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直観 マントラ マンダラ マンダラケ

マントラの起源を考えると、それは人類がまだ言葉を持つ以前からあったものなのかもしれません。
自然の中でそこここに跋扈している精霊たちとの交流を通じ、からだから呼吸と共に発せられる豊かな声の響きや共鳴による世界の変化を直感することで、シチュエーション別に音韻を使い分けるようになったのが、そもそもマントラの始まりだったのではないかと思われます。
認知考古学者のスティーヴン・ミズンは、著書『歌うネアンデルタール』の中で、ネアンデルタール人が歌を歌うようにして表現し感情を伝えていた「プロト言語」のことをHmmmmm(ヒムーン)と名付けていますが、これこそがまさにマントラの原型なのではないでしょうか?
そしてサピエンスとなって「こころの萌芽」が起こり、言語を獲得した後にも、ヒトはまわりの世界のものものにその音の響きによってふさわしい名前を与え、シャーマンたちは声の響きが持つパワーによって自分自身の魂を動かしたり、精霊や神々とコミュニケーションしたりしていました。

声や言葉の波動が持つエネルギーは、人類に共通するユニバーサルなものとしてあり、日本でも「言霊 ことだま」として古来より知られてきました。
その中でインドのマントラは、三千数百年前のヴェーダ時代から、聖典の本集である「サンヒター Saṃhitā」にまとめられ、ブラーフマナ(婆羅門)の祭式で活用されてきた伝統があり、今もなおヨーガの実践など様々な場面で受け継がれています。
インドにおける最古のマントラは、『リグ・ヴェーダ』のサンヒターに記された太陽神サヴィトリへの賛歌であるとされ、「ガーヤトリー・マントラ」と呼ばれます。
宇宙の始まりの音を表す「OMオーム」で始まるこのマントラは、
「Oṃ bhūr bhuvaḥ svaḥ tat savitur vareṇyaṃ bhargo devasya dhīmahi dhiyo yo naḥ pracodayāt」
というもので、「太陽のめぐみを与えてくださる究極的存在に感謝し、そこに融合することができますように」と願う言葉です。

マントラmantraという語はサンスクリット語のman(心/考え)とtra(道具)から成り立っています。
つまり「考えるための道具」としての「言葉」そのものがマントラです。
言葉は意識と現象を媒介する力を持つものであり、ブラーフマナの祭式では神々への帰依や祈願の聖句として、招福災徐のためのマントラが使用されていました。
婆羅門たちはマントラを正しく発することにより、神々や天地さえ動かすことができると考えられ、マントラの力は祭式者たるブラーフマナを頂点とするヴァルナ(四種姓)制度を古代インド社会に定着させる大きな要因となりました。

仏教ではその当初、ゴータマブッダが「マントラは呪術的行為である」として禁止していましたが、紀元前後マハーヤーナ(大乗)の成立以降に取り入れられ、『般若心経』など数々のマントラ経典が作られるようになりました。
7世紀頃マントラヤーナ(真言乗=密教)が盛んになると、ヴェーダの神々が流入し融合することでホトケの世界が大増殖を起こし、無数の如来や菩薩、明王、天部などが泡沫のように生まれ出で、それらのホトケたちそれぞれに対応するマントラ(真言)が作られました。
また朝の目覚めから着替え、食事、排便、痔の治療、眠気覚まし、果ては経を読み間違えた時の訂正用まで、ありとあらゆる用途のマントラが考え出され、修行生活の中で唱えられるようになりました。

『阿弥陀経』によれば、阿弥陀仏(ブッダ・アミターバ)の光明は極楽浄土より東西南北上下六方の三千大千世界(sahāサハー 娑婆)を照らしており、それぞれの世界にはガンジス川の砂粒の数(1恒河沙=1052)ものホトケたちが存在しているということです。
「愛と勇気だけが友達」のT Vアニメシリーズ『アンパンマン』には、2009年時点で1768体のキャラクターが登場し、ギネス世界記録として認定されましたが、ホトケのキャラクター数は遥かにそれを上回っています。
ホトケバブルとも呼べるようなこのカオス的状況は、インド仏教界において諸仏の世界の新たな秩序を訴求する動きを触発し、ホトケたちの階層や位置付けが考え出されて、それらを配置するための土壇が造られたり、図絵が描かれたりするようになりました。
この土壇や図絵は「まるいもの」という意味で完全性や本質を表す言葉である「mandala マンダラ 曼荼羅」と呼ばれ、その円満の座の中心には大日如来(マハーヴァイローチャナ 摩訶毘盧遮那)が鎮座することになりました。
大日如来は永遠不滅の真理そのものであるとされ、ここにおいて仏教の中尊は始祖であるゴータマブッダから、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーやリグ・ヴェーダの太陽神サヴィトリを彷彿とさせる「宇宙の絶対的真理=大日=毘盧遮那(ビルシャナ)」へ転換したのです。

マンダラには仏土におけるホトケたちの生態が、非線型の複雑系あるいは入子状のホロン系として描かれ、「ホトケスフィア=仏圏」とも言うべき入り組んだエコロジカルシステムを直観的に理解できるような構成になっています。
マンダラの中でホトケたちは「摩訶曼陀羅華 まかまんだらけ」と呼ばれる大きな白蓮華の花々に囲まれています。
天の中心にそびえる須弥山の山頂には、高さ百由旬(1,400km)の巨大な曼陀羅樹があるとされ、その花弁は天上界に降り注ぎます。
ゴータマブッダが菩提樹の下で成道した時には、「摩訶曼珠沙華 まかまんじゅしゃげ」と呼ばれる大きな紅蓮華や普通の曼珠沙華、曼陀羅華とともに、摩訶曼陀羅華の白い花びらも天上から舞い降りて来たとされています。
摩訶曼陀羅華が舞い散る荘厳華麗な極楽世界に遊ぶ無数のホトケたちの姿を、地上において表現したものが「マンダラ」なのです。

インドにおいてはマンダラというホトケの世界は、バブルが弾けるが如く仏教もろとも消滅してしまいましたが、ネパール、チベット、東南アジア、中国などに伝えられる過程で、様々な形やデザインのマンダラが造られるようになり、そのヴァリエーションを増やしていきました。
チベットでは2万体のホトケたちが配置された「チョルテン」という仏塔形式のマンダラが造られ、世界最大の仏教遺跡であるジャワ島のボロブドゥールやカンボジアのアンコールワットも、超巨大な立体マンダラとして建造されたものだとされています。
こうして広く世界各所で造られるようになったマンダラは、インド的思考や仏教の枠にとどまらない人間の普遍的な宇宙観を表しているともされ、あらゆる直観的イメージの源泉ともいえるものです。
次回はこの普遍的イメージとしてのマンダラアートとマンダラセラピーについてです。

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