なんで今、なのか


さいきん、さんざん書いてますが、今、不条理演劇を作っています。

不条理演劇とはなんぞや、についてはこんな記事も書いてみました。

もし興味がおありでしたら読んでみてください。


今日は、どちらかというと日本の演劇のメインストリームではない、「わかりづらいよね」と思われている不条理演劇をなぜ今つくっているのか、ということについて書いてみたいと思います。

理由は3つあって

① 7月の本公演のプレ企画だから
②  山梨の文化市場を拡大したいから
③ 「質の高い未知のもの」を提供したいから

です。ひとつずつ簡単に解説します。

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① 7月の本公演のプレ企画だから

今つくっているのは「ヤマガヒ-しんしん-」という舞台で、これは2/5〜10の山梨バージョンと、2/13〜22の東京バージョン、ふたつに分かれたワークショップ公演のかたちですすめています。

で、このワークショップ公演は、「7月の本公演のプレ企画」という状況なのです。

7月の本公演は「ヤマガヒ」という名前で、芝居と、身体表現と、和楽器生演奏と、美術が組み合わさった、山梨県コラニー文化ホールさんの主催公演です。

山梨から、オリジナルの舞台作品を生み出すというところからスタートし、その題材を「天津司舞」という、山梨県固有の重要民族無形文化財からとることにしています。

この、「天津司舞」は日本で現存する最古の傀儡神楽で、かなり珍しく、文化史とか民俗史にとっては、かなり重要なもののよう。

ですが、じつは、研究がほとんど進んでいなくて、なん年前に成立したのかや、どんな由来があるのかも、あんまりわかっていません。

博物館の学芸員さん曰く「天津司舞に手をつけたら、そのままライフワークになっちゃうような重要な研究になる」とのこと。

それを題材に演劇をつくるときに、民話などからモチーフをとったり、創作を加えたりして、わかりやすい人間生活に即したストーリーのお芝居にしてもいいんですけど、それによって、「誤った天津司舞の物語」を広めてしまう危険性もあると考えました。

なので僕らは、天津司舞からインスピレーションはいただくのですが、例えば、

・山に囲まれた土地に水が満ちている
・12体の神がそこに降りてきた
・2体は天へかえり、1体は水に沈み、9体が水のなくなった土地に留まった

といったエッセンスだけを抽出して、舞台作品にしようと思っています。

そこに、いまの山梨に生きる人々の抱えている問題とか、そういうのを反映させていけたらいいな、とも。

そういった具体から吸い上げた抽象的な要素を舞台上で組み上げる為に、不条理演劇的な作劇法を用いるのがいいんじゃないかと判断したのです。

ただ、いまつくっている「-しんしん-」は、前日譚的な作品で、稽古期間も短かったりするために(6日間とか7日間とか)、7月の本公演の着地点よりはかなり尖った仕上がりになってることは事実です。

7月は稽古期間も1ヶ月以上取り、装置とか含め、舞台作りに使える要素も増えるので、いまの台本よりはかなりわかりやすく柔らかい方向へ寄るとおもってます。

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② 山梨の文化市場を拡大したいから

これは僕自身にとってのライフワークというか、重要なミッションなのですが。

山梨県の文化市場を、大きく、豊かにしたいんですね。

具体的には

・文化に携わる人(作る人も受け取る人も)の人数を増やす
・県内で発表されるものの種類を増やす(多様性を拡大)
・文化事業(公のものも私のものも)で回るお金の量を増やす

ってことを実現させたいのです。

そのためには、県内の文化事業の「底辺の広さ」と「頂点の高さ」をどちらも増加させていくことが、第一段階として必要だなと思います。

これはもう、みなさんご存知の、三角形の面積の話なんですが。

いちばん左にある三角形の面積を増やしたかったら、三角形の底辺を広げるか、高さを高くしたらいいわけです。

三角形の面積 = 底辺 × 高さ ÷ 2 

ですから。

いまの山梨県の文化市場がいちばん左だとして。

現時点だとコラニー文化ホールさんを筆頭に「裾野を広げる=底辺を広くする」ような施策やイベントが数多く実施されています。

市民参加型のワークショップや、タップダンスなどを組み込んだオリジナル舞台、オリジナルのミュージカル製作などですね。

それによりここ10年でかなり裾野は広がったと思うし、現在でもそれは進行形だと思います。

ただやはり、行政や法人や公共ホールが主導する文化的な施策というのは「底辺を広げる」方向には強いのですが、「頂点を高くする」という方向には弱いのです。

なぜなら「頂点を高くする=表現の強度を上げたり、よりハイコンテクストなものを扱う」と、そこからこぼれ落ちてしまう人たちがいるからです。

公共の文化的な施策は、広く、あらゆる人に文化を享受する環境を提供することが目的ですから、「狭く、限定された嗜好を持つ人に」向けてのなにか、というのはやりづらいわけです。

でも、文化市場を拡大させ、そこに存在する文化の多様性を広げるためには、三角形の頂点の高さも、ぐんぐん押し上げていったほうがいい。

ということで、来年度の7月の「ヤマガヒ」本公演では、県最大級の文化施設であるコラニー文化ホールさんの主催事業として、不条理演劇的な要素のある新作舞台を作ることにしました。

これによって、「山梨の文化市場の頂点を引き上げる」方向へのアクションを起こしてみたいな、と思っているのです。

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③ 「質の高い未知のもの」を提供したいから


とはいえ、「不条理演劇なんて難しいものを見せられたお客さんの身にもなってみろ」みたいな話も出てきます。

難しくて理解できないものを見せて、ポカーンとするしかなかったら、どうするんだ、と。


じつは、僕は、それでもいいと思っています。


舞台芸術って難しくて、特に演劇の場合、「芸術的側面」もあれば、「エンターテイメント的側面」も持っているわけです。

で、特に日本の演劇界にてメインストリームとなっている演劇たちは「エンターテイメント性」にかなり比重が偏っている。

たしかに、お客さんを楽しませてナンボ、っていうのが舞台芸術の使命のうちのひとつだと思いますが、同時に、お客さんの心を揺さぶったり常識とされている価値観に疑問を呈す、みたいなことも、本来、舞台芸術が持っている役割のひとつだと思います。

下の図をみてください。

こういう画像つくるのが下手すぎて、ちょっと小さくなっちゃったけど。笑
次からはもっと上手く作ります。

さて、日本の演劇業界にある作品たちって、ほとんどが「A」の範囲に分布していると思われます。

このマトリクスで示している「知名度」というのは、その団体や作品が有名か否かの指標ではなく

そこで扱われている表現の方法の認知度はどうか

という指標です。

表現方法の知名度が高いもの=既知な表現というのは例えば、ウェルメイドのお芝居、リアリズムのお芝居、ミュージカル、バレエ、みたいなもののことです。

大体の人が「舞台」っていったら思い浮かべるようなもののこと。

東宝作品も、四季も、宝塚も、Kバレエも、2.5次元も、ここに入ります。

で、その「一般に既知な表現」のなかで、質の高いものと低いものがあります。

僕は、この「A」に分布する舞台芸術も、大好きです。できることならば、「A」のなかでも、質の高いものに出たり、質の高いものを観たりしたいなーと思ってます。


が、日本で舞台を見ている僕らにとって、あまり馴染みのない、「未知」の表現方法のものも世界にはたくさんあるのです。

そのうちのひとつが、このあいだ僕が観劇した、小池博史さんの作品だと思います。


実際、僕の身の回りには、「不条理演劇」というジャンルを知っている人がかなり少ないです。

表現以外の、会社とかの勤め人をしている友人たちはもちろんのこと、俳優仲間でさえも「不条理・・・?」みたいな人がたくさんいます。

でも、僕は不条理演劇の面白さを知っています。不条理演劇の持っている力や、その表現形態の価値も知っています。それを、日本の演劇業界のなかから「なかったことに」するのは、あまりにも損失がデカイと思うのです。


市場に供給されるプロダクトの、その多様性が拡大すればするだけ、消費者の消費体験は豊かになっていきます。自分の好みに合わせて、選べるからです。

でも、そもそも市場に出回らない商品については、どれだけそれがその人の生活や人生にとって画期的な商品であっても、それを手に入れることはできないのです。

僕は、上の図の「B」に属する舞台作品を、世に供給したいと思っています。特に、山梨で。

山梨は、受け取れる文化の選択肢が、東京に比べてあまりにも少ないから。


といっても、「B」のことばっかりをやりたいわけではなくて、質の高い「A」の作品も、どんどん山梨の地で生み出していきたいとも思っています。



以上、なんでいま僕が必死こいて、不条理演劇をつくっているのかの解説でした!


読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。