音のかたち、と、雄弁な余白。
僕は歌うことが好きだけど、あの人のようには歌えない。
僕は表現することが好きだけど、あの人のようには表現できない。
世の中を「天才」と「凡人」のふたつに分けたとしたら、あの人は間違いなく「天才」であって、僕は疑うこともなく「凡人」の側に入る。そう思う。
でも僕は知っている。
あの人の「天才性」はそれこそ天賦のものだけど、それ以上に日々の努力をめちゃめちゃ積み上げている、ということを。
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僕は音楽が好きだ。歌うことが好きだし、「演奏」というかたちで音が奏でられる瞬間に立ち会うことも好きだ。
優れた演奏のなかには、そこに産み出されているのは「音」であるはずなのに、空間に対して「テクスチャ」が生じる類いのものがある。昨日目撃した演奏は、まさにそれだった。
声のひとすじが、空間の重力バランスを変える。
ときに「しなり」となり、ときに「うねり」となり。あるいは冷たい金属のような硬さや、パラパラとした軽やかさや、大空の高いところをまっすぐに飛んでいく渡り鳥のような迷いのなさを纏った声が発せられる。
それは「音」といわれて僕らがイメージするものよりも、遥かに多くの情報量を湛えている。
「声」がすでに、質量を持つ。
彫刻家にとっての大理石や、画家にとっての油絵の具のように、あの人の「声」は、あの人の内側にあるなにかを表現するための、質量のある媒体となる。その「声」には手触りがあり、かたちがあり、色がある。
けれど、音は音だ。じっさいにそこに質量が付与されているわけではない。
だから、その「特殊な声」は音として、会場にいるすべての人に平等に降り注ぐ。
美しい木目のホールの、その木の命さえもすべてを楽器にして、あの人の声は座席に座るすべての人の元に届く。ときには天井から弧を描いて。ときにはステージの中心からレーザービームのように。
今回の編成は、木をその材料の基盤とした楽器のみで構成されていた。
ピアノ、クラリネット、チェロ。
もちろんどれも幅広い音域を持っているが、どちらかといえば、中低音に豊かな倍音を持つタイプの楽器だ。
そして、その中心で歌を歌うあの人の声は、きらびやかな高い倍音をたくさん持っている。
なんと絶妙な編成なのだろう。
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他の人はどう思っているかわからない。
けれど、ステージ上や舞台裏で、あの人の歌をつぶさに観察してきた僕とすれば、あの人の声は「パワフル」というよりも「繊細」であると感じる。
確かにパフォーマンスとその身体から発せられるエネルギーは「パワフル」だけど、声帯や身体の筋肉は柔らかく、しなやかで、組成が細やかな印象がある。
その喉はたしかに「強靭」ではあるけれど、日々の注意深いメンテナンスによってそのコンディションは保たれているし、発声のウォーミングアップにこっそり聞き耳を立ててみても、やはりその手順は「繊細」な作業の積み重ねによって構成されている。
彼のパーフォーマンスの「エネルギー」はエネルギッシュなロックサウンドとも相性がいいのは間違いのないことだけど、その声の、オリジナルな「繊細さ」はまさに、今回のようなアコースティックな編成との親和性がものすごく高いと、僕は思う。
(だって、そうだったじゃないですか。「見上げてごらん夜の星を」の最後のひと声が作り上げた空気感と、それを壊さないように寄り添ったクラリネットとチェロの音の発音の、あの静謐さ。モーツァルトのアダージョ楽章の終止音に匹敵する美しさだった。)
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ところで、アコースティックな編成というのは、どうにもリズムの躍動に不自由することが多い。
ドラムとかパーカッションといった、いわゆる「リズム」を専門に担当する楽器がいないからだ。
ピアノで一所懸命刻みを入れたり、チェロが懸命にリズムを足したりしても、ドラムが入っている爽快感に到達することは稀だ。
でも、昨日は、間違いなくそこに「リズム」があった。
全編を通して、編成の長所を生かした(白玉多めの)素晴らしいアレンジだったのだけど、でも、でもそこにはリズムがあった。必要であればかならずそこには「16分音符」のビートがあった。
そのビートは明確な音にはなっていないが、確実にそこにあった。
それは、あの人の内側から発せられるビートだった、ように思う。
もう、なんというか、ここまでくると謎である。そこにないはずのものが聞こえるのだから。限りなく余白を生かした水墨画に、色彩豊かな自然の風景が見える、ぐらいの偉業だと思う。
そして、その、ひとりのシンガーの身体から生み出されるビートを共有し、限りなく少ない音数のなかにありとあらゆる音楽的風景を編み込んだアンサンブルを聞かせてくださった、ミュージシャンメンバーにも心からの敬意をはらう。本当にすごい。
昨日の演奏を聴きながらふと、「次は弦楽カルテットとの共演を聴いてみたいな」と思いました。
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昨日は、中川晃教さんのコンサートにいってきました。
紀尾井ホールは、豊かで幸せな音楽の時間に満ちていました。
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