疑われていない常識(26)

理性〈⇔直観〉は万能ではない。行動経済学や心理学などが、20世紀に理性の揚げ足取りを盛んにおこなった。そして、理性は格下げされたような状態だ。ただし、合理性があるからこそ、非合理性が存在するのだ。

反共感論を読んでいたときに、そんなことが書いてあった。これは僕にとってとても深い洞察だった。従来、疑われていなかった理性という常識を徹底的に疑い、そのことが科学の世界においては一つのブームになった。一度、常識なんてものは疑ってしまえば、たくさん粗が出てくる。最初のほうはその発見も輝かしい業績だが、慣れてしまえばただの揚げ足取りになる。常識は直観的にわかるが、常識を疑ったものは、思考を要するし、構造化されていないものが多い。だから、ノイズのように感じられ、再び常識のほうにスポットライトが戻ることになる。

そして、僕のテーマである「時間とタイミング」についての常識はなんだろうか?時間というのは理性であり、タイミングというのは直観と考えると、理性と直観の歴史から学べることが多くありそうだ。

時間について、疑われていない常識はなんだろうか?
時間を疑った輝かしい業績はなんだろうか?

学びや教育関係の本の購入にあて、よりよい発信をするためのインプットに活用します。