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愛は狂気に勝てないけれど


広島市現代美術館で開催中の企画展、アルフレド・ジャー展を見に行った。

8月。広島にとっては特別な時期。
G7の影響で長蛇の列となっていた原爆資料館の横を車で通り過ぎ、美術館へと向かった。

広島市現代美術館は比治山という小さな山の中腹にある。麓から美術館までの間に墓地があり、お盆期間は賑わっているが、美術館自体はいつ訪れても空いている。

上手な絵、かわいい絵、きれいな絵、ユニークなオブジェという、目に優しい、鑑賞しやすい作品は、この美術館にはほとんどない。というか、見た目の美しさや技術の巧みさを見に、私は美術館に行くのではない。それは美術ではなく、絵画であれ彫刻であれ、やはりクラフトだと思うからだ。

そういう意味で、クラフトを見るのが好きという人は多いけれど、美術作品を鑑賞できる人って、本当に少ない。ただ感じた事を感じるままに感じたら良いだけなのだけど。
でも、少なくても良い。多くの人に理解される事は、芸術にとって重要な事ではないと思う。


話が脱線したけれど、広島市現代美術館は、原爆の爆心地にほど近いこの場所に位置する“現代美術館”という役割を忠実に全うしている。
リニューアル後に訪れたのは初だったけれど、コレクション展も企画展も素晴らしかった。


アルフレド・ジャーは、なんというか、“戦場カメラマン”みたいなアーティストだと感じた。綿密な取材に基づき、戦争や虐殺、差別などの、目を背けたくなる“狂気”をみつめた先の作品たち。

企画展の展示室は、壁も床もほとんど暗く、単純に怖い。私の息子(5歳)は連れていけない。グロいとか、難しいとか、子どもにはまだ早いとかではなく、観賞するという状況までもっていく事が出来ないんじゃないかと思った。


作品自体は全く難しくない。光、音、風(びっくりしたよ!!)など、五感で観る作品ばかり。社会的な問題に対峙し続け、膨大な時間をかけて制作しているはずなのに、あらわれている作品はシンプルかつ、強い。全ての作品が一発K・Oのパンチで殴ってくるから、ヘトヘトになりました。


狂気はきのこ雲の下にだけあるのではない。世界の至るところで戦争は起き、わけのわからない理由で誰かが誰かに差別され、虐殺が起きている。

今隣にいる人が、いきなりナイフを振り回す可能性はゼロではない世の中で、自分がナイフを振り回す側にならないように注意深く生きている。狂気は誰の心にも潜み、その狂気にあてられたら最後、死ぬまで苦しみは続く。愛は狂気には勝てない。


それでも!狂気だらけの世の中で、唯一光となるのは、やはり愛だ。

展示の中頃に、モミジの木が植わっている中庭に行き着く。《音楽(私の知るすべてを、私は息子が生まれた日に学んだ)》という作品だ。

広島市の病院の協力のもと、ある1日にその病院で赤ちゃんが生まれた時刻ぴったりに、その赤ちゃんの産声が中庭に響く。その空間はシェルターのようだった。
穏やかで明るい緑の空間から、愛は守るべきものだという揺るぎない信念を感じた。


展示の終盤にある映像、《サウンド・オブ・サイレンス》は、「ハゲワシと少女」という写真で有名な、ケヴィン・カーターに関する作品だ。
ピューリッツァー賞を受賞した後に、彼は自殺した。
表現する人、ジャーナリズムに携わる人、いや、言ってしまえばSNSのアカウントを持つ全ての人は、この作品を見るべきだ。狂気は誰の心にもある。


大切なのは、自分の目で見て、自分の頭で考えること。自分が感じた事を細分化し、純度を高く保つこと。あまりにも沢山すぎる情報や意見が溢れる中で、溺れないように自分の軸を保つこと。

われらの狂気を生き延びる道は、自分で切り拓いていくしかない。アルフレド・ジャーの開拓した道を、ヒロシマで観る事ができて本当に良かった。

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