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ゆっくりした身体と、ゆっくりした思考。


楽しいから笑うのか、笑ったから楽しくなるのか。

有名な問いだと思いますが、人間の感情と身体の関係性を考える上ではとってもシンプルかつ効果的な問いですよね。


僕は歌ったりお芝居をしたりを職業にしているため、たぶん一般的な方よりも感情と身体のことを長く考える人生を送っているわけですが、その上でのいま時点での暫定解として

楽しいから笑うというのも確かにあると思うけど、僕らが想像している以上に「笑うから楽しい」という、つまり、身体行動が感情を左右する要素は強い。

というのが自分の中で説得力を持っています。


話は変わりますが、このあいだ群馬県の渋川にミュージカルのワークショップ的なことをしにいったときにこんなことがありました。

参加者全員がほぼ歌える、音頭のような曲があったんですね。盆踊りのときに流れてるような、ドンドンドン・ドドンがドン、みたいな曲です。

みんなで輪になって踊るというのはそれだけで楽しい体験ですし、その曲の振り付けがピョンピョン飛び跳ねるような部分があったのも関係してか、歌もなんだか陽気な明るい感じのアウトプットになってました。

それだけでも充分に素晴らしかったのですが、じつはその曲にはもう少し深い意味合いがあるんじゃないかなと僕は考えていたので、いくつかの変わった歌い方を提案してみたのでした。

まずは、振り付けを一旦おいておきましょう。その上で、ライブのオーディエンスのように、両手を上にあげてそれを左右に揺らしながら歌ってみてください。

さらにこのルールは変えず、3回歌ってみる間に「手を揺らす速度」を変えるように指示しました。

1回目は、いち・に!いち・に!という、4拍子の一拍ずつで手を揺らす、元の振り付けのノリノリ感に近い速度。

2回目は、いーち、にーい、さーん、しーい!という、4拍子の2拍ずつで手を揺らす、ちょっとゆったりした速度。

3回目は、いーーーち、にーーーい、という、4拍子の4拍を使って手を揺らす、とってもゆったりの速度。

3回目になるにつれて、手を動かす速度がだんだんと遅くなっていくような設定です。


これをやると面白いことに、歌の感じもどんどん変わっていきます。

僕は「手を揺らす速度」を変える指示しかしていませんが、1回目はピョンピョンとした躍動感のある歌い方だったのに、2回目3回目となるにつれて、歌自体のフレーズが大らかになり、飛び跳ねる感じというよりは流れるような歌い方に変化していきました。

当然、歌っている曲のメロディや歌詞は変わっていません。伴奏のテンポも変わっていません。なのに、歌い方が変わりました。意図的に変化させたのは、手を揺らす速度だけです。


この実験がうまくいったので僕はもうひとつだけ、身体を動かす速度のコントロールを難しくしてみました。

足を肩幅にひらいて、リラックスして立ってみましょう。そして好きな方の手を胸の前にセットして手のひらを開き、そこからカラダの前方へとゆっくり腕を伸ばしていきましょう。

この、腕を伸ばす「ゆっくり」は、限りなくゆっくりであって、パッと見では動いてないように見えるくらい。でも、じっくりと、確実に前に向かって伸びていくような動きです。そのまま、同じ曲を歌ってみましょう。

これが僕の提案でした。

果たして、その動きとともに歌ってみるとどうなるか。

不思議と、自然に、ピンとした緊張感のようなものが歌の中に生まれてきました。フレーズはより滑らかになり、デコボコとした音程の上がり下がりのアクセントは削りとられて、大河の流れのような大らかな落ち着いた歌い方に変わったのです。

それは控えめに言っても、素晴らしい変化でした。

盆踊りはそもそも鎮魂の儀式です。そこで歌われる歌は、祝祭的な楽しい雰囲気もありますが、その文化的背景には死を思ったり、もう会えなくなった大切な人の存在を悼んだり、先祖からの脈々たる命のリレーの末に自分が存在しているという事実に思いを馳せたりする営みが織り込まれているはずです。

そういう、なんともいえない厳粛で、それでいて湿っぽくない緊張感が、身体を動かす速度を変えることによって自ずと生まれたのでした。


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現代社会の、特に人口が密集している都市部で生活をしていると、身体の動きはせかせかと慌ただしいものになりがちです。

歩くスピードも早ければ、手を動かす速度も速い。朝の電車に乗り込もうとする人々の動きの素早さにはいつも驚きますし、コンビニの店員さんの品物の袋詰めの速度なんかも田舎とはぜんぜん違います。

それに伴って、さまざまな判断や思考も早くって、それ自体は悪いことではないんだろうけど、人間一人に脳みそはひとつしかないわけなので、早い判断や思考にチューンナップされた脳みそではゆったりした思考や大らかな判断というのはできなくなってくるのだと思います。

すべての人がゆったり大らかに物を考える必要はありませんが、物事の健やかさを担保している要素は「バランス」だと僕は考えているので、ひとりの人間のなかでも「早い思考」と「遅い思考」が両立するといいんじゃないかなと思うのです。


それは世間も気づいているらしく、スローライフとかスローフードとか、旅行に行ってのんびりする時間をすごすとか、そういうトピックが定期的に流行になりますよね。


僕としては、ゆったりした遅い思考を手に入れるためには、ゆったりとした遅い動きを日常の中に取り入れてみるのがいいんじゃないかなと思います。

そういう意味でいうと、太極拳とかフラダンスとか、あるいはヨガといった運動なんかも、日常の中に「意義を以って」ゆったりとした動きを習慣的に取り入れられる良い方法なんだなと感心します。昔の人たちの知恵はすごい。

僕はどちらかというと、演劇原理主義みたいなところがあるので(笑)、もうちょっと抽象的にというか、フィジカルシアター的にゆったりした動きをわざとしてみるような瞬間が、日常生活でもあります。

東京の街中をじっくりとした歩調で歩いてみるとかね。なにか物を取ろうとする時にできるかぎりゆっくり取ってみるとかね。


ここまで書いてみて気づきましたが、茶道のシステムなんかも日常生活にゆったりとした身体の動きを取り込むのにかなり有効ですし、日舞も微妙な速度の身体操作をその踊りの根幹にしているところがありますから、日本文化というのはかなり「ゆっくり」との親和性があるのかもしれません。


情報も、移動のスピードも、めまぐるしく早い現代ですから、自分の身体ぐらいは意識的に「ゆったり」使えるようなチャンネルを持っておくのがいいですよ。


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