見出し画像

複式簿記以前の「会計の歴史」


今年(2021年)の1~3月にNHK第2にて視聴した
「カルチャーラジオ 歴史再発見『会計と経営を巡る500年の歴史』」。

そこで得た知識を補完・補強する意味をこめて「帳簿の世界史」という
書籍に手を伸ばしました。

上記番組で扱いのなかった、中世イタリア以前の歴史について、
同著から簡単にメモをまとめました。

大事だけど面倒? 歴史上の「帳簿」をめぐる現実

本書は、ギリシャ・ローマ文明の時代から、リーマン・ショックにいたる
までの、おもに欧米の歴史における「帳簿」の位置づけが描かれています。

帳簿を正確につけること、および帳簿が正確かどうかを監査することが
いかに難しいか。同時に、帳簿をおろそかにすることがどれほど危険かを
さまざまな国家や一族、企業の興亡を通じて示しています。

帳簿はいかにして生まれたのか

会計の技術は古代メソポタミア、ギリシャ、ローマでゆっくりと進歩し、中世イタリアでの複式簿記の出現によって企業経営や政権運営の強力なツールとなりました。

古代の会計は単式簿記で、主に商売の在庫管理、穀物の余剰の計算に用いられていました。紀元前3500年ごろ、シュメール人は粘土のコインで在庫を
数えていましたが、やがて粘土板に記録されるようになります。
紀元前1772年ごろ、バビロニアで発布されたハンムラビ法典には会計原則や商取引の監査の規則も定められているのだとか。

古代アテネでは民主制のもと、国庫の管理のため帳簿係として身分の低い
市民や奴隷が教育され、会計責任を果たす監査の仕組みが整っていました。

ちなみに、自由市民を帳簿係にしないのは、不正が疑われる際に、
自由市民相手に拷問を行うことができないから、なのだとか(怖)

==============================

古代ローマでは国が家長に家計簿の管理を義務付け、ときには収税官が
監査をしました。ローマ共和国時代と初期のローマ帝国には財務官と
呼ばれる専門官僚が存在していました。

ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは、会計記録を整備します。
帝国の財政状態、軍の収支、建設工事の資金繰り、収税納付庫にある
手許現金などを記録していたようです。その後ディオクレティアヌスの
治世(284~305年)まではローマ帝国の会計が機能していたようです。

476年、西ローマ帝国が滅亡し、ゲルマンの従士制度とローマ帝国の恩貸地制度が融合して封建制度が生まれます。

 従士制度:有力者に忠誠を誓い、その従者となる制度。
      従者は馬や衣食を支給されるが土地の給与はない
 恩貸地制度:土地所有権を有力者に贈与し、
       あらためてその土地を貸し与えてもらう制度
 封建制度:主君が家臣に封土(領地)を与え、
      家臣は主君への軍役の義務を負う制度

封建制度では、世代をまたぐうちに封土の所有関係が煩雑になり、
手続きや書類、会計事務が増えました。さらに貿易が盛んになったこと
などから、社会における会計の重要性は高まっていきます。

==============================

1066年、イングランド征服を果たしたウィリアム1世は、土地管理制度を
一元化し、世界初の土地登記簿を作成させます。
13世紀のイングランドには大蔵省に監査官がおかれ、国家の歳入出について議会による精査を受けていました。

この時代までの会計帳簿は数字が不正確でした。その大きな理由の1つが
計算に不向きなローマ数字を用いていたためです。

ローマ数字:アルファベットのI、V、X、Lなどで書き表す数字。
      4がIV、5がV、6がVI、10がXなど文字数と桁数が一致せず、
      計算に不向き。ゼロの表記がないのも難点
アラビア数字:いわゆる0~9であらわす数字。
       桁数の多い数字でも桁をそろえて計算しやすい

一方、12世紀の北イタリアは共和制のもと商業都市国家が栄えます。
この地で共同出資会社、銀行、貿易が発展し、複式簿記が誕生します。

数学者フィヴォナッチが1202年に著した「算盤の書」には、
アラビア数字を使った筆算、加減乗除、分数、平方根、連立方程式、代数
など、実用的な計算方法が示されており、商人社会にアラビア数字と
位取り計算法が広まっていきました。

==============================

複式簿記を誰が最初に発明したのかははっきりしていません。
13世紀末に書かれたファロルフィ商会の帳簿では、すでに借方と貸方が
分けられ、前払費用を繰延支出として記帳しています。
共同出資方式の発展に伴い、出資者への利益配分を計算する仕組みとして
複式簿記が発明されたものと思われます。

この頃の複式簿記はパラグラフ式(文章での記述)が用いられていました。
また商人や銀行だけではなくジェノヴァ市政庁でも複式簿記を活用して
いました。税収・支出はもちろん融資と債務、兵士の給料などを克明に
記録し、損益計算も行われていました。

帳簿の数字は正確で、借方貸方は釣り合っており、内部監査もしっかり行われていたのですが、このシステムはルネサンス期のイタリアで終わってしまいます。財政規律の必要性が理解されなかったことと、金勘定は汚らわしいとするキリスト教の認識が背景にあったのでしょう。

おしまい

ここまで、古代の単式簿記から中世イタリアの複式簿記にいたるまでの
世界史(西欧史)をざっと見てきました。いくぶん、断片的な情報の羅列に
とどまってしまったきらいもありましたかね。

この後の会計の歴史については、よろしければラジオをもとに書き起こした
こちらの記事をご参照ください。

もちろん、同著にもその後の歴史が描かれています。
フランス革命のくだりなどは、かなりハラハラドキドキしますし、
エンロン事件やリーマンショックの記述では監査の限界について、
日本を含む現代会計の諸問題として、いろいろと考えさせられます。

思いのほか会計の専門用語は少なく、複式簿記のイメージがわく程度の
会計の知識と、高校世界史のざっくりした流れを理解していれば、
それほど読みにくくもない書籍だと思います。
(私は高校世界史レベルの知識が大きく欠落しており、読み進めるのに
ちょっと苦労しましたが・・・)

最後に、複式簿記に関する序章の記述が気に入ったので、ここに引用します。

複式簿記は、会計の基本的な等式を表す。それは、ある組織が管理する資産は、債権者の権利および所有者の持ち分と必ず等しくなる、というものだ。この等式のおかげで、企業や政府は資産と負債の状況をいつでも追跡でき、したがって横領を防止しやすい。資産、収入、そしてもちろん利益といった実績を表す数字を明確に示してくれる複式簿記は、財務計画を立て、実行し、責任を果たすための有効なツールとなる。
近代的な経済思想の生みの親であるアダム・スミスも、カール・マルクスも、複式簿記は経済と資本主義の発展に欠かせないと考えていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?