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スピッツに救われた日

17歳の夏。何もかも上手くいかず、死ぬのは怖いけど生きていたくない、消えてしまいたい、でも私がここにいたというしるしはこの世界に残したい。そんな矛盾した思いでがんじがらめになっていた頃、「今の君はスピッツの猫になりたいみたいだね。ぜひ聞いてみるといい」とすすめてくれた人がいた。

これが私とスピッツとの出会いだった。こんな鬱屈した気持ちを持って生きているのは私だけじゃない。「消えないように傷つけてあげるよ」その歌詞に救われたような気がした。

それから十年と少し。20代も終わりにさしかかった2023年。いつの間にか私はまた自分のバランスを崩していた。頑張ってもトラブルだらけの仕事で疲れ果て、かなえたい夢があるのに行動できない自分へのいらだちや、家庭を持ち始めた同年代と自分を比べ、何者にもなれていないことへの焦燥感で、毎日毎日消えたいと思うようになってしまっていた。
何か、生きるための目標や楽しみが欲しい。その日までは頑張って行きようと思える道しるべを。それを模索し足を引きずって日々はいずりまわるような生活を送っていた。
そんなとき、スピッツの最新アルバムの発売とそれをひっさげたライブツアーが発表された。これだと思った。アルバム発売の日までは生きよう、ライブの日までは死ねない。まさに、私にとっての”赤い星”だった。

延期による日程変更で半年ほど遅れて、その日はついにやってきた。仕事を午前中で切り上げて会場に向かう。なぜか気持ちは落ち着いていた。延期が発表された日の夜は悲しくて泣いていたから、当日はきっと興奮したり、どきどきするのかと思っていたので驚いた。私の気持ちは平坦そのもので、県をまたぐ移動のはずなのに、いつもの帰り道、私の向かうべき場所へ向かっているような感覚だった。

スモークがたかれ、白くもやのかかる開場で私が割り当てられたのは、かなり前寄りのど真ん中。一列前が空席で、かなり視界が開けていた。座席が傾斜しているおかげで、立ち上がるとちょうどステージと同じ目線になる。
そのせいかもしれない。一曲目が始まり幕が下りたとき、ステージに立つ彼らがとても身近に感じられた。ああそうか、スピッツのみんなも私も今ここに生きている人間なんだ。同じ人なんだ。キラキラと輝くバックライトに照らされた彼らが急にリアリティのあるものに感じられた。

ギターに反射して壁にうつるキラキラとした光。スポットライトが真っ直ぐと照らす光の道。ライトにゆらゆらと映る煙の海。足の裏から体の中に響くバスドラムとベースの音。開場を渡るアルペジオと、まっすぐ耳に届く澄んだ歌声。
気がついたら手をあげ、体をゆすり、普段ずっと頭の中に居座るぐちゃぐちゃとした悩みや考え事は何もかも忘れ去っていた。あの場所、あの空間を作り上げる一人になって、音の波に乗っていた。

最後にボーカル草野マサムネが「この空間は、みなさんひとりひとりがいなければできなかったと思います。皆さん、生まれてきてくれてありがとうございます」と述べた。私も生まれてきてよかった。ここに立てて、ここにいられてよかった。何者にもなれていないけど、何もなせていないけど、ここにいてよかったんだ。

もう少し生きてみよう。何者にもなれないかもしれないけれど、やれるだけやってみよう。帰り道、自宅へと戻る電車の中で思った。そしてまた、スピッツに会いに行こう。


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