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私と牡蠣

  牡蠣は私の唯一最大の敵である。

 元々は大の好物であった。網の上で焼き、少し火の通ったところで食べる牡蠣はなんとも言えない塩味で、口の中でとろけ私へ幸福を運んでくれた。新鮮な生牡蠣は所謂「海のミルク」。一度噛むと広がるクリーミーな味わい。缶の中で蒸し焼きにしたものは言うまでもない。鍋にするのもいい。冬になり、おいしい季節になると、このチャンスを逃すまいと手を伸ばし食べたものだった。

 それがなぜ敵へと変わってしまったのか。あれは旅行先で牡蠣のバター焼きを食べた夜のことだった。真夜中、ホテルのベッドで横になったとき、なんとも言えない胸への違和感で目が覚めた。だんだんと痛くなる下腹部。最初は腹を下したのだと思った。慌ててトイレに駆け込むも何もでてこない。胸の違和感は胸焼けと吐き気に変わった。上からでも下からでも、何か出してしまえば楽になるのではないかと必死で戦ったが結果むなしく何も出ることはなかった。仕方なくベッドに横たわり、苦しみに耐えながら回復を祈りながら朝を待った。うとうとしたところで夜が明けたのだが、次の日には嘘みたいに何の症状もなくなった。たまたまだったのか?運が悪かっただけか?とその場で考えても答えが出ず、まあ回復したからいいかと、その夜のことは忘れることにした。

 しかし、それからというもの、牡蠣を食べると一定の確率で謎の胸焼けを起こすようになった。食べた一晩だけ吐き気と腹痛に苦しみ次の朝には治まる。普通の食物アレルギーとは違う症状だが、三回に一回、二回に一回だった症状が、必ず起こるようになってから私は牡蠣を食べるのをやめた。おいしさを知っていながら食べることができないとは、なんと苦しいものであろうか。

 実家に帰ったある日、生牡蠣が安かったからと大量に買ってきた晩。牡蠣パーティが開かれた。私は目の前にこんもり盛り付けられた生牡蠣と見つめ合った。おいしいおいしいというほかの家族が手を伸ばすのを見ながら、さも私も食べていますよという顔をして座っていた。

 みんながあまりにおいしいと言うものだから、「一つだけなら、ほんの小さいものを一つだけなら大丈夫なんじゃない?」という悪魔のささやきにあらがうことができなくなった。皿に残った小さなそれを箸でつかみ一口。久しぶりに食べたそれは、やっぱり私に幸せを感じさせ、天にも登るようなおいしさだった。ゆっくりと味わって飲み込んだそのたった数分後、やっぱり私の胸はうずきだした。

 もう二度と牡蠣は食べない。やっぱり牡蠣は私の敵である。

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