たのは、マネージャーのイイダ。状況劇場の名前を唐十郎に渡して小屋掛け芝居の[夜行館]を創設した笹原茂朱のスタッフ。ぞろぞろ入るともう演奏をはじめていた。お礼のつもりらしい。紅龍&ひまわりシスターズは、窓枠を響かせてそのまま朝まで爆音で演奏し、Kをはらはらさせた。マンションにいられなくなったら編集部もなくなる。EP-4の「制服・肉体・複製」みたいなカセットブックで、紅龍&ひまわりシスターズで作ってくれよと言っては、乾杯し、演奏し、手売りのカセットを差し出し、また演奏を繰返した。紅龍&ひまわりシスターズは、今は上々颱風としてメジャー活動をしている。イイダはたぶんマネジャーを続けている。はず。その時のマンションの爆音を思いだした。

背を押すような吹雪――ばさばさと雪の飛礫が窓の硝子にあたっているのが響き――それにも負けない爆音のブルースに立ち尽くすと…戸を閉めて早く入れと中から怒号がした。ゴドーは?ここだ。早く入ってくれ。寒い。近所迷惑だし。何言ってんだ近所は遠いし、吹雪で音は聞こえないぞ。12月12日。それはFのコンサートの日だった。Fはいつものようにセミハコを抱えて爆音ブルースを弾いている。まだまだ若いな。相変わらずよれよれのスーツに長靴だ。
騙したな。舞踏団じゃなくて、Fのコンサートね。思い直した。オッケイ。楽しませてもらおう。久しぶりに。

客席で酔っぱらっているガタイの良い男が手をこっちに振っている。誰だ?えっ?イイダだ。
「何でお前が…。」
「そりゃあこっちの言うことだ。何で来た?」笑ってる。
Fのことを指して「呼ばれたんだよ」
「F知り合いなのか?」
「昔からのね」
「そうか良く来た楽しんでけよ」
イイダはすぐに客席のなかに消えていった。Fが気がついて嬉しそうにこっちを見て指さした。Kは親指を立てて朗らかに応じた。
客席で三人の男が演奏そっちのけで話をしている。
毎日、男も女も裸になって、バットウ術を使っているとよ。
夜になると獣の姿になって、山を走るんだと。
時々降りては来るけど、山で修業をしているらしい。山伏もいると。どうも浮遊する技をもっているらしい。
教祖がいてよ、宙に浮かぶんだと。
踊り手が浮かぶのか?
そうだよ。
それが踊りの目的じゃないか。あたりまえだろ。
腕に火を放ってよ、その火を口から吹き上げるらしい。
らしい、らしいって噂じゃないか。
いや見た者がいるってよ。
木乃伊になって踊るらしい。
木乃伊のようになって踊れる奴がいるのか。
木乃伊は良いぞ。だけど難しい。
何言ってんだよ。

舞踏団はあるのか。木乃伊っていうことは、もしかしたら…
「そうだよ。」
いつの間にかイイダが側にいた。
「山の上に舞踏団があるというのは嘘じゃないのか?」
「なんだ、お前知らないのか?山の上に舞踏団はあるよ。柿落は三年前。先週三年目の記念公演をして…もうヨーロッパへ出たよ。」
「えっ?」
「それを見に来たんじゃないのか?取材とかで」
いや…。
「山の舞踏団の稽古場、見たいならこれが終わったら連れていってやるよ。音響と照明機材、山の舞踏団から運んできたものだから…さ。全部かりもの。山のね――」
「誰が、山の上にいるんだ。イイダ関係というと…駱駝艦のマネージャーもしてたんよな。南座公演で戸板1000枚、集めるのに奔走してたよな。駱駝艦関係?。」
「1000枚じゃないけどね…あれは凄かったな。ホントに知らないの?3年もたってるよ」
うん。
山の上の舞踏団は駱駝の室伏鴻。ちょっと離れた五太子町という山の中にいる。ここから山を二つ越えた向こう。でも武生が最寄り駅かな?みんなここから行く。」
「室伏?じゃぁアリアドーネがいるってこと?」
「そう。背火も。」
「背火って…」
「室伏鴻が新たに組んだ舞踏団。」
身体に火を放つから? 背中に火をかける?
土方さんの命名らしいよ。そんな単純じゃないと思うけどね。
ネルヴァルの「火の娘」。アリアドーネの糸?
それじゃぁ話が難しすぎるな。でもインテリの室伏ならありえるかも。
それで、火の…。火は良いとして。さっき客が、浮遊するって言っていたけど。浮遊するってそんな踊り踊ってるの?
新興宗教じゃないからなぁ、浮遊はないでしょう。室伏は土方巽の直系だから足は地だろうね。むしろ土方よりも地を掴もうとしているんじゃないの。土方さんバレーもやれる人だし、けっこうモダンだから全部が全部、地に足ではないと思う。室伏は違う。
だから伐倒して地に対峙するって、こと? 伐倒は、五体倒地から来ているじゃないの?
五体倒地、倒れるの前でしょ。伐倒は後ろに倒置するのよ。
山伏でしょ、木乃伊でしょ。
良く知ってんじゃない。
うん。一度、草月ホールで、アリアドーネの會で、中に身体に火を放った踊り手が出てきた。度肝を抜かれた。草月ホールで本火だよ。
五太子町の「北龍峡」は、このあたりでは有名だよ。そこに背火とアリアドーネの會の舞踏団がいる。柿落で室伏は箱に篭って、内から火を放った。1000人集まった。土方も玉野も見に来た。イイダは席を離れながら「お前の言う山の舞踏団に連れてってやる。全部終わったら機材を山に戻しにいくから。照明も音響も舞踏団からの借り物だ。機材車もあるから。二時間も走ればつくと、話を繰り返し、待ってってくれよ。と言い残してまた客席のどこかに消えた。

演奏が終了して、打ち上げがはじまり、一升瓶が行き交いはじめた。早く行こうぜと言いたかったが、こうなったら待つ他ない。酒は尽きることがなく、話も尽きることがなく…朝も近くなってきて、山行きは、今日は中止だなとKが気をゆるしたその矢先。――機材車に乗れとイイダが声をかけた。いつの間にか、会場の機材は片づけられ出発の準備が整っていた。寝てたのかK…「田舎医者」のように一瞬に目的地までつけば良いのだが、劇場は遥か彼方のここよりも酷く吹雪いている山の頂らしい。こんな雪はこのあたりじゃ、序の口。チェーン捲いているし大丈夫、大丈夫。何か言い聞かせているみたいで、怖いな。それよりも一升酒して運転って――崖から堕ちたりするなよ。落ちたらしまいだ。だけれども人生そんなこともある。
Kはバンに乗り込んで踞った。新雪の重いボタ雪の積もり上がる雪の道を機材車はどこどこと走り続けてる。いつまでたっても上がり下がりの多い行程だ。2時間走っても着く気配はなく勾配はどんどん急になっていく。
過度の緊張が突如、Kを襲った。身体が微かに震えている。山の上の舞踏団までたどり着けるだろうか。揺れは段々激しくなり、船のローリングのようになった。揺られている裡に酔ってきた。熱があるみたいだ。酒を飲まされた?いや違う。目が回る。青を通り越して白い顔をしているのが自分でも分かる。ぐるぐる風景が廻っているようだった。窓から外を見ると山の端に烏の巨大な羽のような暗い空、東北のような…いやここは東北じゃない…。けどな。うっ。
車の中で吐いてもらっては困ります。機材が積んである。汚してもらっちゃ。降りてもらえますか。
恐怖を感じた。こんなとこでおろされたら大変だ。
我慢するから乗せておいてくれよ。

気づかれないように頭をそっと動かして、当たりをさぐるといつの間にかイイダはいない。出発したときのメンバーは誰もいない。ドライバーは白装束の男に代わっていた。頭もすっぽり白頭巾で覆っている。
「イイダは?」
「イイダさんから引きついで運転してます。イイダかなり酔っぱらってましたからね。危ないっすよ。さすがに。」
君たちは――
大丈夫ですよ。ちゃんと案内しますよ。
背火?
うっ。また吐き気を催した。
と、Kは、二人の男に左右から腕をとられ、宙に浮くように持ち上げられ、車の外に連れ出された。無言のまま力任せにだ。
お前ら、稽古場まで歩いておつれして後からこい。このままだとスタックしてしまう。俺たちは先に行く。

さあ歩いて、歩いて。死んじゃいますよ。二人に手をとられ引きずられて。Kは腕にしがみついてた。悪いなもう少しだから歩いて来てくれ。お前の回復を待っていると車が雪に埋もれて動けなくなる。
稽古場らしき建物はうっすら見えているが、それが稽古場なのかどうか。たどり着けるか俺。ふらふらしているぞ。見えているのに道は、長かった。
もう歩けないよ。
向こうから二人の男が降りてきた。二人とも白塗りの暗黒舞踏手だった。吹雪きなのに裸? 白に微妙に鉛の色をさしていた。筋肉質のほれぼれするガタイ。
「稽古場へ。おつれして」
このひどい雪道にもかかわらず、驚くほどしっかりとした足取りで、二人は呼吸のあっている歩調で、足を前に前に出していた。アスベスト館じゃないないな…駱駝?やっぱり背火?Kの頭はつまらぬことを考えていた。
よけいな口を閉ざしてやろうか。と、二人が立ち止まった。
何も言ってないだろ。殴られるかもと身をすくめた瞬間。
「稽古場です」
「稽古場だって。雪しかないじゃないか。」
「足元に気をつけてください。滑りますからね。板は凍っていますから。」
今度は、女性舞踏手二人が代って雪舞台から降りてきて、Kを舞台に引きずりあげた。ロープからおちた北斗を神取がリングに上げるような素早さと乱暴さで。

◉[伐倒]の話。

伐倒。やってみましょうか。
いきなり?何言ってんだよ。伐倒だって?
イイダさんが教えてやってくれと言っていましたよ。
太い木が伐採されてのけ反って倒れるように倒れるんだ。膝を折らないで。
木に膝があるかよ。
いいかから木になれ、倒れろ。
白樺の木に囲まれた雪のステージによろよろと立った。
立って。きちんと立って。棒のように立って。一瞬にして力を入れて身体を固くして、顎は引いておかないと脳震盪起こしますよ。そのまま後ろへ棒状になって。膝まげたら駄目だよ。屍体になって倒れる。
できないよ。
雪だから大丈夫。
何言ってんだ。凍ってるだろ。怪我するよ。
びびりですね。フォームを固めて倒れれば大丈夫。天地をエッジで切り裂くそんな気持ちで…。顎引いて。緊張しちゃ駄目。棒になる、木になる、屍体になるんだ。大丈夫、ヒカシューの巻上でも上手にやってますよ。
野音の?あれ?全員でもんどり打ってバーンって後ろに倒れたのね。かっこよかったね。
そうです技術でできるんです。
もちろん俺が倒れるのは技術ではなくて、気持ちですけどね。土方を倒すためにね。屍体じゃなく木乃伊になるんだけどね。だけどね、彼の頂点はもう終わっている。それは悲しい。嗣ぐのは失礼だ。殺して越えないと。
…(なんか理屈が多いな…)
「どうしたんだね。そのまま後ろに倒れれば良いんだよ。俺はこうしてもできる。男は、手を大きく拡げ胸襟を開き、大駱駝のポーズを大物ぷりをみせてから、のけ反って倒れた。
あ、こいつ偽物だな。Kは瞬間思った。
室伏ならもっと…なんというか枯れているというか…屍体になっているというか。手を拡げたら楽じゃないか。ちんぴらが…。Kは追いつめられているのについ口走った。
雪の中から男はむくりと立ち上がって、ちんぴらじゃないですよ。荒井ですよ。男は白い頭巾を脱いだ。Kさんぼろぼろじゃないですか。
やっぱりな。室伏と違うと思ったよ。
ようやく俺たちのところにきましたねKさん。歓迎しますよ。土方さんとか笠井さんとか田中泯とかにばかり現を抜かしてで、泉勝志とか折田克子とか、最近は勅使川原三郎とかに、でも来てくれたので嬉しいですよ。少しは俺も見て下さいよ。まぁ今日は許しますよ。でもよく分かりましたね。僕が室伏ではないと。
大船の廃モノレールのレールの上で手を拡げたポーズと同じだからな。麿赤児にほど遠い。鎌倉の呑気さがちょっと伺える。
何言ってんすか。
鎌倉のクリエーターは、自分も含め、最期のところに弱い。縁でこらえて翔ぶのが一流なんだけど、そこで腰砕けになる。そして逃げ出す。いざ鎌倉の逆。半ちく。お前らも俺も。とことんの修羅場に弱い。
言うなよ。それ以上。荒井は、一歩こちらに踏み込んで来て、Kの胸を指で突いた。ばさーん。Kはへなへなと後ろにもんどり打った。
下手だなぁ。だれよりも下手だな。今まで見た中で一番駄目だな。声高に言った。それを見て、周りで見ていた舞踏手たちは、手を叩いて喜んだ。声を立てて笑った。
Kは少しだけ嬉しかった。なんだか分からずに。俺は絶対舞台に立たないんだよ。だからこれで良いんだよ。立てばこういうことだ。熱っぽい身体がさらに熱くなった。起された身体がくたくたと二人の男の中に倒れた。
伐倒どころか、まったく使い物にならん。捨ててきましょうか。
そうしてくれ。
どうにでもしてくれ。Kは頭ごと白くなった。

鉛色の夢から目覚めると、Kは汗びっしょりでソファに寝ていた。ここはどこだ?いきなり起きて恥ずかしいことにならないように、どこで寝たのか思いだしてから目を開けようとしたが、だめだ、思いだせない。薄目をあけて様子を窺ったがどこだか分からない。手足を動かしてみた。夢の中ではないようだ。手の先が冷たい。
雪で凍った窓を手でぬぐうと、見たことのない家並みの窓が閉ざされたまま静まり返っていた。朝、早いのかな。窓から誰かがこちらを見ていた。銀色の身体をしていた。山の上の舞踏団かゴドーか分からないまま、Kは再び眠りに堕ちていった。室伏鴻はヨーロッパツアーにでています。在廊のときにいらしてください。歓迎しますよ、という声だけが身体のどこかに残っている。


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