会社とは何か / 企業とは何か / Betriebとは何か

今日(2019年1月7日)、年始最初の登学。すると、『日経ビジネス』の最新号が届いていました。今回の特集は「会社とは何か」。

昨日(2019年1月6日)、サイボウズの青野慶久さんがTwitterでご自身の著書での提唱を踏まえつつ、ツイートもしておられます。

ちなみに、青野さんの著書については、簡単な読書記をnoteに書いたことがあります。

青野さんが指摘されるように、〈会社〉は法律上の概念であり、まさに「律上、自然と同じ存在とみなす」(=法人)なわけです。もちろん、そこに債務に対する弁済としての責任の問題が関係してくるわけで、このあたりは企業形態 / 会社形態に関する基礎知識として、経営学の基礎的な講義ではおそらくちゃんと説明がなされるはずです。

さて、一般的には、ほとんどの方が〈会社=企業〉としてお考えになっておられるのではないでしょうか。経営学で考察対象となるのが、基本的に会社というかたちを採る企業ばかり(しかも、基本的に株式会社)であるため、そのあたりをいちいち問い返すこともないかもしれません。

しかし、厳密にいえば、会社=企業ではありません。〈会社⊂企業〉というのが正確な表現です。なぜなら、個人事業主によって営まれている実態も企業であるからです。つまり、法人企業(=会社)と個人企業が存在するわけです。さらに言えば、有限責任事業組合も、法人企業ではありませんが、企業です。

ここで議論になるのが、企業という存在が営利原則(獲得した収益を出資者に分配することを旨とする行動原理)にもとづいていることをメルクマールとする場合、協同組合は含まれないことになります。ただ、いっとき注目されたスペインのモンドラゴンの事例や、近年の社会的企業という概念を考えると、このあたりの線引きはさまざまな議論の余地があります。私自身は、今のところ、後述するように「他者の欲望を充たすことによって、対価を獲得しようとする」ことを営む主体を〈企業〉と捉えています。

その意味において、読者にとっての入りやすさからして、今号(2019年1月7日号)の『日経ビジネス』が「会社とは何か」という特集名をつけたであろうという所以は十分に理解しつつ、個人的には「企業とは何か」という意味と解釈して読んでいます。

今号の特集は、総じて渾身の内容で、私自身はひじょうにおもしろく読んでいます。

第1章「会社の壁を崩せ」というところで、アソブロック株式会社という会社が紹介されています。

そこの代表の団 遊(だん あそぶ)さんが、あえて「会社は家族である」とおっしゃられているのは、なかなか刺激的です。というのも、この文言だけを読めば、きわめて古風な日本の会社のイメージが沸き起こるであろうことは容易に想像がつくからです。

しかし、よくよく読めば、そうではないことが明らかです。なぜなら、会社という家族に属する子どものような存在としての従業員は、いずれ成長して巣立つ。ただ、将来、巣立った「子ども」が戻ってくるかもしれない。それは「里帰り」なのだから、歓迎する。そういうスタンスなのです。縛りつける存在としての家族ではなく、育つ場としての家族という捉え方は、よくよく考えれば、至極まっとうなものでありながら、会社を家族として比喩的に捉えるときには、往々にして家父長的・封建的な家族イメージに依っていることに、私自身もハッとさせられました。

個人的に最も興味深かったのは、第2章の「信頼の生態系」。ここで事例として採りあげられているのが、時計製造のKnot。

私も、ここの時計を1本持っています(機械式のAT-38の紺色文字盤)。デザインがシンプルで美しく、ベルトをいろいろ選べるので、心斎橋にショップができてしばらくして買いに行きました。

そのデザイン性もですが、何より興味深いのは〈生み出されていくプロセス〉。私自身がよく講義などで使う概念でいえば〈価値創造過程〉、あるいは視野を広げて、他者 / 他社との価値交換関係協働を含む〈価値創造メカニズム / 価値創造アーキテクチャ〉と表現できます。Knotさんについては、いずれ詳しく話を聞いてみたいという願望がありますが、今回の記事からもその全体像はつかむことができます。

現実問題として、企業が単体で自己完結的に価値創造を成就させることはできません。そもそもからして、サービス・ドミナント・ロジック(S-Dロジック)に依拠するならば、価値創造はサービス(製品によって発揮され、受け手の欲望を充たす可能性をもつ効用も含むので、一般的な意味での「サービス」よりも広い概念です。ここ、ご注意)の受益者たる顧客において実現・成就するという理解に立つことになります。もちろん、発し手たる企業の存在も必要です。したがって、価値創造は基本的に〈価値共創〉という姿であらわれます。そして、同時に受け手は発し手によって提案された効用給付(受け手の欲望を充たすような効用をもたらすモノやコトの総称)から発揮される効用に〈価値〉を認め、その対価を支払うときに価値交換が成立し、価値創造はここに成就します。

しかも、受け手が使用する権利を得たモノやコトから発揮される効用によって、抱いている欲望が充たされるプロセスにおいて、その〈価値〉を実感してゆくことを考えれば、価値創造の成就は価値交換の瞬間だけにとどまるものではないことも理解いただけるかと思います。

この枠組は、いわゆる企業と顧客のあいだだけではなく、企業と何らかの関係性を有するさまざまなステイクホルダー / アクターとのあいだに等しく成り立ちうるものです。この点に着目して、ご自身の実践を学問的に捉え返しておられるのが、徳久 悟さんの『地域発イノベーションの育て方:リソースから紡ぎだす新規事業』(NTT出版、2018年)です。

ここではサービスデザインの考え方がどのように実践へと落とし込まれ、具現化されたのかというプロセスが鮮やかに紹介・分析されています。

このように、企業という存在を捉える際に、自社だけをみるという視座はきわめて危ういものとなっていることが窺い知られます(もちろん、自社を見なくていいということでは全くありません)。

またぞろ持ち出して恐縮ですが、やはりこのあたりを考える際に、ニックリッシュが提唱した価値循環や経営共同体という概念枠組は、提唱された時代的制約を十分に踏まえ、かつそれを乗り越えたうえで、研きなおして活かされる必要があると、私には感じられます。とりわけ、企業という存在の資本主義的性格を捨象したと厳しく批判されたBetriebという概念を、今あらためて捉え返してみる必要があるように思います。

もちろん、ニックリッシュが陥った蹉跌をそのままなぞってはなりません。ただ、21世紀のわれわれは、ニックリッシュがナチス期にたどってしまった蹉跌を知っているわけですから、そこに十二分に留意することができるのです。

ことに、人間の生活そのものと言ってよい欲望充足を旨とする個人や集団を本源的Betriebと呼び、本源的Betriebが抱く欲望を充たすような製品やサービスなどを創出するBetriebを派生的Betriebと呼んでいます。ちなみに、一般的には前者を家政 / 家計、後者を企業と分類します。ここで、Betriebの訳語が何なのかという問題が出てきますが、これが難儀で、「経営」「職場」「事業所」などの訳語があります。マックス・ヴェーバーなどは、Betriebを「一定の種類の継続的な目的行為」(『社会学の基礎概念』)と定義しています。このあたりの議論を本格的にやりだすと大変なので、ここではこれくらいにしておきます(笑) ただ、バーナード(Barnard, C. I.)のいう協働体系(cooperative system)にきわめて近いという点だけ指摘しておきます。

さて、話がえらいところに進んでしまいましたが、そろそろこの投稿も〆ておきたいので、ちょっとまとめる方向にまいりましょう。

会社を問うというのは、価値創造をいかなるカタチでもって実現・成就していくのかを問うことに他なりません。したがって、価値交換を含む、広い意味での価値創造をいかにしてデザインしていくのかは、言葉を厳密に使うならば「企業とは何か」という問題圏に含まれます。そのカタチ、さらにはそれを法律として、どう社会のなかに位置づけていくのかが、厳密な意味での「会社とは何か」という議論であろうと、私自身は考えます。ただ、ここまで厳密に考えなくても、一般的な議論としては、この両方を含むものとしての「会社とは何か」という提題で差し支えないと思います。

ということをお伝えしておいたうえで、今回の『日経ビジネス』の特集は、今までどちらかというと研究者が中心になってやっていた議論を、もっと広く展開していくのに恰好の手がかりを提供してくれていると、私は感じています。

そもそも、人間の生活にとって〈会社〉〈企業〉とは何のために存在しているのか。この点を考えることによって、今までとは異なる / を超える / に替わる会社や企業のあり方を考え、デザインすることも可能になるのではないかと思うのです。

その意味において、今回の『日経ビジネス』の特集が、幅広い提唱や議論を惹き起こしてくれるといいなと願っています。

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経営学雑考録

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