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やる気のない理髪店(2024.03.05)

帰り道、今日はやたら車が込んでいた。しょっちゅう渋滞に捕まって車がなかなか進まない。

そうやって渋滞の中であちこち見ていると、国道沿いの理髪店の窓際、ソファにふんぞり返っている人がいるので、「客かな?」と思ったけどどうやら他に客もいない様子で、どうも店主のように思われる。

外は雨なのでいつもよりだいぶ暗く、店内は煌々と明かりが点いているのでその様子は外に丸見えだった。店外に設置された電光掲示板が営業時間やサービス内容を伝えているけど壊れているみたいで一部文字が表示されていないし、多分理髪店とは全然関係ない目的で使われるであろう汚い自転車が店の入り口を入ってすぐのところに立てかけられていて、明らかに客にとって邪魔だ。

ソファにだらーっふんぞり返っている店主の頭髪は薄く、お世辞にも身なりに気を遣っているとは思えない。店内の方を向いているので表情までは分からないが、たぶん弛緩しきった顔をしていると思う。

車列が全然進まないので、私はその店主(らしき人)がどういう人なのか想像してみた。

店主は、頭上に重くのしかかる、何層もの空気の層の重みをその薄い頭髪や頭皮につぶさに感じている。押しつぶされるようなその重みに毎日うんざりしている。

店主にとってこの地上はとても息苦しくて、過度な圧力を感じる地獄の底だ。嫌な臭いが立ち込めていて、空気は肺に入れると焼けるような感覚がある。煙草の煙はすぐに汚い空気の中に同化して見えなくなってしまう。

それにしても日々薄くなる頭髪が店主は悩みの種で、どうにかできんもんかと考えた挙句、やたら頻繁に髪を切りにやってくる男の頭髪を頂戴して自作のカツラを作る事を思いついた。

男は墨汁をたっぷりつけた筆みたいに黒々として豊かな頭髪を誇っていて、店主はその膨大な毛の束にざくざくと鋏を入れるのだが、いつも手持ちの理髪用の鋏では手に負えなくなってしまう。一度などは庭木の剪定に使う鋏を使った事があるが、さすがに失礼だと思ってやめた。

その男の豊かでコシがある黒々とした頭髪を使えばあっという間にカツラの一つや二つできるだろうと男は目論んだ。大丈夫。男はひと月に三度は来店する。そして尚都合が良い事に、男はこれまで一度も口を聞いたことがない。下手に会話をしてしまって、その男がどこに住んでいてどんな趣味・趣向があって、どんな事に不満を持っているかなど、その男の人となりを知ってしまうと、その頭髪を拝借するのに抵抗があるが、全然素性も知らない男であればいくらか容易であろうと考えたのだった。

しかし、男は待てど暮らせど来店しなかった。カツラの制作を決意してから試行錯誤を繰り返し、カツラはようやく5割がた完成していたが、頭髪がまだまだ足りない。こんな事ならカットした頭髪をもっととってておけば良かったと後悔したが、他の人間の頭髪を使うのもなんだか気持ち悪いし、よく分からないけどポリシーが許さない。

そんなわけであの黒々とした頭髪の男の来店を今日も待っているが、とんと来る気配がないので、店主はすっかりやる気をなくしてソファにふんぞり返っている。

そんな事を考えながら車をえっちらおっちら進めていた。すると橋を渡った次の交差点で、レイザーラモンHGみたいなサングラスで細マッチョな男(全身デニム)がそのへんを走るタクシーでもなんでもない車に向かってやたらと手を上げているのを見かけたので、その男がどういう男かまた想像してみたが、もう書かない。

結局家に着いたのはいつもより20分も遅い時間だった。なんであんなに車が混んでいたのかよく分からないが、渋滞は本当にうんざりするなぁと思う。

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