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雑誌を作っていたころ052

青人社倒産

 開業準備をしていたころは、古巣の青人社がどうなっているのかが気にかかっていたが、「開業マガジン」がスタートし、VICSのムックも同時並行で作り始めると、とてもじゃないがよその会社に気を回す余裕など消え失せていた。

 しかしその間も、青人社に巣くった病魔は拡大し続けていたようだ。ある日、誰かが「潰れたらしいですよ」と言ってきた。自分も一員として設立に力を注いだ会社が、ついに息絶えたのだ。それと同時に、社長の青山氏と、前社長の廣瀬氏が行方不明になった。

 なぜ彼らが逐電したのかは、やがて判明した。2人とも、国民金融公庫と東京都信用保証協会からの借金で連帯保証人になっていたからだ。ぼくもそうだ。さらにぼくと廣瀬氏は学研からの借金の連帯保証人でもあった。こちらは公正証書を取られている。

 数日後、ぼくの銀行口座が凍結された。青人社のメインバンクであった住友銀行荏原支店に口座があったのだが、公的融資がその銀行を経由してなされていたため、「自動的に」取られた措置だという。

 最初は何が起こったのかわからず、荏原支店の担当者に問い合わせて、やっとそのからくりがわかった。理屈はわかったが、それではこちらも潰されてしまう。かんかんに怒って銀行に文句を言い、あちこち相談に回った。内容証明郵便も送った。

 借金の内容は、金融公庫が残り70万円、保証協会が1500万円、学研が3000万円。いくら連帯保証人だからといって、とても個人で払える金額ではない。がしかし、保証協会の取り立ては家にもやってきた。学研の社員は悠々社にやってくる。

 結論からいえば、3つとも処理した。金融公庫は廣瀬氏の後見人と相談して折半して払い、保証協会とは交渉の末、毎月わずかずつだが払うことにした。学研との交渉では、旧知の中山氏に間に立ってもらい、金額を圧縮して精算した。足りない分は「開業マガジン」に学研のCAI教室の広告を無期限で無料掲載することにした。

 青人社をやめるときに、もっと強く保証人から外してもらうことを主張すればよかったのだろうが、代わりの人を立てない限り、連帯保証人は抜けられない。当時、潰れそうな会社の連帯保証を引き受ける人など、どこにもいなかった。この時ほど連帯保証人制度の無慈悲さを痛感したことはない。

 この時以来、悠々社にはずっと金の苦労がつきまとっている。会社を設立したときに、うっかり貧乏神を招き入れてしまったのだろうか。

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