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NIKE、野茂英雄、1995

野茂英雄、1995,、SHOE DOG

中学校に入学して間もない、5月2日。野茂英雄がドジャーブルー、背番号16を背に大リーグ・デビューした。その日からドキドキしながら、NHKのスポーツニュースで登板結果のダイジェストを見ることが習慣になった。

野茂が大リーグの選手たちをストレートとフォークできりきり舞いにした映像は未だに残像として頭に残っている。そして、時に思い出したくなり、youtubeを1年に1回は見てしまう。

同時に1995年はNIKEが流行していた。Air MAX94,そして95が大ブームでスニーカーを狩る「エアマックス狩り」が社会問題になった。通っていたど田舎の学校でも、お洒落に敏感かつ裕福な家庭の子が数人、AIR MAXを履いていた。ただ、何人かは盗まれ、ほとんどはAirに穴を開けられていた。バレンタインのラブレターが下駄箱に入っているならいいけれど、押しピンが刺さったスニーカーは悲しさしかない。NIKEは大人気で、雑誌も、靴屋もNIKEだらけ、スニーカーは憧れの品で、お年玉で真っ先に買いたい品物だった。

流行は好きになれないタイプだったが、NIKEが95年暮れに発表した、AIR MAX Nomo には熱狂してしまい、どうしても手に入れたかった。毎日のように、雑誌を眺めて、どうやったら手にはいるのだろう、と考えていた。

当時はインターネットなどない。ファッション雑誌のページの後ろの通販が情報源。そこでは到底手に入れられないプレミア価格がついていた。ど田舎ではどこで手に入るのかも見当がつかない。近くのジャスコの店頭にはもちろん並んでいない。

AIR MAX NOMOは最終的に手に入れることはできなかった。ただ、その憧れが捨てきれずに、どこかの雑誌通販に申し込み、AIR ZOOM FLIGHT96を購入した。箱が届いたときは素直に感動した。雑誌に載っていたあの靴が我が部屋にやってきた。部屋の中でウキウキしながら履いた。たまの休みには、せっせと履いては、自分の足元を見ては誇らしげな気持ちになっていた。

今、思えば、NIKEを履けている喜びだったのだろう。僕にとっては、野茂が履いているブランドだった。彼の反骨精神に憧れていた。その憧れを入り口にNIKEを好きにな利、いつの間にか買ってしまっていたのだ。

もちろん、お気に入りの一足として、数年間履き続けた。特別なお出かけの時にしか履かないでいた。ただ、その熱もいつの間にか冷めた。今、あのシューズはどこにいってしまったのだろう。自宅にあるのだろうか、それとも捨てたのだろうか、覚えていない。ただ、あの喜びだけは覚えているし、AIR MAXNOMOは初めて自分が本当に欲しいと切望したモノだった。

しかし、いつの日かの搾取報道を見て、NIKEへの想いはネガティブになった。まったく吐きたいと思わなくなったし、1人NIKE不買運動をしていた。低賃金の児童労働でできていると思うと、なんだか気持ちが悪くなったのだ。ずっとずっと、NIKEとは距離を置いていた。大人になってからはスポーツよりも、本が好きだったから、『SHOE DOG』が日本で発売されたときは多少は気になったが、NIKEへの嫌悪感から手に取ることはなかった。世の白熱したブームに、かつてのNIKEを思い出しつつも、嫌悪感が勝り、本屋で手に取ることすらなかった。

ただ、今年の正月にたまたま『SHOE DOG』の書評をスマホで読んだ。NIKE創業期のストーリーであるらしい、どんな立ち上げのストーリーがあるのだろうか。ビジネスマンとして興味が惹かれた。正月で時間もあるし、と思い、嫌悪感を払拭するにはいい言い訳だったが、NIKE不買運動を続けている身としては、まずはKindleで試し読みからだ。

フィル・ナイト、NIKEの創業者のことはまったく知らなかった。ただ、読みはじめてすぐに心をもぎ取られた。過去、スポーツに夢中で励み、学業を両立していた自分の姿とフィル・ナイトを重ね合わせてしまった。これはNIKEの物語ではない。フィル・ナイトという、スポーツを愛した1人の人間の泥臭い物語なのだ。走ることにすべてをかけた男が、その情熱を靴に、アスレチックシューズにかけた。好きなことがなんとか続けられるように、もがき、足掻き、すべてを注いだ。

全てのリソースは稼ぐためではなく、靴を作り続けるために、より多くの人に届けるために、常に必要だった。仲間だって、金だって、材料だって、時間だって、すべては靴のために。走ること、ランニングの概念を変え、人々の行動を変えた。私がフィル・ナイトに自分自身を投影してしまうように、フィル・ナイトはアスリートに自分自身の挑戦を投影し、アスリートを支え、アスリートを信じ、アスリートを心から愛した。そして、靴が信じられないほどに売れた。

そして、彼が野茂を応援した理由も、本を読んでいて感じた。もちろん、マーケティング上の理由もあっただろうが、それ以上にフィル・ナイト好みのアスリートだし、日本を捨て、日本に捨てられ、太平洋を渡って挑戦する姿にNIKEブランドはぴったりだと思った。実はナイキは野茂が海を渡る前から契約していたらしい。野茂もスポンサーの関係からミズノをはくべきだったが、NIKEを履き、物議を醸したこともあるそうだ。

そして、1年目の大活躍後に、AIR  MAX NOMOは発売された。『SHOE DOG』の舞台から、16年後、1996年のことである。

本を読んでNIKEをまた買ってみようと思った。まずはAIR MAX NOMOが欲しい。何度もめくったNIKEのムック本を思い出し、NOMOの1995年の活躍を映像で見直し、メルカリとヤフオクをサーフインしている。

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