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やりたくない、せめて楽したい

生きているからには、やらなければ、行けない事というのは少なからずあります。入浴、食事、排泄、仕事、勉強、歯磨きなど他にもあるでしょうが、細かくは各々の環境によっても異なるでしょう。
 
入浴、食事、排泄等は本能的に身体が欲するためにそれ自体は比較的苦労もなく行う事が出来ます。しかし、仕事、勉強となると多くの人は大事でもあり、面白い事もありますが、だからといって中々進んで取り組む事はできない事も多いのでははいでしょうか。

1.習慣

 習慣程、嫌な事を楽にする事はありません。あまり書きたくない内容ですが、虐待されている子供もそれが日常化される事により、反抗すらしなくなると言うのです。辛い思いを諦めると言った事も生じるのでしょうが、段々とその辛い日常に慣れてくるようです。
 
辛いのが辺り前と言う事でしょう。あまり考えたくもないのでそこら辺にして、我々大人も嫌な事や辛い事、されどやらなければならない事はあります。
 
それが、人によっては仕事であったり家事であったり、資格取得の勉学であったり、人付き合いであったりと色々でしょう。
 
しかしそれも習慣化すれば、徐々に楽になっていくはずです。決められた時間に決められたタイミングで、しばらく続けるのです。どうしても嫌々やっている事意外は、徐々にやらなければ気持ち悪くなりますから。

そもそもどうしても嫌な事はやる必要ありません。人生には限りがあるので、自分がやりたい事の為や大事な誰かのため意外に、やりたくない事をやる必要はないはずです。
 
習慣でいうと例えば、このnoteも私は毎夜10時~11時に執筆しております。好きでやっているので元々あまり苦ではないですが、習慣化する事によりもっと楽に、楽しくなりました。

2.主体的にやる

娘が日記1つ書くのに、物凄く反発します。
『何の意味があるんだ!誰ちゃんはやってない!書く事なんてない!書きたくない!』と大騒ぎです。
 
考えてみれば、私も子供の頃は『やれ!』と言われた事はやりたくありませんでした。宿題、勉強は大っ嫌いでした。やらないから『やれ!』と言われるのですが、『やれ!』と言われる事によりもっと嫌になったのかもしれません。
 
仕事も基本的には『やれ!』でした。介護士やケアマネージャーの仕事はそこまでガツガツしておりませんでしたが、営業の仕事は体育会系で『やれ!』の一言と言っても過言ではありませんでした。
 
勿論、嫌々ながらやりました。
 
結局、勉強にしても主体的に動くか、受動的に動くかによって少しはやる気、モチベーションに違いが出てくるのです。
 
やっぱり主体的にやるのが一番、本人に取って楽である裏付けではないでしょうか。

3.嫌な事は習慣化

嫌な事をやらなくてはならないのですから、主体的にはできません。そうは言ってもやらなくてはならない事もあります。出来れば楽にやりたいものです。
 
そんな時、習慣化というのは非常に助け船になってくれます。面倒なのですが、決められてあ時間やタイミングで習慣化する事で徐々に苦でなくなってくるのです。
 
そのメカニズムまでは詳しく説明出来ませんし、するつもりもありません。何となく皆がわかっている事だとも思います。
 
何はともあれ、嫌な事はやらないか、それでもやらなければならない嫌な事は習慣化してしまいましょう。そして誰かに言われるのではなく主体的に行っていきたいものです。言われると嫌ですから。




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