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アマチュア野良司会者の解放

封印していた事実だけれど、大学時代は発声練習やスポーツ実況の練習ばかりしていた。

たしか、中学生の時だったか、いそいそと放送室に持ち込んだ給食が冷めていくことを気にも留めず、お昼の放送で自分の好きな曲と自分の声を届けることにワクワクしていた思い出がある。

軽やかな声と、滑らかな喋りは好評だった。
普段交流のない男子生徒から放送が良かったよ、本物のラジオみたいだったね、なんて声をかけられることもしばしばだったのでだんだんと自信も積み重なっていった。

ぼんやりと、ラジオのパーソナリティーになりたいなーとか、アナウンサーもいいな、なんて思っていた時期もあった気がする。

アナウンサーを多く輩出するまあまあ有名な大学に入学できた。
サークル活動で鍛錬すれば、自ずとそっちの道が開いていくかもしれない、という淡い期待を持っていた。
しかし、見事に鼻をへし折られた。

名のある放送コンクールで多数の賞を受賞する界隈での有名人がそこにはいた。学業やサークル活動に前のめりに参加し、加えてアナウンススクールにまで並行して通う人たちが多数。みなさん容姿端麗で根性があって、類稀なる情熱を持った努力家なのだ。さすが有名大のアナウンスサークル。

サークル活動と銘打っているけど、サークルの領域を逸脱していないか?と思うほど活動内容は真面目だ。
朝から晩まで練習のスケジュールが組まれていて、下級生は好きなコマに参加して良い。上級生が交代で指導にあたる。
新年度が近づくと、新世代が次の年度の指導方針の企画を練る。上級生の審査に耐えうる企画をと、深夜まで話し合ったり書類を作ったり。

完全に、引いてしまった。
ああ、そこまでの情熱は私にはない。
ごめんなさい、夜は寝たいです。
誰と比べても、どこをとっても、アドバンテージを感じられる部分が自分にはひとつもない。

いい環境で、同じ目的を持った仲間と切磋琢磨することをぼんやりと夢見ていたが、全く思っていたものとは違うものになった。

私にとって大学時代とは、
スゴイ人たちの中で埋没した記憶、となった。

とりあえず卒業までサークルの端っこにいたけど、間違っても真ん中には行けない。帰属意識も持てない。

野球が好きだったので、なんとなくスポーツ実況の仲間に入れてもらい、毎週球場に足を運んでは実況を練習する。
指導する立場にまでなったけど、一応上級生っぽい顔をしていたけれど、まるで自信はない。

マイクに声を乗せるのが好き、という単純な気持ちには、しっかりと蓋をした。

大学卒業から10年以上経ち、幼稚園児の母になった。
社会人や駐妻を経験して、出る杭は打たれるし、おとなしくしていようと思っていたが、マイクを持つことが好きなことが、なぜかバレた。

幼稚園での小さなイベントでマイクを持つことを少しずつ始めた。
毎回つい、楽しそうにしゃべくるので、卒園式の後のいわゆる謝恩会の司会に任命された。

60名ほどの卒園児、その保護者、先生と職員の方々と楽しむ約1時間。

緊張など吹き飛ぶくらい、とにかく楽しかった。

マイクに声を乗せる高揚感をはっきりと思い出した。
こどもたちに声かけをすると、即座に大きく反応してくれる。
会場の一体感を作ることができる。
場で起きていることに反応し、私らしい声色で進行できる。

給食の放送係さんとしてはリアルタイムの反応を見ることはできなかったし、自分のスポーツ実況でなにか世界が変わったとは思えなかった。

マイクを通した私の一言で場が変わっていくことを感じながら発声する。
なんだか新しい体験だった。

ひと仕事終えたけれど、相変わらず私はアナウンスに関して何の賞ももらったこともないし、関連する仕事をした実績もない。

でも「ひとりでやるのは負担にならない?」と聞かれるような司会の仕事を楽しんでやり遂げられたことは自信になった。

アナウンサーを志さないみんなの中にいる限りにおいては、ちょっとした特技だと胸を張って言ってもいいのかもしれない。

無冠の、実績のない、アマチュア野良司会者だけれど、蓋をしてないで時々は世に放ってあげることにしようかな、と思った。

マイクを託してくれた友人たちに、感謝だ。

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