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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ⑦「(ハル)」

突然陽だまりのように

それは、昨年の、ある冬の日の朝だった。もう木枯しが吹く頃だったが、この日は太陽が出ていて、寝室のある二階のカーテンを開けると、陽だまりができた。少しゆっくり起きてもいい日だったのに、うっかり早起きしてしまい、時間を見るためになんとなくテレビをつける。そうだ、せっかく早起きしたのだから、大好きな「石立鉄男」のドラマを見よう(早朝よくやっていますよね)と、契約している映画専門チャンネルにチャンネルを合わせた。つもりだったが、寝起きだったのでうっかり違うチャンネルを選択してしまった。そして私は、あれ?と思った。

昔、見たことのある映画が映っていた。

「(ハル) 」。

寝起きの頭でぼんやりと見続けていた。こんなシーンあったんだな、と思いながら。

奇妙によく覚えている映画だった。学生の時、映画研究会に入っていたこともあり、結構な数の映画を見てきたと自負している。ただ、映画の内容や、それを見た時の自分が俯瞰で見えてくるほどのインパクトを、後々まで記憶している映画は案外少ないものだ。

しばらくして、コマーシャルが入る。映画専門チャンネルだから、今後のラインナップのようなもの。「森田芳光70祭」という文字が目に入ってきた。そうかそういう節目だから、この映画なのか。彼の生誕70周年記念プロジェクトの一つなのだった。改めて森田芳光を検索してみると、2011年12月に亡くなっていたと分かる。2011年、この頃の自分はあまり映画を見なくなっていて、特に日本映画には興味をなくしていたので、一つのニュースとしてしか頭の中で処理されておらず、今になってやっと、亡くなってたんだ、61歳か、ずいぶん早いよな、と身に染みてわかってきた。そして、このコラムに書こうと計画していた他の何本かの映画は後回しにし、これを書きたいと唐突に思った。

相米派だった

私が大学生だった、1986年〜89年頃、日本映画界は相米慎二と森田芳光の二つの派閥、相米派と森田派があった。というのは私の乱暴な見方で、そんなものはなかったと、言われれば、簡単に却下する位の根拠のない説なのだが、それ位、この時期の二人には勢いがあったと思う。ライバルとまでは思っていなくても、お互いに意識していたのは間違いないだろう。

森田監督は、                              1983年ー「家族ゲーム」                       1984年ー「ときめきに死す」                     1984年ー「メインテーマ」                      1985年ー「それから」                        1986年ー「そろばんずく」                      1988年ー「悲しい色やねん」                     1989年ー「愛と平成の色男」                     1989年ー「キッチン」

相米監督は、                              1980年ー「翔んだカップル」                     1981年ー「セーラー服と機関銃」                   1983年ー「ションベン・ライダー」                  1983年ー「魚影の群れ」                       1985年ー「ラブホテル」                       1985年ー「台風クラブ」                       1985年ー「雪の断章 情熱」                     1987年ー「光る女」

この頃の二人の活動のすべてではないにせよ、監督した主な作品だけでもこれだけの数。今こんなペースで映画を撮ってる監督はいるのだろうか?(今ならVシネとかになるかも。)

私はこれらの全てを見た訳ではないが、当時は断然、相米派だった。 

中学生の頃見た、「飛んだカップル」で心を鷲掴みされ、「セーラー服と機関銃」も好きだった。とはいえ、見る映画に関しては気まぐれで、大学生当時、見ていたのは、その2本だけだった。(ずいぶん後に「魚影の群れ」「ラブホテル」を見てやはり好きだと思ったのだが•••。)こんなので相米派などと言えるのか?と思われる方もいるだろう。そのためには、何故森田派ではなかったかという理由を述べた方が分かりやすいのかもしれない。

長い謎解き

大学生の時、森田監督で見ていたのは、「愛と平成の色男」、「キッチン」のみ。この二つに関しては、「うーん・・・。」という感想だけだった。おそらく当時映画館のモギリをしていた知人にもらった割引券を使う時、見ることが可能な何本かの中から、これを見ようと選んだもので、どうしても見たいものではなかった感じもあった。ただ、こんな時、映画に関しては好き嫌いが多く、例えばホラー、オカルトなどの怖いものはダメ、戦争やバイオレンスなどを扱ったものもダメ、宇宙ものも好きではないとなると限られてくる。その点、森田監督のものは、見ておいた方がいいかなと、思わせる何かがあるのだった。良くも悪くも監督の個性というか。

そう、彼がすごいのはなんとなくわかっていたのだ。でも、どういうところが、というのをうまく言葉にすることはできなかった。相米監督であれば、彼の撮るもの悲しげな風景が好き、とか若い頃であっても言えたのに。

答えを出そうと思ったら、彼の代表作「家族ゲーム」を見れば、分かるのではないか?それはその頃からわかっていた気がする。でも見なかった。何故だったのか?

ちなみに「家族ゲーム」を見たのは、今年の春。(2022年5月)「(ハル) 」を見直した後のことになる。そして、私なりの、「映画監督 森田芳光」の答えがやっと出たのであった。完成してないパズルの失くしてしまった何片が見つかって、ようやくパズルが完成したかのように•••。

元はと言えば兄のせい

何だか「失恋」からも「(ハル) 」からも、逸脱した感じにはなってきましたが、最後には戻りますので、もう少し遠回りさせて下さい。

私には、兄がいて、兄の友達数人がよく家に遊びに来ていた。類は友と呼ぶというか、全員よく似たタイプの男子だった。中学生か高校生の頃はみんな眼鏡をかけていて、それを人差し指でずり上げながらしゃべるような感じ。といっても女の子同士のように、おしゃべりをして楽しむでもなく、何が楽しいのか、ただ静かに集っているだけなのだった。時折、歓声のようなものが上がったかと思えば、トランプのゲームとか、将棋のコマの積み木崩し等の知的な遊びに興じていて、「ほう、そうきましたか(笑)」と含み笑いをし、静かに喜びを分かち合っていたりする。

私としては、無邪気にその仲間に入れてもらえるような、雰囲気ではないし、そうしてはいけないような、少し距離をおいた方がいいような独特の、ある感じを抱きながら、そんな光景を見ているだけだった。私の理解の範疇を超えていた存在だったからだろうか。彼らは、将棋の金のコマ4つを何百回も転がして、何やらの確率を調べたりもしていたし。
「ドン引き」こんな便利な言葉が当時もあれば・・・。

少しのちに、こういう感じの人々のことを「オタク」と言うのだと知った。

さて、私も大学生になって、映研に入ったが、やはりこういう感じの人種はいた。男子の割合が多かったのもあるが、当時彼らの評価が高かった映画に「家族ゲーム」もあった。「森田の映画だったら、家族ゲームを見ておくべきだ!」と数人の先輩に言われ、どう素晴らしいか力説されたが、全く内容を覚えてないし、結果私はそれを見なかった。見たくなかった。

そう、別に映画が云々ではなく、元はと言えば、私の兄のせいなのだった。

そして「(ハル)」です

「(ハル)」は1996年公開の映画。どこで見たのかは全く覚えてないが、新しく広い映画館で、もしかしてこの頃から出来始めていた、シネコンプレックスのようなところだったかもしれない。おそらく旅行中の少し時間がある時で、この映画を見に行ったと言うよりは、時間があるから何を見ようかと思った時に、これならいいかなと思って選んだものだと思う。

全く予備知識もなかった。ただちょっと意外な感じだった。大学を卒業してから十年が経ち、バブルも崩壊していて、世の中も落ち着いていたからだろうか、映画のポスターの深津絵里の顔などからも落ち着いた静かな感じの映画であることが予想され、バブル時代の何か、イケイケな感じの森田映画を見てきた私は「うん?」と思って見始めたのだった。

この頃の私は、29才。もし自分の人生の運勢表のようなものを作ったとすれば、最初の、そして、最大の谷底(もう落ちるところまで落ちて、ゼロスレスレでの低空飛行の状態)にいた。ドン底とはよく言ったものだ。

大学を卒業し夢を抱いて東京まで行ったが、早々挫折し、実家に帰って家の商売を手伝っていた時期。実家の商売といっても、超絶忙しく、決して楽はできなかった。そんな状態なのに、無責任にも、適齢期だから相手を見つけて結婚しろというような(田舎だから余計に)周りの無言の圧力もあった。休みもあまりないというのに。
まだ、上手に休みながら仕事をしていくというように、上手く立ち回ることも下手だった。
ほんと、どうせいちゅうねん、状態。
世間がそして家族が期待する29才の女性の型に自分をうまく嵌め込むことができなかった。そしてもう少し、これでいいと自分が納得できるまで、学習するネズミのようにジタバタ答えを探し続けていたかった。

現在55才の私は、今でも独身でこんなコラムを書いているくらいだから、恋愛の方もうまくできないまま年をとってしまった感じを残念に思うこともある。適齢期に結婚していれば子供も作れたりしたのに、と振り返ることもあったが、「(ハル)」見ていた29才の自分を思い出すとき、なんとなくではなく、自分の意志で選びとってきた道だったから後悔はしないでおこうと決めた。周りがどう思おうとその時はその時で一生懸命だったのだ。この映画の深津絵里の真っ直ぐ見つめる目は、その時の自分に誇りを持て、とでも言っているようだ。

「(ハル)」を見て、一番印象に残ったこと。それはどうして森田監督は、地方在住のなんだかこじらせていて、現状に不満があるがそれが何かも、うまく説明できず、日々鬱々と暮らしている適齢期女子の気持ちがよく分かるのかと疑問に思ったことだった。それはその当時の私と見事に重なっていた。

盛岡に暮らしている主人公の藤間美津江(当時23才の深津絵里)が主人公。芯が強くて真面目そうな表情が印象的。彼女は常に何か深く考えていて簡単には笑わず、私が今まで見てきた日本映画の女主人公とは全然違っていた。彼女は必ずしも自分の置かれている現状に満足できてなくて、職を転々としたり、引っ越しをしたり、婚活のようなものをしたり、そしてパソコン通信を始めたりして何とか現状打破しようとしていくことで物語は動いていくのである。

彼女の住んでいる地方都市、盛岡の風景の撮り方が、すごいと思った。正直、この映画を見るまで、風景描写は相米監督のお家芸、位に思っていたのに、森田監督もこんな悲しく、寂しい風景が撮れるんだ、と驚いた。そして都会が舞台の、クールでおしゃれな雰囲気の映画「愛と平成の色男」「キッチン」だけ見ていたので監督もそういう人だと勝手に決めつけていたが、地方都市の寂しい風景を見事に切り取る目を持っているのに感心した。

夜そんなに遅い時間ではないのに、暗く、ただっぴろい駅前の駐車場の風景。会社帰りの人が運動に勤しむフィットネスジムを窓から移したカット。これも東京のものよりも一段暗い明かりの中に浮かぶように撮られている。主人公、美津江が友達とカラオケをしているシーンも窓の外から撮っているが、これも周りの景色は静かで、少し暗めで、地方都市特有の感じがよく出ている。これも楽しい風景なのに、なぜか寂しく感じる。そして、美津江が父親と住んでいる庭の広い、隣と距離のある民家。街灯も暗いのであった。ああ地方の感じがよく出ているなあ、とここでも感動した。そして極めつきは、パソコン通信をし合う、主人公二人が初めて遭遇する、新幹線の線路沿いの田園風景。田んぼと畦道以外何もない。中心部はそこそこ都会だが、少し離れるとすぐ、こういう寂しい場所が広がっている。私の実家のある街も同じような感じなので分かる分かるこういう感じ、と当時もいちいち共感しながら見ていたことを思い出す。

そんな風景に囲まれた、地方在住地味系女子(村上春樹が好きだったりする)の物語。派手さはないが忘れられない映画になったのは、なんかリアルだったからだ。自分が渦中にいる時はその時代がどんな時代なのかなんて考えないで必死で走っている。だから、当時はこの映画を見た時のズシンときた気持ちをうまく表現できなかった。監督がその時の空気を見事にとらえているから、後々まで印象に残るのだと思った。

最近思い立って、まだ見ていなかった「家族ゲーム」もやっと見て、出た答え。それは、森田監督は常にその時代と共に、バブルの時は、その空気を、90年代にはまた新たな空気を、時々に応じて、リアルに映し出していくことの天才だったということ。

だから、いわゆる「オタク」なうちの兄や、その仲間、映研の先輩が好きそうな映画「家族ゲーム」はもうドンピシャでその当時の空気がつまっている作品なのであった。むしろ、みんなが登場人物の一人で、あの中学生の男子たちそのものであるかのようだった。

もう少し生きてほしかった

今回、見直した「(ハル)」のDVDの特典に森田芳光肉声インタビューがついていた。この映画公開よりもだいぶ後に収録されたもののようだが(DVD化する時)、どうしてこの映画を撮ろうと思い立ったかとかを語っていた。

やはり、彼の天才的なひらめきから生まれている映画だったとわかった。文字中心の映画を撮ったらどういう感じになるか?という発想から思い立ったということだったが、私は肝心のそのパソコン通信の部分よりも、違うところに感心してしまっていて、ああそういうことだったのかと今になってやっとわかった。あの有名なアメリカ映画「ユー•ガット•メール」(1998年公開)よりも、早く発想していたことになる。そう、彼はその時々の空気に敏感な為、人より常に一歩も、二歩も先を行っているようなところもあった。

考えてみれば、美津江を説明するときに、何だかこじらせている女子という言葉を普通に使ってしまっていたが、この言葉も2010年代に出てきたものだ。でも実際には、美津江のように若いうちから、そして90年代からこじらせ始めている地方在住の女子は存在していたのだ。私も然り。それを早々とこの映画で描いていることも、すごいことである。

ふと今彼が生きていて、「(ハル)」の続編を作るんだったらどういうふうにするかな、と考えた。主演の二人は今、深津絵里ー49才。内野聖陽ー53才。DVDのインタビューで森田監督はとにかく真面目そうな役者を使いたかったと語っていた。二人とも実際にも真面目な人たちなんだろう。今でも活躍している。23才と27才だったこの映画の時よりも、より魅力的になっているような気もする。

映画後半、深津絵里演じる美津江は、自分に一番向いていそうな職場、図書館で働くようになり、内野聖陽演じる昇は仕事を通して中国に興味を持ち、中国語を習うようになる。二人は実際に(パソコン上だけではなく)会うようにもなるが、さああれからどうなっただろう?

当時、中国は発展を期待され、日本企業の進出も目覚ましい頃だったが、今はまた違う局面だし、美津江の故郷、盛岡もその後地震の被災地となった。

森田監督に質問したい。二人は今どうなっていますか?

なぜ私もこのタイミングでなく、もっと早くにこんな気持ちにならなかったのか?そして、なぜ監督はあまりにも早くに亡くなってしまったのか?残念でならない。自分でこんなふうになっているだろうと、想像するのも楽しい。しかし、監督はきっと、その想像を遥かに超える発想から面白い映画を考えつくことだろう。そして彼のオタクなファン(私も)に含み笑いをさせなければならなかった。

「ほう、そうきましたか(笑)」と。



追伸 「コカコーラ•キッド」がUーNEXTで動画配信されているようです。以前私がコラムに書いた時は、ビデオテープを手に入れるしか見る方法はなかったのに•••。ともあれよかったです。ぜひ、見てまたコラムも読んでみて下さい。













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