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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ⑥「8 1/2」その1

“はっかにぶんのいち”と読むらしい

イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの8と2分の1本目の監督作(半分だけ監督したものも含むため)。

「失恋する私の為の人生見直し映画コラム」を書いていこうと思い立った時、最初にやったことは、ネットで宅配DVDレンタルの会員になり、頭に浮かんでくる思いつく限りの映画のタイトルを、次々と「お気に入り」のリストに入れていくことだった。

このコラム①の「モンテネグロ」②の「コカコーラ・キッド」はDVD化もされてなくて、中古ビデオテープを手に入れる方法しかなかった。今回の「8 1/2」もその時点ではレンタルはされてなく、なんらかの形で購入するしかなさそうだったが、後回しにした。

コラムに書いてきたのは、過去の自分に強烈なインパクトを残してくれた作品ばかり。最初からこれも候補に入れていた。だがいかんせん難解な作品ではある。そして140分の長丁場(多くの映画は100分前後に収められている)。かなりの集中力が求められる。いつかは書こうと思っていたが、そのいつかがいつ来るのかは自分でもわからなかった。

そのいつかは、唐突にやってきた。少し時間ができたので(蔓延防止措置などの影響が仕事にも影響し始めた為であるので手放しには喜べないが)、そろそろ見るだけでもと思い“はちとにぶんのいち”と検索したところ、なんとDVDから一足飛びにブルーレイがレンタル可能となっていたのだ。

そして、タイトルの読み方は、公開された1963年頃は“はっかにぶんのいち”だったので正しくはこっちらしいと知る。そういえば分数をこんな古めかしい読み方で教える年配の先生いたなと思い出し、こっちの方がしっくりくると思った。木造校舎にポットン便所(分かりますか?板だけが渡してあって、下が見えるやつですよ)、黒板に白墨の匂いがしてくるようだ。

私の生まれる前に製作された映画だが(ちなみに私は67年生まれ)、これを始めて見た大学生の時、そして現在も古さはまったく感じなかった。今なお、映像は斬新さを保っている。しかし内容の方は、一度見ただけで理解できて人に説明できる人は少ないのではないだろうか?

半分しか見てないのにベスト10に入れていた映画

大学時代「映画研究会」に入っていて、四年生の頃に「マイベストテン映画」を各々披露し合った。その時、私はその中に「8 1/2」も入れていた。その後のある時の記憶とセットになっているから、間違いないだろう。

それは、卒業してからフリーター生活を送っていた頃、ある名画座のアルバイト募集を知り、面接に行った時の記憶。募集要項には、好きな映画を何本か履歴書に書いてくるようにとあったので、大学四年生の時に選んだ「マイベストテン映画」を参考にし、散々考えた挙句(どれもマニアックすぎる感じがしたので)、「8 1/2」なら間違いないだろう、名画座にふさわしいはずと考え記入して、面接に臨んだ。

しかし、いざ面接が始まると心配になり落ち着かなくなった。「8 1/2」について何か聞かれたらどうしよう、と。実は最初に見た、大学二年生か三年生の時、おそらく半分以上寝てしまっていて、全貌はわからずじまいだったからだ。冒頭のシーンと所々起きて見ていたシーン、そして有名な「みんな輪になって踊る感動の」ラストシーンしか覚えていない。それでも覚えていたところのみを繋げ、自分流に解釈したものでも十分感動できて、私の中ではベストテンに値するものとなっていた。だが、そんな顛末を面白おかしくアピールできるほど、当時の私は世慣れてはいなかった。

結果的には、好きな映画については何も聞かれず、面接は不採用になって終わったのだった。何か私の気持ちの臆する部分を見破られたのかもしれない。

ラストシーンはズルイ

少々乱暴だが、ラストシーンのみを見た人でも、この映画を見たことにしてもいいのではないだろうか?そして、これから私はラストシーンについて書いていくが、どんなに詳しく書いても、いわゆるネタバレにはならないから安心して下さい。私も今回始めて見たが、予告編=ラストシーンだからなのです。だからこの映画に興味のある人は初めから、ラストシーン見れます。

何故ズルイのか?それは人々がフェリーニの映画に期待するものが、全てそこに詰め込まれているから。

海辺の砂浜、ニーノ・ロータの音楽、演奏するサーカス団の人々、躍動するマルチェロ・マストロヤンニ、輪になってにこやかに踊る美しい女優たち。

これを見ただけでも何故か元気が出て、涙してしまうから。

あとは、どうしてこういうラストになるのかな?という映画の見方になっていくが、大学時代と今の私ではさすがに今の私の方が、より深く理解できた。繰り返し見れたということと、登場人物と年齢が近くなってきたからというのもあるだろう(正確にはとっくに追い越している)。

しかし、半分寝ていたとしても、大学時代の私の勝手な解釈もあながち間違っていたわけではなかったと思う。

ラストシーンでさえも、リアルな現実というものではなく、おそらくフェリーニ自身の人生に対する願望、理想なども盛り込まれているのだろうと私は解釈した。そう思えたのは、この映画を始めて見た当時の私も「いろんな人間関係が、最終的にこのラストシーンのようになれれば理想的なのになあ。」とため息をつくような、身につまされる出来事の渦中にいたからだった。

愛はバトルだ。

大学に入ってすぐのポカポカ陽気の昼下がり、私はふと(この時は本当に前後の脈絡などなかった)構内を一人で散策してみようと思い立った。小中高を通じて、テレビドラマ大好き少女だったので、脚本や何かを研究するようなサークルがあれば、入りたいけどなあとぼんやり考えながら。そして、色々なサークルの新入生勧誘のための立看板が立ち並ぶ中、ある一つの看板に異様なまでに吸い寄せられていた。

よく「始めて会った時に、私はこの人と結婚すると直感しました。」みたいな話があるが、私にとってこの看板との出会いが、それに匹敵するくらい、大きなものだったと感じる。

なんてことはない、普通の「映画研究会」の立看板なのだが、そこに書いてある言葉に惹きつけられていた。「見ているだけではつまらない」と。

映画自体には今までほとんど興味がなかったのに、何故か運命的なものを感じそのサークルにその日に入会しに行った。

それと同時に私はそのサークルの先輩に秒で恋に落ちた。初恋だった。ただ神様は意地悪で、神がその時私に与えたものはあくまでも「映画」であって、「先輩」ではなかったのだと後々知ることになる。

長く辛い「片思いというトンネル」にうっかり入ってしまった私だが、まだ部員も少なかったため、「推しの独占状態」はそれなりに幸せで平和だった。しかし、それは長くは続かなかった。

2ヶ月くらいのち、相次いで、偶然にも私と同じ学部の女子二人が入会してきたためだったが、わあ苦手なタイプの二人だなあと、思ったものだ。

二人とも「通い」の子たちだったのだ。

入学して少し経つと、私は、同じクラスの女子は二つのタイプに分かれると気づいていた。京都の大学だったが、私のように地方出身者で「下宿」している子と、家から通ってきている「通い」の子。どちらかというと「通い」の子の割合が多い印象。

何が違うかというと、もう圧倒的に垢抜けているのは「通い」の方。バイトしてもお小遣いは全部洋服代や遊ぶお金になるのは羨ましかった。そして、なんといっても、関西弁をネイティブに喋れるか喋れないかという違い。「通い」の子はいつも何人かでつるんでいる印象があった。関西弁圏の人々の仲間意識は確固たるもので、よそ者は最初はビビってしまう。「通い」の子を前にすると私は劣等感の塊になってしまうのだった。

そんな、二人の女の子もどうやら先輩に目をつけた様子。その日から水面下で、三人のバトルが始まっていった。とはいっても、私は二人とは同じ土俵で戦っても無理だと早い段階から悟ってしまい、なすべきもなく戦意喪失していじけていた。

そんな中、二人は抜け駆けを繰り返し、それなりに小さな戦いには勝利していったよう。二人きりになるとか、相談事を持ちかけるとか。

私は、自分の土俵とは何か考えた時、やはり映画だなと思った。残念ながら二人の女子は映画自体にはそれほど興味はなかったみたいだから。私なんて女としての見た目も劣るし、どうあがいても、妹みたいな存在止まりだものな。そこで、ほとんどなかった映画の知識を得るため、まだ見てない有名な映画をたくさん見ていこうと思いたったがため、現在の私がある。

ゴダール、フェリーニ、今村昌平、寺山修司等々、寝てしまってあまり覚えてない映画もあるが、とにかくいろんな映画を見るだけは見た。先輩に少しは褒めてもらいたかった。しかし、現実は甘くはない。少女漫画のように「よく頑張ったな、頭ポンポン❤️」みたいな瞬間はとうとう訪れなかった。先輩はひたすら、私には無関心であった。

一度、二人が私の下宿に泊まりに来たことがあった。サークルの行事の準備で遅くなった時だったっけ。私の下宿は女子専用の、相当古い木造の民家を下宿用に少し改装したもので、部屋は京間の4畳半。風呂、トイレ、台所は共同。隣の部屋とふすま一枚しか仕切りがないような状態のお世辞にも立派とは言えない環境だった。それでも二人は、「下宿」生活に興味津々だったみたい。思ったより、楽しそうで、夜はこたつ布団も引っ張り出しての雑魚寝だったが、横になってからもやはり話は先輩の話題になるのだった。

話してみると、小さな勝利を収めてきたような二人も、実はそうじゃないんじゃないかと思えてきた。何か、お互いのことをむやみに褒めあったり、自分を卑下してみたりして、まだ、お互いの腹を探り合っているような、完全に気を許してない感じがした。

そして、事件は起こった。寝る前に化粧を落としたいと二人が言ってきたが、私はその頃まだ化粧はしてなかったので、化粧道具を持ってなかった。クレンジングが必要という知識すらなかったのだ。隣の人に借りようという機転もきかず、謝って、そのまま寝てもらうことにした。

翌朝、私の狭い部屋は、彼女たちのつけている化粧品の匂いで充満していた。化粧を完全に落とさないで寝た肌の上に、またファンデーションを塗り、化粧を始めていたからだ。完全武装という言葉が頭をかすめた。これからまた三人でサークルの行事に出かけるのだが、そこが彼女たちには戦いの場なのだ。朝の光に照らされた一人の子の肌は、可哀想にひび割れた塗り壁のようになっていた。ここまでしないといけないなら、私は降りる。争いごとが苦手な私はすぐにいろんなことを投げ出してしまうのだった。

聞いてみると、彼女はS社の化粧品を使っているらしかった。当時若い女性のほとんどが、このS社かK社のものを使っていたはずだ。しかし私はこの出来事が意外にもトラウマになっていたようで、何年か後に必要に迫られ、化粧品一式を買い揃えなければならなくなった時、迷わずK社のものを選んでいた。以後も一切S社のものは買っていない。S社の製品にはなんの罪もないのは断っておきたい。

その後はまた別の戦いも

しばらくすると、彼女ら二人は、一つしかない愛を得るための戦いに疲れたのか、飽きたのか、あるいは深い痛手を負ったのか、サークルには顔を出さなくなった。

私にとって、二人はライバルで邪魔者だったので、悪意のある書き方をしてしまったのだが、今は彼女らの気持ちも分かる。

まずは、好きな男の人の前で少しでも綺麗でいたいなんていう気持ちはいじらしいではないか。まだみんな19才だった。都会育ちで、私より大人っぽくても見た目だけ。自信のなさは私と同じだったんじゃないかな。

私は「通い」の子達の華やかさが羨ましかったけど、彼女らは逆に「下宿」の子の持つ自由さみたいなものが羨ましかったのかもしれない。

だが、当時はそこまで考えが及ばず、私だけは、片思いの辛さに苦しみながらも、意地汚く先輩のまわりをウロウロしていた。

解決策も見つからず、二年ほどもたった頃、この問題は劇的な展開を迎える。

私に人生初の彼氏と言ってもいい人ができたのだ。「捨てる神あれば、拾う神あり」まずこの言葉が浮かんだ。今まで普通に友達だったのに、ある日を境に、急接近して、恋人になった。

本当に幸せな瞬間。今までの辛さなんか一瞬で吹きとんだ。先輩のことも頭からすっかりなくなった。現金なものである。

しかし、その後はまた別の戦いが待っていることもほどなく知る。恋を手に入れるまでの幾日かに、非現実的な高揚感があればある程、そこが喜びの頂点となり、あとはどんなに頑張ってもそれ以上の頂はやってこない。一度手にしたものを失っていく怖さなど、目に見えない敵が次々に現れる。

友達の時はあんなに楽しかった彼とのおしゃべりも、そうなってしまったらちっとも楽しくなかった。食事の時も無言で向き合うだけ。わけのわからない気まずさ。理想の恋人同士ってどんなもの?正解がよくわからない。もっと甘えたりしたいのに、好きな人にはよけいに心を開けない素直じゃない自分も情けない。

この後、彼が新しい恋人を作り、六ヶ月程度で失恋という形になってしまった。正直、私自身もこの「つきあっている」関係を維持するのに疲れ果て、この戦いに白旗をあげたかったのでしょうがなかった。

「人生は祭りだ。ともに生きよう!」

大学に入ってから、わずか数年のうちに、恋愛にまつわるいろいろな人間関係が怒涛のように押し寄せたせいで、私は以前より、無気力な人間になっていった。

私に好意を持ってくれた人の気持ちを受け止められずに、その人を傷つけてしまったりとか、幸せそうな恋人同士を妬んだりとか。好きでもない子に追いかけ回された先輩のストレスだって、相当なものだったろう。ほんのちょっびっとだけの恋愛の幸せを望むだけで、ありとあらゆるマイナスの感情が、もれなくついてくる。

こういう時期に見た映画だから「8 1/2」を単なる恋愛映画のように都合よく解釈してしまった。

妻と愛人の間を揺れ動く主人公が、両方と共に生きようと決意する。そんな単純なラストシーンだと。

フェリーニの分身のような主人公がラストシーンでこう言う。

「理想と違うがもう混乱は怖くない。人生は祭りだ、共に生きよう。今はそれしか言えない。」

そして、みんなでにこやかに輪になって踊る。

これで何かが解決するわけでもない。ただ、こんなふうにみんな仲良く生きていければよかったな。恋愛感情が介在しただけで、気まずくなって、疎遠になっていった人たち全てと。

これを見た当時の私は、ただただ心からそう思って涙していた。

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