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建築学科を出て違う分野に進むこと

山です。

書きたいことはいろいろあるのですが途中で止まっていたり画像用意したりで、下書きばかりが増えていく一方です。難しいですね。

さて、最近知り合いを通じて大学院生から進路の相談を受けました。
内容は、いま大学で建築を専攻しているけれど、違う分野での就職を考えているというものです。正直、就活らしい就活の経験がないので相談してくれた彼が満足いくようなことは言えなかったなあとその後落ち込んだのですが、話を振り返るとこれは自分が学生時代に気にしていたことでもあると感じました。

悩みのポイントは大きく次のふたつです。

1. どうすれば違う分野に行けるの?
2. 学生時代にやってきたことは無駄になってしまうの?

今回はこれらついて、自分の経験も交えて少し書いておこうと思います。


1. どうすれば違う分野に行けるの?

僕は学部、大学院と建築を学んできましたが、今は書籍のデザインをしています。これは自分で望んでその道を選んだのですが、進路を意識したのは比較的遅く、大学院に入ってからでした。
学部のときは設計課題も力を入れていたしコンペにも参加したりでいわゆる建築ガチ勢側だったと思います。この頃は、自分は設計の道に進むんだ、ということに全く疑いを持っていませんでした。

転機となったのは大学院進学後に研究室で本をつくったことでした。
僕が所属していたのは建築理論系の研究室で、そこでは過去の建築雑誌の研究や記事執筆などの仕事が主でした。必然的に最終成果物を紙媒体でまとめることも多くなり、せっかくだから見栄え良くつくろうと装丁やデザインについて調べていくうちにどっぷりハマってしまったのです。
そこから、わりと素直にこれを仕事にしたいと思い、身近なところからかっこいい本やチラシを収集するようになりました。

で、いざデザインの道に進もうと思うのですが、どうすればいいのかまったくわかりません。大学院まで進んでいると、まわりはアトリエやゼネコン、組織事務所への就職など、はっきりとした目標を持って動いていたし、僕のように行きたい業界がやっと決まった、というのはもはや周回遅れ状態でした。デザイン系への就職ノウハウも乏しかったため、ひとまず落ち着いて戦略を練ることにしました。

まともに考えて、デザイン系・美術系の学校を出た人たちと正攻法で就活をやり合うのは正直不利だなと思うわけです。
技術や知識についてももちろんですが、それ以前にデザイン業界への明確な目的意識を持ったポートフォリオに比べると、僕の手持ちの武器はちょっと照準がズレていました。それまで建築系に進むことに疑問を抱いていなかったわけですから、当然設計課題やコンペでの制作もすべて建築系就活用のフォーマットになっていたのです。自分が面接官でこれを見せられても、「なんで建築やらないの?」と一蹴するでしょう。

なので、公に募集をかけている企業ではなく自分が好きな本をつくっている個人事務所(建築で言うアトリエ系事務所)に目標を絞り、そこに飛び込みで、まずは話を聞いてもらおうと考えました。

そのためには話をするためのモノが必要です。しかし、修士2年の夏過ぎから新たにデザイン系に向けての作品を(しかも完全な自主制作で)準備するのは現実的に不可能でした。修論や研究室の仕事に追われていたのもありますし、付け焼き刃的なものを持っていくのは失礼だろうという気持ちが強くあったのです。そして生意気ですが、付け焼き刃でどうにかなるような場所には行きたくないとも思っていました。

そこで、まずポートフォリオについてはこれまでの素材をそのままに、見せ方を変えることにしました。作品を解説することを目的にしていた形式をやめ、「建築家を目指していたひとりの学生の記録」として読み物主体の本となるようにしたのです。
そのなかで、自分なりに編集やレイアウトを工夫して、「こういうことがしたいんです」と言えるようなものであれば、たとえ出来が苦しいものでも門前払いはされないだろうと目論みました。

これは、見せた人からは意外と好意的に受け取ってもらえました。文章主体ではインパクトが弱いのかなと危惧していたのですが、結果だけでなく課題に対して考えた経緯などを書いたおかげで院試のときにつくったポートフォリオより、むしろ建築についての話ができました。また、文字組みや書体の選び方についても指摘をもらえたり、ひとまずは意図がちゃんと伝わったのかなと安心しました。

もうひとつ、やってみて効果があったのは「自分はこの道に進みたい」と周囲に宣言してしまうことです。あと半年で卒業しなきゃいけない、という状況で、今更企業について調べたり、黙々とポートフォリオの精度を上げることは正直あまり意味がないだろうと思ったし、何よりそんな時間や心の余裕はありませんでした。
なのでゼミの先生や会った人に「僕は本をつくりたいです」と、とりあえず言ってしまって「こいつはこういうヤツ」と認識してもらおうと考えました。といってもこれは就職するためではなく自身の退路を断つ意味のほうが大きかったように思います。こっちがダメだったから建築に戻る、というような保険をかけた状態は言葉端や態度に(自分は特に)出てしまうと思ったので自己暗示のように言い続けました。
そうすると、明らかに自分の行動が変わりました。本来の僕は意識と行動力が低いと自覚しています。前のめりに何にでも挑戦する人は苦手だなあとすら思っていたのですが、このときばかりは「口で言っているだけと思われるのが嫌」という負のエネルギーが、ダメ元で会いたい人に連絡を取るひと押しにもなりました。

結果的にはこのことを聞いた知人の知人から、行きたかった事務所を紹介してもらい、今もそこに在籍しています。
これについては完全に運ですが、外に向けて発信していなかったらその運も巡ってこなかっただろうと思うと、とりあえずの宣言は無駄ではなかったと思います。


2. 学生時代にやってきたことは無駄になってしまうの?

このことについては僕は大いに悩みました。
学部時代は真剣に建築設計を志していた訳ですし、院まで進んだ6年間を棒に振ることにはならないか、学費を援助してくれている両親を裏切ることにはならないか、デザインをやりたいというのは一時の熱に浮かされている状態なのではないかと自問自答を繰り返しました。

結論から言ってしまうと現状、無駄にはなっていません。
ただ、それは製図の技術が活かせるとか、CGができるから、というような即効性のあるものではありません。ただ、ふとしたときに「ああ、ここはつながっているんだな」と感じるようなささやかなことです。

僕個人の体験でいうと、院生時代にわりと真面目に建築史をやっていたおかげで、デザイン史の理解は早かったと思います。
例えば「バウハウス」や「モダニズム」のように、建築史にもデザイン史にも出てくる(けれど語られ方が少し異なる)キーワードを梃子にすることで、並走する2つの歴史を立体的に把握することができます。
また、「アルベルティ」がデザイン界では書体制作者として認知されていることや「遠藤新」がデザイナーの「恩地孝四郎」と近接していたことなど、一方の歴史を辿るだけではわからなかった側面はとても興味深いものでした。

こと「建築」に限って言えば、他のいろいろな領域と接続しやすい分野なのだろうと思います。
歴史的に見て文学、科学、芸術などが未分化な状態の方が長かったはずですし「建築学生」の持っている専門性がそのなかでどれほど確立しているかというと、進路を決定づけるほど強固なものではないとも思うのです。

だからみんな建築以外に行こう! とは言いません。というか、よほど強く違う分野を目指していない限りは建築学科を出たのなら建築の道に進んでほしいと思っています。僕は自分自身がそこまで建築の世界から離れてしまったとは感じていませんが、それでも建築設計の本流から逸れてしまったことへの自覚と寂しさは少なからずあります。
ただ、ある日突然建築以外が好きになってどうしようもなくなってしまったという人には、思っているより建築は寛容だよと伝えたいと思います。


最後にもう一点、デザイン系に進む際に助けられたのは、自分がそれまで「建築にちゃんと取り組んできたということ」でした。
急な方向転換は、ともすれば建築設計からの逃避と捉えられかねないものです。「建築は無理でもデザインならできると思った?」なんて思われてしまうと絶体絶命だと内心相当怖かったのですが、図面や模型など、どうにかポートフォリオに載せられるものを残していた過去の自分には感謝しかありません。

いま、進路に揺らいでいる人に間違いなく言えることは「迷っているならとりあえず目の前のことをちゃんとやっとこう」これに尽きます。


ありがとうございます。
山でした。

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