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セーラー服と機関銃とセカンド・ラブ

日本人が一番多く使う言葉」にて松田聖子の楽曲を大いに楽しませてもらったと書いたが、音楽をガンガンかけられるのは車中であった。子供の頃はカーラジオしか無かったのが、カーステレオでカセットテープを流せるようになり、トンネルでも途切れないのにいたく感激した。大学二年生頃だったと思うが、親父が知り合いの車修理業者から安くチェリーを買ってくれた。

そのころ大学の寮は進駐軍のオンボロ平屋建ての集合から新築のマンション3棟に集約され完全個室となった。二年生にもなるとさすがにテレビを買っているので、入寮時に活躍したラジオカセットは出番は少なくなり、音楽を聴きたければドライブする方がいいに決まっている。おあつらえ向きに寮は中国道豊中IC近くなので中央環状線を淀川まで往復するのが定番だった。

もちろん渋滞する昼間は避けて深夜のドライブが多く、丁度アルバム1枚分ぐらいの時間だったと記憶している。もちろん毎晩だとガソリン代がとんでもないことになるので多くて週2、3回だが、当時としては随分と贅沢だ。「一度だけ即興作曲と即興演奏に成功」に書いたが、当時ギターの弾き語りも好きでよく歌ったのが「セーラー服と機関銃」と「セカンド・ラブ」だ。

二曲には大きな共通点が有りそれは来生えつこ来生たかお兄弟の作詞作曲でしかも「セーラー服と機関銃」は「夢の途中」としてであるが、来生たかおもシングルリリースして大ヒットしている。薬師丸ひろ子の売上枚数1位なのは想像できるが、中森明菜も1位なのは予想外である。就職後入った寮は3人部屋で仕事も忙しくなるとギターを手にしなくなったのが悔やまれる。

#創作大賞2022

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