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一年に一度会う、親友の言葉に助けられた話

23歳にもなると“親友”という言葉はそう簡単に使わないし、そんな存在になるひともなかなか現れない。

大学進学とともに地元和歌山を離れ上京して5年ほど経つが、地元の友達に会う機会はすっかりなくなってしまった。大学や専門学校へ進んだまわりの人たちは和歌山を離れても大阪や京都を選ぶことがほとんどだったからだ。その事実に、寂しさよりもスッとした気持ちがある。一年に数回帰省したって、会う友達はひとりかふたり。上京をして自分のドライな部分を知ることになった。

そんな私だけど、今でもずっと、会う人がいて、その子は『くみ』という。偶然にも私のお母さんの名前も“くみ”という名前で、はじめて名前を知った高校一年生の頃から妙な親しみを感じたような気がする。気がするだけで正直覚えてはいないけど。

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今年の11月あたま、実家の手伝いをするため、帰省をすることが決まった。Twitterでくみのつぶやきが目に止まる。「あ、くみに会いたいなぁ」と反射的に思った私は即座に連絡をする。大阪で仕事をしている彼女となら、帰省中にどこかで会えるだろうな、会えると良いなと思いながら。

夜行バスが朝8時に和歌山について、その数時間後、11時30分に会う約束をした。当日、移動疲れなんて吹っ飛んでしまうほどくみに会うのをたのしみにしていた。

駅でまちあわせをして、約1年ぶりに会うくみは少し痩せていた。社会人になってひとり暮らしをはじめたらしい。仕事からかえってきて夜ご飯も食べないで寝てしまう生活をして繰り返していると自然に痩せたという。

シャッターだらけの商店街にある昔ながらの喫茶店に入り、くみはオムライスとミックスジュース、私はタマゴサンドとウインナーコーヒー。ああ、ふたりとも高校生のときから卵がすきだったな、と懐かしいきもちになっていたら、こんなことを言われた。

「お弁当のとき、千晶ちゃん、いつも玉子焼きいちばん最後に食べてたんなつかしいなぁ」

この子のこういうところが本当に好きなんだよなあ。と感じながら、近況報告とか、仕事をしながら思うこととか、いまの恋人はどんな人だとか、の話をした。将来はなんとなく不安だけど、他愛もない話をしながらなんでもない日常を写真にのこしていた高校生のときとは違う話。ああなんだかふたりとも大人になったのかもしれないなとしみじみ思った。

病院で働いているくみは、毎日おなじことの繰り返しで嫌だなと思うことのほうが多いと言う。嫌だと思いながらでも一生懸命仕事をしていてすごいな、えらいな、私は毎日安定しないなと、現状をはなしながら比べてしまう。そんな私に彼女はこう言った。

「千晶ちゃんは相変わらずいろんなことを始められるのすごい。やろうと思って行動にうつすまでできる人はなかなかいないもん。高校生のときからずっと思ってたけど、くみにはできやんなぁ。」

その言葉にはっとした。思えばこの一年間なんて、ジタバタしながらも前に進むというわけでもなくて、バタバタするだけで同じ場所に停滞しているような年だったと自身で決めつけていた。

社会人になって8ヶ月、自分の意思も将来もなかなか明るい方に結びつけることができなくて、毎日、あのときもっと頑張っていれば今の私は違うものになったのかなとか、大学の同期たちは今頃がんばれているんだろうなとか、常に焦燥感と後悔が肩にのっかっているようだった。

でも、じつは、そんなのこの一年に限ったことじゃなかった。高校生のときから芝居を学んだり、周りに絶対無理だと言われた大学を目指そうと、ひとりで何度も東京へ足を運んだりした。

昔から私を知ってくれている、くみの言葉で、ジタバタとしていた社会人の自分を受け入れてあげるられるような気がした。包み込んでもらったような、背中を押してもらったようなそんな気持ち。

優しくてあたたかい言葉をくれた彼女も、本当のきもちを言葉にするのは苦手だと知っていたから、うれしかった。普段、心の中にあるきもちを口に出して伝えるのは不得意な私でも、そのときは、はっきりと感謝と素直なきもちを伝えることができた。彼女の勇気に応えるように。

「ありがとう。くみのその言葉でまたがんばれそうやわ。」


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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。今回のnoteは、みずのさんに少しだけお直しをお願いしました。ふわっと読みやすい文章にしてくださり、大感謝祭です。



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