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細田守 虹をかける地平線

夏の入道雲を眺めるたび、大学生の頃、彼女を自転車の後ろに乗せて京都の鴨川沿いを走っていた日を思い出す。そう話してくれた人がいた。

新海誠が「音」を操るマエストロなら、細田守は「絵」の語り部。どこまでも視覚的であり、絵が物語る。絵本の世界に迷い込むような錯覚をくれる。アニメーションという迷宮。

白と青と緑。細田守の三原色。細田守が歩む道は、細田守という誰でもない未知である。

『時をかける少女』(2006)

東映を卒業した細田守、第二のデビュー作。配給は角川ヘラルド映画。デビュー作にはアーティストのすべてが凝縮される。これまで春の映画だけを使っていた細田守が、夏というオモチャで遊戯する。

青空と雲、そこに昼間のカクテル光線を添える。それだけで青の時代が蘇る。夏の匂いが流れてくる。なんという情緒。

夕暮れ色。ここでも細田守は映像では不可能だった、夏の匂いを届けた。

時間の地平線から始まるオープニング。「時間」は少女によって「時」に変わる。

『冒険者たち』『明日に向かって撃て』。映画で男2人に女1人のグループは珍しくない。しかし、今回の主人公が少女。

少女は常にはみ出す。社会に抗う。真琴は風呂桶に収まらない。「今」に窮屈を感じている。だから「過去」と「過去からの未来」を往復する。

真琴のスカートはやたら短い。やたらと身体を傷つける。真琴は何度も転んでは立ち上がる。何と闘っているかは分からない。だが、ひとは何かと闘わなければいけない。それが生きること。

真琴のキャラが躍動するのは秀逸な学園生活の描写による。福島先生のほかにキャラが立っているわけでもないのに、ひと時のエピソードが胸にこびりつく。居そうで居ない、居ないようで懐かしい学生たち。

秀逸なのはプロレスごっこ。時計のようにグルグル回る様は、時をテーマにした本作と重なる。時間をジャイアントスイングしている。

投げる、打つ、守る。それぞれ動きは違うが、どれかが欠けても野球はできない。男子に混じって野球をやる女子は珍しい。これこそ『時をかける少女』が恋愛映画ではなく、ジェンダーを超えた友情や愛情の話であることを象徴している。

奇天烈なSF物語が主役ではなく、3人の若者がそれぞれの岐路に立ち、決断する物語。

今作には、ふたりのメッセンジャーがいる。ひとりは千昭。この未来人は『白梅ニ椿菊図』という一枚の絵画を見るためだけに過去に来る。

生産性や使命感があるわけではない。ただ「見る」ためだけにタイムトラベルをする。そこに人生を変えてくれる予感がある。まさに我々が映画館に足を運ぶのと同じ。

千昭がカラオケで繰り返し歌う「Time waits for no one」は真琴たちへのメッセージ。Future is now。未来は今なのだ。

もうひとりが真琴の叔母の芳山和子。ここにもうひとつのボールが存在する。かつて「時をかけた少女」から「時をかけようとする少女」へ。

いつまでも深町が未来からやって来ることを待ち続ける和子。しかし、未来は「未だ来ない」と書く。自分の後悔を真琴に託し、「待ち合わせに遅れてきた人がいたら走って迎えに行きなさい」と背中を押す。

そして自身が修復する絵は、千昭だけでなく深町(実写版の未来人)が見るかもしれない。だから和子は部屋にラベンダーの花を飾り、絵を修復する。未来を変えようとする。

ひとは時間に縛られる生きもの。だが「時」は自らの意志で動かせる。だからタイトルは「時間をかける」ではなく「時をかける」

真琴はタイムリープの力ではなく、自らの意志で未来を変えようとする。未来を乗り越える。今作は未来へ向かう作品ではない。未来を超える話。千昭が言う「未来で待ってる」も、真琴の言う「走っていく」も、実際に行くわけではない。

細田守が生み出す人物は坂道を下る。他の映像作家が階段を登らせるのに対し、日常へ降りる。登山でいう下山。本当に尊いのは登頂ではない。次の山、未来を変えに向かう下山なのだ。

ラストで真琴はボールを投げる。千昭のいる未来へ全力投球で。

『サマーウォーズ』(2009)

新海誠の第二作『雲のむこう、約束の場所』にはその後の作品のあらゆるエッセンスが詰め込まれている。細田守のオリジナル映画の第二楽章である『サマーウォーズ』も例外でなく、細田守の骨格は今作で完成する。

すべての作品はサマーウォーズに通ず。

カナカナのみの清涼飲料水のようなタイトル。しかし「合戦」の英単語が入っているように、『サマーウォーズ』は細田守が最も気概を込めた作品と言える。27人の大家族や多くのメッセージを詰め込んだ。これでもかと詰め込んだ。

中国料理の満漢全席。観客はとても食いきれない。観客を押し倒す。観客を信じている。
ここに細田守の強さがある。狂人にして強靭。あらゆるアーティストが白旗をあげる。兜を脱ぐ。

オープニングは「OZ」という仮想世界。小磯 健二が数学オリンピック日本代表に落選したエピソードで幕を開ける。ここに細田守が実写ではなく、アニメーションを作る意味がある。

たとえ現実に窒息しようとも、我々の世界はひとつではない。フィクションという世界を創造できる。数学の力で好きな女の子(篠原 夏希)の誕生日の曜日を当てても箸にも棒にもかからないが、パラレルワールドではデジモンと戦う武器となる。数学は少年の運命を変える。

女は生まれてからずっと何かのSOSを発する。それは学校のマドンナである夏希も例外ではない。

少女はいつもスピードを求める。絶望に追いつかれない速さを。だから男よりも女のほうが早く大人になる。少年はやがて男に変わるが、少女は最初から女。生まれながらに絶望を知っている。

舞台は一瞬の東京から信州の上田へ。緑と青を描かせたら細田守の右に出るものはいない。

今作は核家族の少年が戦国時代にタイムリープし、もうひとつの家族を知り、家族を超えた家族になる物語。血のつながりが家族ではない。

細田守は風呂に意味を持たせる。風呂は解放の場。裸の付き合い。夏希と子どもたちを通して、親戚が本当の家族になる物語を示唆している。

サマーウォーズの季節が夏でなければならない最大の理由は、高校野球。血の繋がりもない赤の他人が甲子園というひとつのベクトルに向かう。もうひとつの家族。夏を越境したとき少年は別の人生に生まれ変わる。

テレビの画面越しの世界は、もうひとつのOZ。そして、もうひとり、家族を知り、家族に成長する人物が侘助。

携帯でメールをする侘助は幼い少女から「なにを見てるの?」と聞かれ「巨乳のお姉ちゃん」と答える。何気ないシーンだが、この刹那に細田守のスタンスが潜在している。子どもを子ども扱いしない。常に細田守のギアはニュートラル。地平線の眼差し。

サマーウォーズの中で異彩を放つ栄おばあちゃんはドラクロワが描いた『民衆を導く自由の女神』

その意志は曾孫の夏希に受け継がれていく。細田守の作品は誰かにバトンを渡す。襷をつないでいく。デジモンも、時をかける少女も、おおかみこどもと雨と雪も、バケモノの子も。だから『サマーウォーズ』の表紙は健二ではなく夏希。

死は別れではなく、結び。バラバラだった家族は、栄ばあちゃんの死によって結束する。

この世から旅立つことで、もっと大きなものの一部となる。サマーウォーズは、何度も絶望の淵で入道雲が見守る。栄ばあちゃん。空からの手紙。

かつて侘助を守るると決めた、栄ばあちゃんから陣内徳衛(夫)への空への手紙でもある。

劇中の変化は食べものにも表れる。細田守は食べものを結びとして描く。陣内家の親戚一同は、おむすびを食べながら野球の円陣を組む。

花札。人生は博打であり、ゲームである。そして夏希の動物はウサギ。兎に強さのイメージはない。キングカズマも兎。世間のイメージを覆す。逆張りの細田守。

合戦が終わり、新たな人生の戦に向かうとき、栄ばあちゃんは笑ってくれる。微笑みではなく、大笑い。いや、福笑い。

『おおかみこどもの雨と雪』(2012)

序破急。本作は、細田守で最も重力を持つ作品。スタジオ地図としてのデビュー作。細田守は何度も生まれ変わる。これほど美しい重力は、実写の日本映画でも存在し得ない。奇しくも新海誠の最高傑作も3作目の『秒速5センチメートル』

愛くるしい雪と雨。音やセリフがなくとも、可愛らしい子どもたちだけで笑顔がこぼれる。絵の力で寄り切りつつ、今作は文学としての力も図抜けている。

我々がアニメ映画を観る理由は、時に実写を凌駕するリアリティが迫ること。無から命を作ろうとする創作には、出産と同じ。実写とは違う得体の知れないパワーが宿る。その日本代表、世界遺産が『おおかみこどもの雨と雪』

オープニングは花に囲まれた《花》。この映画は花が母として育つ物語。雪も雨も花を育てる。

唯一、名前のない《彼》。おおかみの名前はきっと「雲」だ。雲は雪と雨を降らせる。花のもとへ雪と雨を届ける。

今作の入道雲は《彼》である。

妊娠中の花を助けるキジの鍋焼きうどん。人間も動物も、誰かの命を奪うことで新しい命を宿す。キジは《彼》の死因。生命はループする。

閉塞の東京から開放の富山へ。田舎のお風呂。3人とも人生を生まれ直す産湯につかる。

花は野菜を育てるが、簡単にはいかない。人間も狼も思い通りにいかない。花にとって畑は社会そのもの。

多めに野菜を作ってお裾分けすることで村という社会と繋がれる。たかが野菜、されど野菜。

冬、雪の絨毯は東京には無い無の世界。細田守は雪山を登るのではなく、坂道を走って下らせる。

日常に降りていく。雪原が親子を迎え入れる。雪の色は雲と同じ。父親でもある。

花が彼と出逢って変わったように、雪も草平と出逢って変わる。父と同じく、本当の自分をさらけ出すことで、真実の自分を知る。

そして、雨は獣と出逢う。自分の世界を見つけ創造していく。人生は誰と出逢うかに集約される。雪は女としての自我に目覚め、雨は雄としての自我に目覚める。

人間も動物も、自然も社会も等しい。ここにも細田守の地平線の眼差しは存在する。

花は彼の死因となった鳥を添える。そしてラストで笑顔の花が咲く。

『バケモノの子』(2015年)

『おおかみこどもの雨と雪』で境地に達した細田守の返し歌、アンサーソング。フォーククルセダーズが『イムジン河』をアレンジして『悲しくてやりきれない』を作ったように、今作は『おおかみこどもの雨と雪』のアレンジ曲。

おおかみおとこの《彼》ができなかった子育てのタスキを熊徹につなぐ。だから育ての親はバケモノ。蓮が大学に入ろうとするのも《彼》の人生をやり直そうとしている。

後半、突如現れる青いワンピースの楓は花の化身。もしくは雪が成長した姿。花や雪の魂が輪廻転生したもの。

熊徹の服や剣の鞘は赤であり、花や雪が着ていた青のワンピースと対極に描く。本作では性別の違いも意識している。女は自分ひとりで女として完結するが、男は誰しもが父親との半世界を生きる。父と子はニコイチ。だから熊徹と九太は鏡の関係であり、最後にひとつとなる。

渋谷と渋天街も鏡。渋天街は天涯孤独の言い換えだろうが、なんと心地よい旋律だろう。

今作でも食事が重要な意味を持つ。他人が作った料理を体内に入れるのは相手を受け入れたことを表す。

熊徹の卵かけご飯を拒否していた九太は、やがて熊徹を受け入れ、今度は熊徹のために料理を作る。

そして、細田守の最大の仕掛けが、蓮と九太。ふたつの名前を持たせたこと。人間の世界(渋谷)とバケモノの世界(渋天街)のふたつを生きる。大谷翔平のような二刀流。

蓮は九太に生まれ変わり、ふたたび蓮に生まれ直す。ただし、熊徹を胸の剣として宿す。

『サマーウォーズ』以降、細田守の代名詞であるラストの笑顔。入道雲を従えた熊徹の笑顔は、どのラストシーンよりも晴れやかで輝いている。

『未来のミライ』(2018年)

細田守において最も完成度の高い作品。作家性がスクリーンに漲っている。

舞台は横浜。鳥瞰ショットからのヨーイドン。細田流の未来飛行。細田守は未来へ行かない。未来を現代に連れてくる。未来を今に降らせる。

過去には行くが、未来には行かない。未来のミライちゃんも、現在に降りてくる。

くんちゃんは階段を登らない。人生を登山に例える人がいるが、くんちゃんは山を登らない。未来と出会うとき、いつも階段を降りる。未来は日常にある。

ひな祭りの人形をしまう何んでもない日常が面白おかしく輝く。細田守は他の作家が素通りし、捨ててしまう食材を拾う。本当に美味しい部位を知っている。

細田守は地平線の眼差しをもっている。だからこそ、日常も非日常も対等に描ける。動物も人間も対等に描く。子どもを子ども扱いしない。

くんちゃんの可愛さ、画力。子どもはわがままだから無邪気。邪気がない。細田守の絵はマイナスイオンより澄んでいる。

重要なお風呂のシーン。未来ちゃんを育てるのはお父さん。くんちゃんによって、お父さんは成長する。

子どもは親を困らせることで、親を親として成長させる。くんちゃん、お父さん、お母さんのバランスが秀逸。くんちゃんと母親は性格的に姉弟のようであり、お父さんはふたりからの影響を受けて変化していく。

かつてのお父さんと同じ、自転車に乗れないくんちゃんが曾祖父から「遠くを見ろ」と教わることで、自転車に乗れる。お父さんを成長させる。

くんちゃんの口癖は「好きくない」。嫌いとは言わない。何かを否定する。くんちゃんがオモチャを片付けないのも既成概念を破壊するため。今の自分を超えるため。

くんちゃんは未来のくんちゃんに抗う。忠告を無視して電車に飛び乗る。未来の自分を超える。これが本作で最も力強いメッセージ。

架空の東京駅で、くんちゃんはアイデンティティを確認する。そして、自分は自分でしかないことを悟ったとき、未来ちゃんを受け入れる。

細田守は未来の世界を描かず、過去にだけタイムリープする。未来は時間ではなく、人だから。

ひとは誰もが誰かの未来である。だからこの世に生きている。存在するだけで意味がある。将来の不安を抱えつつも、遠くを見ながら、どこまでも行こう。あるがままに、わがままに。

『竜とそばかすの姫』(2021年)

新海誠に出逢ったのが『君の名は。』だったように、細田守に巡り会えたのも第6作。同じ新宿のTOHOシネマズだった。

舞台は高知。長野でも富山でもない。東京からどんどん離れていく。GO LOCAL。

『ウエストサイド物語』や『レ・ミゼラブル』『オペラ座の怪人』などミュージカルは都会が多い。だが、今作は田舎だから躍動する。ベルでなく鈴として高知で歌を取り戻す物語でもある。

鈴は通学の際、坂を下る。登らない。日常に降りていく。戦場は山の上ではなく、下山後にある。

『時をかける少女』と同じく、川が多い。川は通学路であり、母親を亡くす場所。水は生命の源であり、母の命を奪う。二面性を見事に描く。

お風呂は癒しの場。閉ざされたプライベート空間。お風呂にいるときだけ鈴は誰にも見せたことのない癒しの顔をする。仮想空間とは違う異世界。日常にも癒しはある。

仮想空間「U」の世界。YouTubeを思わせるネーミング。『バケモノの子』で蓮と九太のふたつの人生があったように、鈴とベルのふたつを描く。

歌声を失くした現実と、ディーバ(歌姫)として脚光を浴びるUの世界。現実の世界で輝けなくともフィクションの世界で生まれ変わる。

本来、強さの象徴である竜をベルが守る構図にした妙。細田守は逆張りで世界を構成する。

美女と野獣にオマージュを捧げた本作も、『君の名は。』と同じくジェンダーの入れ替わりを描いている。SOSを求めるのは女性ではなく、男性(竜)。溺れそうな子どもを助けるのも強さの象徴である父親ではなく、鈴の母。そして、幼馴染の忍が母親がわりとなる。

Uの世界には正義の印籠を振りかざす自粛警察もいる。現実とSNSの世界の境界線がなくなっている現代を見事に反映している。

そして、美女と野獣では野獣が王子に戻るが、本作で魔法が解けるのは鈴。ベルという仮の姿(野獣)から本来の鈴に戻る。魔法を解く忍が美女(イケメン)。

ベルの歌が胸を打つのは、承認欲求のマスターベーションではなく、そこに魂があるから。本当のフォロワーとは何かを問いかける。

顔にそばかすのあるベルと背中に痣のある竜。ともに母親がおらず、父親と軋轢がある。SNSには誹謗中傷やしがらみがある一方で共鳴がある。共感ではなく共鳴。だから歌がテーマ。「鈴」という名前も音に関係する。

細田守は、本当につながることの意味を問う。だからラストシーンは、みんなで入道雲を見る。

戦い、傷つき、スカーフェイス(傷のある顔)を抱えながら、それでも鈴は未来に推進していく。

『劇場版デジモンアドベンチャー』(1999)

細田守という固有名詞が躍動する夜明け前。東映アニメーション時代の映画監督デビュー作。20分の短編に無名の新人は伝説を彩った。

主人公・太一とヒカリの両親は登場するが、顔をハッキリ描かず、ネバーランドの世界を創造。視点はキャラの目線ではなく、観客の目線。登場人物たちの物語ではなく、映画は観客のもの。だから我々は同じ時空を生きられる。

生まれたての頃は猫にも負けるデジモンが、数分の間で大きく変貌する現象は、日々小さな革命を起こす子どもの成長とシンクロする。映画と子どもは理屈や整合性を超える。

繰り返し流されるラヴェルの『ボレロ』。日常が実は躍動的で冒険に満ちていることを奏でる。最後にヒカリから太一に託される笛と同じく、アニメーションは映像ではなく音の芸術。

2体のデジモンは、どちらが善か悪か示唆しない。むしろ太一とヒカリと心を通わせるコロモンのほうが街を破壊しまくり、ヴィラン(悪役)であるかのように描く。

細田守はラストで仕掛けをする。エンディング曲に使う和田光司の『Butter-Fly』は本来、オープニングの歌。しかし、あえてラストに指揮。ボレロからの『Butter-Fly』

終わりとは何かの始まり。永遠にループする。その後、細田守の代名詞となる「繰り返し」はデビュー作で確立していた。この主題歌は細田守自身の飛翔伝説。

熱情で捉え、冷静で届ける。細田守は地平線の眼差しを持っている。だから遠くを見られる。遠くに届けられる。

今作のあと『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』『ワンピース THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』経て、細田守は「細田守」という大航海に乗りだす。


細田守が守ってきた地平線の地図

細田守は、全作において地平線の地図を描いてきた。動物が多く登場するが、人間も動物も同じ舞台で躍動させる。良い悪いの一元論では語らない。どちらが正解ではない。両方あって世界になる。そのせめぎあいが面白い。

細田守は、大衆に向けよう、ヒットさせようと思って作っていない。かといって自分だけが分かればいい一人相撲ではない。観客を信じている。

映画は、大衆に媚びるとバレる。本気で作ったほうが伝わる。観客も本気で作ったものを見たい。作り手がぶれない。自信を持って作る。

自己を伝える表現力を研ぎ澄ましつつ、伝わるものを作る。二者択一ではなく、両方目指せばいい。作品性も大衆性も、どちらかを諦める必要はない。

両方できる力を自分がつければいい。迷ったら両方やればいい。大衆のものでも、自分のためでもない、もっと大きなもののために作る。

細田守はこれからも細田守を守っていく。細田守という道を進んでいく。

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