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言葉の表現 グラデーション

仕事の帰り道。
通りすがりの女子高生の会話が少しだけ聞こえてきた。
芸能人の顔の濃さを表す表現で、塩顔とかしょうゆ顔とかソース顔とかあるけど、どの芸能人がどれに当てはまるか、を楽しそうに話していた。
昔の言葉だと思ってだけど、今の子も使うのか。

自分に置き換えてみると、そんな風に考えたことがあるだろうか。
顔が濃いとか薄いとかを考えたことがあるけど、細かく分類まではしたことがないかもしれない。

雑誌とかで今でも言われるのかわからないけど、顔の特徴や表現として、誰にでも分かりやすくイメージの言葉としたのが、塩顔といった表現だと思う。
そうすると顔に関する表現において、グラデーションが出てくる気がする。

濃いや薄いだけじゃなく、塩やしょうゆやソースになると、一気に個人の主観も個性も出てくる気がする。
そして、その分類すらも、人によって、塩顔なのかしょうゆ顔なのかの境目があいまいになるし、ブレンドもあるのかもしれない。
一般的であるが、その分類は個人に委ねられるイメージだ。
多くの人が共感しやすいが、その詳細は、一人一人異なるし、イメージの濃淡が生まれるのだと思う。

その濃淡やグラデーションはどういった表現をされるのかと考えると、あくまで感覚の問題かもしれないが、何かを表すとき、どれだけ言葉を知っているかが大事なんだと思う。

さまざまな体験や経験を言葉や文字などにどのように表すことができるのかが、大切だ。
文字を紡ぐのであれば、言葉を知らなければ表現することができない。

noteを書き始めて、改めて自分の語彙力がないことに気づく。
自分の言葉でうまく言葉や文章に表すことができない。
頭の中に言葉はあるのに、その言葉を文字で表すと、大きな乖離や齟齬が生まれる気がするのだ。

自分の感情や感じたこと考えたこと、それを言葉にすることがどれほど難しいかとか考えさせられる。

だからこそ、好きな作家さんの表現や自分では思いつかないような言葉遣いに、とても、とても憧れるんだと思う。

表現力や語彙力、これらは一朝一夕で身に付くものではない。

それでも自分にしかできない表現をしたいと思うし、私だけの言葉を紡いでいきたいと思う。

どうしたら、その人にしかない表現ができるのだろうか。
オリジナルティーが溢れるんだろうか。
その人が、個性的だから?、オリジナルになるのだろうか。
いやそうではないだろう。

多分その人らしさやオリジナリティーとは、その人の心からの言葉ではないだろうか。
その人が感じて思って考えて、心の底から思った言葉だから、その人にしかない表現になるし、オリジナルになるんだと思う。

今この書いている言葉も、ネットにアップしたら、AIの材料にされてしまうかもしれない。

それでも、人が書いた言葉や文字や表現は、魂が宿るのだと思いたい。
その言葉にはその人にしかわからない想いがあるはずだ。
だからこそ、その言葉や文章ははきらめいて、伝えていけるし、たくさんの人の心に残るのだと思う。

世間一般において、自分自身というか、自分と言う存在はオリジナルで唯一無二な存在だと言われる。
でもそれを心の底から、実感する事はなかなか難しい。

だからこそ、自分を卑下するのではなく、自分を肯定することができるような言い方で自分自身にいい聞かせる。

失敗したって大丈夫だよ。と自分自身に言い聞かせる。

そして、自分の言葉で表現したり、言葉を文字を入力して、アウトプットし続けたい。
それは塩顔やしょうゆ顔やソース顔といった一般的でもあり、非常に個人的な表現かもしれない。

そういう個人の主観でしかない表現でも、自分の思いや考えを表現して、グラデーションみたいに表していきたい。

私にしかできない表現をやっていきたいのであれば、とにかく言葉を紡いでいくしかないのだ。
自分自身をさらけ出すことや自分だけの表現をしようと思うと、とても怖く、いつも足踏みをしてしまう。
でも、自分の尖った部分や感性を、世界や外にアウトプットしていくことが、自分自身を唯一無二の存在であると、自分自身が納得する一つの手段かもしれない。
だからこの自分自身の尖っているところや恥ずかしい部分も、とにかく今は、磨いていく。
私が思っていることを言葉にする。
ただそれだけで何か変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。

それでも、2024年も馬鹿みたいに言葉を紡いでいきたい。

自分でも書いていて、よくわからない文書になってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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