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「ヤマガヒ」を終えて


日々の過ぎるのはあっという間で、東京にもどってきてからもう8日が経ちました。

途中から合流した「天保十二年のシェイクスピア」の現場ははじめ、緊張の連続だったのですが、山梨での日々とはまた違った種類の良いクリエイションの雰囲気が充満していてとっても楽しいです。

本当はもうすこし早く振り返りをしたかったのですが、なんだかんだとこのタイミングになりました。

あらためて、「ヤマガヒ」終演のご報告とお礼と、感じたことや考えたことのいろいろを綴ってみたいと思います。


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というわけで先日12月22日に、創作音楽劇「ヤマガヒ〜とうとう〜」という作品が大千穐楽を迎えました。これで、3年余りのプロジェクトにひとまずの区切りがついたことになります。

どこから話せばいいのかわからないくらいに、このプロジェクトがスタートした経緯は複雑に絡み合っています。

公演を主催してくださったYCC県民文化ホール(当時は「コラニー文化ホール」)の事業部の尾沢さんに、中原和樹を紹介したこと。

その前に山梨の舞台芸術家を集めて「シンデレラ」を題材にしたミュージカルを同ホールに持ち込んで製作したこと。そこでの収穫と反省の記憶が僕自身のなかにあったこと。

山梨を飛び出して東京で声楽を学んでいたにも関わらず、「山梨でも演奏活動をしたいな」「でも、山梨の文化市場はあまり活発じゃない」「どうにかして自分で市場を切り開かなきゃいけないな」と考え続けた大学卒業間近の頃の思い。

そしてそもそも僕が山梨という土地に生まれたということ。実家から徒歩2分のところにYCC県民文化ホールがあった、ということ。


もちろんこれらは「僕」という個人の視点から観測したエピソードであって、たとえば事業部の尾沢さんが30年も前に「天津司の舞」を観たときの衝撃がずっと残っていたこととかも含めて、

どこがどうなってこのような舞台を作るに至ったのかについては、多層的な宿命に導かれたのだろう、と言うしかないところがあります。

でも、そんなこんなでも、この作品をつくれたということに、とてつもない喜びを感じています。


けれどその喜びは、「うひゃーい!やったー!楽しかったねー!よかったよかった!」という類いの朗らかで軽やかなものではなく、どこかズシリとした重みを伴う喜びであります。

一晩ずーっと神輿を担いだ次の日の肩の軋みから滲み出てくる喜び。あるいは、泥を踏み日に照らされて田植えをした足腰の気だるさの帯びる喜び。


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果たしてこの作品をつくったことが、「価値のあることだったのか」と考えると、それはどうにもわからないなという気分になります。

僕自身の、いまこの手に残っている感触からすれば、間違いなく意義のあったことだと思いますが、「ではその意義は、広い価値であったか」と問われると、スッとは肯定も否定もできないような気持ちです。

なぜならばこの作品は、一種の「祈り」だったからです。あるいは、「禊」だったのかもしれないとも思います。


「ヤマガヒ」の題材の核となったのは、山梨県甲府市の小瀬という町に古くから伝わる「天津司の舞」という重要無形民俗文化財です。9体の人形を用いた現存するこの国最古の人形芝居で、天津司神社の御神体による神事でもあります。

この「舞」とそれに付随する儀式の行程から多くのインスピレーションを受け、また、その舞の息づく甲府という地域、山梨という土地の地形的性質やそこに住む人々の気質や思いからもモチーフを集め、それと同時に現代を生きる我々の「生」や過去の人々の「思いの集積」を織り込んで、ひとつの現代劇を作りました。

まずこのお芝居の根底にあるのは「天津司の舞」のかたちと、それを守ってきた人々への畏怖です。核の放つ色彩や力が多彩で強かったからこそ、この芝居の輪郭もギリギリとした強さを纏うようになったのだと思います。

それと同時に、この時代を生きているということへの不安や虚無感、未来への焦燥と希望、過去への憧憬と侮蔑、そういったものが入り混じって、あのような表現に収束していったのだと思います。


演劇において、ドラマを進めるためにもっとも重要な要素のひとつはダイアローグ、つまり対話です。相手を変えようとする力を持った言葉での交流のことです。

にも関わらず「ヤマガヒ」というドラマのクライマックスの一部は、モノローグによって書かれていました。ひとりひとりが、ひとりで、虚空に向かって、自分の言葉を放つのです。12人の登場人物のうち、7人が。入れ替わり立ち替わり。


もしかしたら、僕のこの note も、ある種のモノローグなのかもしれません。こうやって書けば、読んでくださるあなたがいるとは信じつつも、どこか虚空に向かって言葉を放っている。自分のために、その言葉を放っている。

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さまざまな発見とチャレンジをし続けた取り組み期間でした。

この取り組み期間というのが、再演の稽古がスタートした11月からのことを言っているのか、それとも初演が終わった昨年7月からのことを言っているのか、どうもわかりません。

でも、やっぱり僕の感触としては、「初演を終えてからの1年半の月日が、全部出たな」という再演だったように思いました。

「1年半積み重ねてきたことを全部出し切れた」という意味ではありません。

「この1年半の過ごし方が、如実に、露骨に、さらけ出たな」という意味です。


昨年7月の「ヤマガヒ」初演のあとには、「ジャージー・ボーイズ」をやり、「グレートコメット」をやり、「渋川ミュージカル」をやり、「銀河鉄道999」をやりました。

たくさん芝居を観にいき、ライブをいくつかやり、ワークショップもいくつか受けにいき、「お月さまへようこそ」を上演し、笑ったり泣いたり怒ったりしました。

そのなかで感じてきたことや吸収できたこと、新しく得たことが、先日までの「ヤマガヒ」再演に取り組む日々に、確実に影響を与えていました。初演とは全然違った。

同時に、1年半経ってもまだできないこと、身に付けたかったけど獲得し切れてなかったことも、「ヤマガヒ」再演の稽古の毎日に、色濃い影響を与えていました。

とても面白い日々でした。自分の変化と、過去の自分の残滓に直面し続ける日々だったからです。

正直なところ、稽古期間の最中も、小屋入りから千穐楽までの期間も、常に僕は僕自身の「できること/できるようになったこと/できないこと」を常に分析し続けていました。自分の能力を棚卸ししていたようなものです。

こんなにじっくりと冷静に、「自分は表現者として何ができるのか、何ができないのか」を見極めながら作品づくりに携われたのは、今回が初めてです。とても貴重な経験でした。そして事実その経験が、いま新たな現場でも役に立っています。

「ヤマガヒ」があったからこそ気づけたこと、得ることのできたものは、おそらくこれからの表現者人生の大きな糧になると思います。

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「ヤマガヒ」をやったことで変わったことがあります。

山梨で、演劇についてより深くシビアに考えることをはじめた人が、何人も増えたことです。

少し不遜な言い方になっているかもしれません。「ヤマガヒ以前」にも山梨の地で演劇について考えていた人はたくさんいることももちろん承知です。

けれど、これはやっぱり記録として、書きたいのです。

「ヤマガヒ」(山梨と八王子で各1回のワークショップ公演、2018年7月の初演、2019年12月の再演)を通して、山梨の地で演劇に「真剣」に取り組む人が、確実に増えました。その数は10人ほどかと思います。

でも、この作品を通して、「愛好家」とは一歩違ったシビアなエリアで演劇を考え実践する山梨の人と、10人も出会えたわけです。これは僕にとって、奇跡にも近い幸運な出来事です。

僕は自分の人生を賭けて、山梨の文化土壌を少しでも豊かにしていきたいと思います。何を持って「豊か」とするかにはさまざまな考え方があると思いますがそれは置いておきます。とにかく、僕の思う「豊か」に、少しでも近づけたいのです。

そのひとつのキーは「多様性」です。そしてもうひとつのキーは「真剣な人が増えること」です。

「ヤマガヒ」を通して出会うことのできた10人の山梨の演劇人たちは、確実にあの地の演劇に、「多様性」と「真剣さ」をもたらしてくれています。

これは、大きな変化です。


もし彼ら彼女らの今後10年の活動がより多くの人の心を動かし、ひとりの活動につき10人のフォロワーが生まれたら。10年後の山梨には、多様性と真剣さを持った演劇人が100人存在することになります。これは、大きな力です。

そして僕の目にはその未来が見えています。きっとその未来は現実になる。


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「ヤマガヒ」はひとまず終わりです。

このプロジェクトに関わってくださった全ての人に感謝いたします。

そして、応援してくださったすべてのみなさまにも感謝いたします。

客席に足を運んでくださったみなさまにも、心より感謝いたします。


いまの時点の僕たちの力だけでは、到底実現できなかっただろうプロジェクトをこうして完遂できましたのも、本当に、支えてくださった多くの方がいてくださったからこそです。

芝居のなかでは、ある意味、「人々の分断」を描いた瞬間もあったわけですが、その「分断」を描くためには、多くの人との繋がりが必要不可欠でした。演劇という営みの尊さに、感嘆するばかりです。


もしひと波でも、みなさんの心の中に「ざわめき」を立たせることができていたのだとしたら、この作品をやった甲斐があった、そう思えます。


これからも精進してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

この度は本当に、ありがとうございました。

クモ役
山野靖博




読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。