見出し画像

直観 マンダラアートセラピー

スイスの精神医学者、カール・グスタフ・ユング(1875-1961)は、敬愛していた精神分析学の創始者ジークムント・フロイト(1856-1939)との決別によって、数年間に及ぶ精神的危機に陥りました。
不安定な心理状態の中で数々の幻覚や悪夢に襲われたユングは、自分の内部から湧き上がってくるイメージを図に描き出すことで、自分自身の内的衝動の視覚化を試みます。
小さな円や四角形が組み合わさった数々のイメージ図は、当時見知っていたチベット仏教の瞑想道具である曼荼羅に似ていたことから、彼はこれを「マンダラ」と呼びました。

ユングはこのマンダラが自分自身の「こころの世界」を表現していることに気づき、精神分析家としての眼で読み解きました。
マンダラ図の中央には自我の中心的価値観を象徴する星や宝物が描かれ、その周りには安定した円形や正方形の仕切りの中に男女や善悪、太陽と月のような対立物が上下左右、対角線上に調和的に配置されます。
マンダラ図の周囲は自我を守る防御壁で囲まれ、その外側は無意識の大海を表しており、全体として個の秩序の統合と確立を象徴しています。
精神科医としてのユングは、精神的に安定している時と不安定な時のマンダラ描写の差を見出し、これがこころの治療法として役立てられるのではないか?と思いました。

ユングは自分自身の治癒経験を基に、治療中のクライアントたちにもこころの図を描かせるようになりました。
すると最初は分裂した精神状態や不安定な意識状態の描写をしていた彼らが、次第に安定したマンダラ的な図形を描くようになり、病状も回復に向かい出しました。
彼らの見る夢の内容も、精神的安定を取り戻していくにつれ、カオス的な暗く形のない悪夢から、マンダラを象徴するような図形や色彩の夢に変化していくことが見出されました。
ユングはヒトの意識の奥底には共通するイメージ群が存在しているのだと考え、それを「集合無意識(普遍的無意識)」と呼んでいます。
マンダラを描くことで個人無意識から集合無意識への扉が開かれ、そこを通して自我意識を修繕するために必要な人類共通の統合的イメージ素材群へのアクセスが行われ、壊れかけていた自我の綻びを修復する働きが起きたのです。

マンダラ的宇宙のイメージは、世界中いたるところで見られます。
古代ヨーロッパの先住民族だったケルト人は、3つの渦巻を結合させた「トリスケル」模様をシンボルとして使用し、3という数で「生と死と再生」あるいは「肉体と精神と霊」の統合を表現していました。
北欧のゲルマン民族は、3つの太い根で支えられている巨大な「ユグドラシル (世界樹)」というトネリコの木が、神々の世界アスガルズを載せ、全宇宙を貫いてそびえているという宇宙観を持っていました。
古代ユダヤ人は、神による7日間の世界創造を表す7つの重なり合う円による神聖幾何学図形を「生命の種子(シード・オブ・ライフ)」と呼び、また「セフィロトの樹(ツリー・オブ・ライフ)」という宇宙万物の法則を表す樹状イメージでは、10のセフィラ(宇宙の構成要素)を結ぶ22のパス(小径)によって、秘教的世界観を構成しています。
マヤやアステカなどのメソアメリカ文化圏でも、宇宙の中心には地下世界から地上、天界を結ぶ世界軸としての世界樹があり、さらに宇宙の四方にも世界樹があるとされていました。
マヤのカレンダーは円く循環する時間を、聖なる十字架は四方位に基づく空間を表しており、ジャングルに点在するピラミッド群は円と四角の時空間構造を合わせ持った立体マンダラそのものです。
また古代中国社会は、天は円く地は方形であるという「天円地方説」の宇宙観を持ち、円と正方形から導き出されるマンダラ的な自然の秩序の解明が、国家的な課題とされていました。
このように円と三角形、四角形などのモジュールの集合体が織りなす、中心〜周縁の階層的フラクタル構造が、人類のこころの中に共通するマンダラ的宇宙イメージなのだと言えるでしょう。

ユング以来マンダラアートは心理療法の世界で広く使われるようになりました。
絵画療法や箱庭療法を通してマンダラ的表現の出現を待つ方法から始まって、ユング派のサイコセラピスト、スザンヌ・F・フィンチャーが考案した既存のマンダラパターン図形に色付けをする「マンダラ塗り絵」が用いられるようになり、無意識領域にある癒しモジュールへインスタントにアクセスする形に変化しました。
チベットの砂絵曼荼羅を思わせる「パステルマンダラ」や「点描マンダラ」 、円形台紙に絵や写真を切り貼りする「マンダラコラージュ」、ペン一本で線やパターンを描いていく「ゼンタングル」など、数々のマンダラアートセラピーが誕生し、自らのこころの探究を試してみる人々も多くなりました。
ユングは自分自身のこころの中にあるマンダラ的イメージを観ていましたが、チベット仏教や日本の禅、密教などには、こころの中で曼荼羅を思い浮かべる修行法があり、瞑想を通して直観的に集合無意識とつながる「マンダラ観想法」を試みる人も世界的に増えています。

生命体がホメオスタシスという生体維持の特性を持っているのと同様に、ヒトのこころは自律的に平衡性を維持しようとする働きを有しています。
マンダラの示している世界は、この「こころのホメオスタシス」とも言うべき、全体的なシステムの調和を表すダイナミックな働きです。
個人のこころはヒトという種全体の集合無意識に繋がり、集合無意識はまた宇宙全体の太一意識につながります。
マンダラはこの太一意識のイメージを直接把握するための直観認知能力として、人類だれもが生まれ持っている生来の意識のあり方を表現したものであって、このイメージに接することで、ヒトのこころは本来の全き状態に還ることができるのです。

UnsplashFabio Santaniello Bruunが撮影した写真

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?