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直観 観じる漢字

古代シナの人々が、ギリシャやインドの人々と比べてよりカオティックで直観的な認識方法を好んだことは、彼らが使用した文字を見れば一目で理解できると思います。
「漢字=Chinese characters」がシナ文化の最大の特徴であり、そのアイデンティティそのものであることは、誰しもが認めるところでしょう。
表語文字である漢字は一字一語としての音と意味を持ち、見た瞬間にその意味するところを理解することができる、極めて直観的なキャラクター性を持った文字体系です。
 
漢字は殷の時代(B.C.17世紀頃〜B.C.1046)に、亀の甲羅(亀甲・腹甲)や牛・鹿の肩甲骨(オラクルボーン)に卜占の結果を記録するために用いられた「甲骨文字」から始まったとされていますが、中国各地に残されている殷以前の岩画群には、漢字の元になったと思われる絵文字類(ピクトグラム=アイコン)が多数見られます。
殷の都だった殷墟と同じ河南省にある賈湖(かこ)遺跡では、B.C.6600年頃の亀甲に刻まれた16種類の記号(賈湖契刻文字 かこけいこくもじ)が見つかり、これらが後の甲骨文字の原文字となったのではないかと考えられます。
また黄河上流に位置する寧夏回(ねいかほい)族自治区内の大麦地で発見されたペトログリフ群は3172組、8453図形に及び、太陽や月、星、天の神,地の神、狩猟、放牧、祭礼を示すものなど1500種類もの象形記号が確認されました。
解読されたものはまだそのうちの一部に過ぎませんが、これらの岩画は賈湖契刻文字と同じB.C.6600-6200年頃のものであるとされており、解明されれば漢字の歴史は甲骨文字から5千年以上遡ることになる可能性があります。
さらに長江下流の浙江省平湖市にある庄橋墳遺跡では、B.C.3300〜B.C.2000のものと見られる記号が彫り込まれた石器類が発見されており、プロト漢字の文字文化は黄河流域だけでなく、長江流域にもあったことがわかります。
 
シナのプロト漢字と同じような原文字は、世界最古の文字体系とされている、メソポタミアのシュメール人による楔形文字にも見られます。
B.C.3200年頃のウルク遺跡から出土した「ウルク古拙文字」粘土板には楔形文字の原文字である約1000種類の絵文字が使用されていましたが、さらにこれらの祖形となったのが「トークン」と呼ばれる小さな粘土製アイテムです。
トークンには球形、円錐形、円筒形、円盤形など様々な形があり、穀物の貸し借りや家畜の飼育委託などの管理用計算具として、1万年以上前から使われていたようです。
トークンは「プッラ」と呼ばれる粘土製の玉の中に保管され、中身がわかるようにプッラの表面にはそのトークンが押印されていました。
トークンには羊や牡牛、大麦やパンなど絵文字の彫られたものもあり、押印時には絵文字を目立たせるため先の尖った棒でなぞり、これがウルク古拙文字の原型となったのだということです。
 
東南ヨーロッパ、バルカン半島中央部セルビアのヴィンチャ遺跡では、ウルク古拙文字よりも1000~2000年前の古ヨーロッパ文字(ヴィンチャ文字)が発見されています。
土器や人形、タブレットなどに刻まれた記号類には、動物やヒト形、櫛形、卍型などが見られ、原文字としての絵文字システムが存在していたものと思われますが、ヨーロッパ各所に点在する洞窟群には、さらにこれを数万年遡る氷河時代の記号が多数残されています。
ビクトリア大学人類学博士課程のジェネビーブ・ボン・ペッツィンガーは、368箇所の洞窟で4万年〜1万年前の最終氷期に描かれた5000個以上の幾何学記号を調査しデータ化しました。
その結果驚くべき事に、最大数千キロメートル隔たった洞窟の壁に描かれたこれらの図形は、少数の例外を除けば円、棍棒形、鳥形、星形などわずか32種類に収斂することを見いだしました。
 
32種類の洞窟アイコンは、氷河期のヨーロッパ半島全域において、図形を媒介としたコミュニケーションが成立していたことを物語っています。
彼らはそれぞれのアイコンに込められた意味を直観によって読み取り、その上で新たな意味を込めた別のアイコンを岩壁に刻み込んでいったのでしょう。
ペッツィンガーは、「抽象的記号の使用は10万年前のアフリカで始まり、6万年前ユーラシアへ渡った時にはすでに、サピエンスは周りの世界の具象的な事物を抽象的な図形として表現する能力を持っていた」と言い、それを証明すべく世界中の遺跡の幾何学記号を集めたデータベースの構築に着手しています。
 
我々人類は「こころの萌芽」以来数万年間にわたって、音声による言葉とともにアイコンによる直観的コミュニケーションを続けてきました。
シナとシュメールでほぼ同時期に生み出された文字システムも、アイコンの発展形である象形文字(表語文字)を使用しており、その点ではエジプトの古拙エジプト文字やヒエログリフ、インドのインダス文字、チベットのトンパ文字、アメリカ大陸のマヤ文字なども同様です。
ところが古代エジプトでは、外国人労働者たちの名前を記すためにヒエログリフの持つ音の要素だけを抜き出して表す音素文字が使われ始め、この文字形式が後にフェニキア商人によって地中海世界一帯に広められて、アブジャドやアブギダ、そしてアルファベットといった表音文字となりました。
 
20~50種類ほどの文字で全てのコトバを書き表すことができる表音文字は、その簡便さから瞬く間に文字の世界を席巻していきましたが、ユーラシア東端のシナでは逆に、数千、数万もの新たなキャラクターイメージを創造することで、様々なモノやコトの持つ意味の表現範囲を広げていきました。
殷代には1000文字ほどだった甲骨文字群は、時代を経るに連れて融合、発展し、現在では異體字も含めて10万を超えるユニークなキャラクターたちが存在し、それらひとつひとつが独自のアイデンティティを主張しています。
漢字キャラクターたちはそれぞれの成り立ちと進化の歴史を持ち、アニミズム世界のアニマたちや、マンダラ世界のホトケたちと同じように、漢字圏という生態系を創っているのです。
 
日常的に使用されている漢字数は3000字から4000字程度だと言われますが、それでも漢字文化圏では表音文字文化圏の100倍もの字数を覚えて使いこなす必要があり、そのためか漢字を学んで育った人々の平均的IQは、他の言語圏に比べて高くなるという報告があります。
表音文字ではそれを認知する際、文字の視覚情報をいったん音声情報に転換してから記憶にアクセスして意味を取り出すというプロセスを踏みますが、漢字の認知では視覚的にとらえた文字のカタチから直接意味にアクセスできるため、理解がゲシュタルト的でスピードが早くなります。
また表音文字は大脳皮質の左半球にある言語野で処理される「単脳文字」ですが、漢字は左脳と右脳両半球で同時処理される「複脳文字」であるため、論理的思考だけでなく直観的思考も同時に促進されます。
もし左脳に損傷が起きた場合、表音文字を使う人ならば失語症となりますが、全脳的な調和機能によって行っている漢字の認知や理解、読み書きには影響がないということです。
漢字はサピエンスが象徴的思考を獲得した、「こころの萌芽」当初の脳の働きをそのままの形で発展させた、シャーマン的直観世界のコミュニケーション方法であり、脳の全体性に立脚した表現形式なのです。

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