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セピア色の思い出 4

詩「危ない遊び」

幼い頃

立入禁止の防波堤
こっそり入って
雑魚釣り

埠頭に来る外国船
身振り手振りで
入れてもらった船は
北朝鮮の船

今思えば危なっかしい

そんな港も
面影はない
オリオン座の三つ星 輝く
幼い頃のその港

懐かしくて
会いたくて


「危ない遊び」

小学校4〜5年生 昭和38年頃の「港」で遊んだ思い出が心に残ります。


信濃川の河口にある港町が私の故郷。港町といっても漁港ではなく、貨物船が出入りする港湾のある町で生まれ育ちました。

ある日曜日の昼下がりのことです。友達と3人で中央埠頭まで遊びに来たのです。ここは勿論立ち入り禁止、禁断の遊び場なのです。

日曜日の埠頭は意外と静かでした。倉庫が並びコンテナが積み上げられたその前に小さな外国の貨物船が停泊していました。船には斜めに簡易な階段状の梯子が掛けられ、デッキにはソ連の旗がなびいて、髭の見張りが一人、のんびりとタバコをくゆらせていました。

僕達3人はその見張りにジェスチャーを送ります。
「ナニカ タベタイ。ボクタチヲ コノフネ二 イレテクダサイ。」
指で大きく開けた口を差し、指で自分を差して髭の見張りにその指を向ける。
首を横に振られるケースもありました。しかしこの日は大成功「上がって来い」というジェスチャー。

僕達は2段ベットのある小さな船室に通されました。僕はポケットから五円玉1枚と一円玉3枚を出して、
「コレアゲマス。アナタノオカネト コウカンシテクダサイ。」
すると髭は大喜び、何やら小箱をもっきて蓋を開けると十円玉と百円札が沢山あって、その中に僕の8円を投げ入れました。
子供ごころに安いコインしかあげられない自分が恥ずかしく思ったものでした。
最後に大きな肉の入ったスープをご馳走になって帰りました。

船に乗り込む遊びは数回ありました。先生に怒られたこともあって、おそらく北朝鮮と思われる船に乗せてもらった日が最後になりました。
あの横田めぐみさんのことを考えると、拉致されてもおかしくないことを平気でやっていたのです。

まだ万景峰号(マンギョンボンゴウ)が就航する前のお話です。

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