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【政治学講座1】政治とは何か【体系的知識】


政治学講座(後で装飾を追加)

参考文献 中村菊男著「政治学」改訂第3版,2010

第一回 政治とは何か

〇Attention〇

最終的に大学の教養科目で習うのと同等の教養が身に付く予定。
最新の研究を反映していない、内容が古い可能性がある。
極力中立を目指すが政治を扱う以上、偏りは避けがたいので注意。
内容を鵜呑みにせず自分でも調べて使える知識にしよう。

はじめに

アリストテレスは著書の『政治学(Τα Πολιτικά)』で「都市国家は自然の所産であり、人間は本質的に政治的動物である」と述べた。

人間の存在は国家乃至それに類する社会集団の存在と、そこで振るわれる政治的権力の存在をも意味しているのである。

何を「政治」とするか

「政治」とは何か、その答えは実は複数ある。

とりあえず「政治」の辞書的な意味は次のようなものになる。

辞書的な意味
1 主権者が、領土・人民を治めること。まつりごと。
2 ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。

デジタル大辞泉(小学館)

まず、1は多少古い観念である。
今日、主権者(sovereign)によって領土・人民が治められる国は稀である。
ここでの主権者は国民主権(democratic sovereignty,the sovereignty of the people)の主権者とは意味が違い、君主や国家元首を指す。

また、古く政治はまつりごと=祭祀に通じるとされ、古来、国家が持っていた魔術的な要素が窺える。

次に2だが、社会の利害調整と統合、意思決定とその実現という「政治的な営み」のありようを端的に言い表している。

先に「政治」とは何かには複数の答えがあると述べたが、この「政治的な営み」として認める範囲をどこまでにするかで、複数の立場が存在している。

具体的には、政治学においては政府の政治的な営みのみを「政治」とするのが主流だが、社会学では国家だけでなくありとあらゆる私的な集団内の政治的な営みをも政治と見做すのが主流である。

後者は学校の生徒会選挙やバイトのシフト調整、サークル旅行の行き先の決め方、社内の派閥争い、夫婦げんかの仲裁や妻による夫の操縦なども「政治」の範疇に含む事になる。

これらは国家の行く末や政府と直接関係ないものではあるが、選挙をしたり話し合いや駆け引きといった政治的な営みが行われる例である。

以上や辞書の描き方を見ても分かるように、政治的な営みは国家・政府の外でも起きており、とくに国際政治などは顕著だが、政治学では国家・政府内のそれのみに絞っている。

これにはそうしないと学問として社会学と丸かぶりになるという身もふたもない理由もあるが、国家とその他の集団の違いという真っ当な理由もある。

国家とその他の集団の違いを語るには、まず「人間」とその集合たる「社会」の性質と関係について述べなければならない。

人と社会

「人間」は生誕と同時に社会に組み込まれ、他者との共同生活を始める。

我々の日常は誰かの行為あるいは誰かが作り誰かが運んだ物によって支えられており、幼子が他者の世話を必要とするのはもちろんだが成人後であっても人間が単独で生きていくことははなはだ困難である。

故に、人間にとり「今、生きている」は即ち「誰かの世話になってる」に他ならない。

主に世話になる相手として、親子・親族等の血縁や住所や出身地といった地縁によって結ばれた人々が挙げられる。

地縁・血縁はこれまでの歴史で色々あった結果、今日の状態になったものであり、現在の社会は「場所」と「人」とそこで流れた「時間」によって構成されたものといえる。

そのため、社会で生きる人間は常に時間的・空間的制約の中にいるともいえる。

今、私達が生きているのはかつて祖先が生きた結果であり、私達が住む町や使う物もかつての祖先たちが築き開発したものを基礎にしている事を考えれば、過去を受け継ぎ、将来につながる存在であるといえる。

社会と人

以上のように、人間が生存するには、他者との協力と助け合いが必要不可欠であるが、人間はそれぞれに個性があり、みんな違ってみんな良い。

人間の社会は基本的に、それぞれに出来る事・やりたい事・やってる事が違う人々から構成された集団であり、意見が一致する事もあれば分かれる事もあり、派閥を作って互いに反目し争い合うような事態も起こりうる。

また、中には犯罪のように「社会の平和や安全を脅かすような行い」をする者が出る事も想定される。

以上から、人間の社会は何もしなければ無秩序に陥る性質を持っているといえ、これを放置すれば暴力がはびこり弱肉強食の世紀末状態になってしまう。

社会に平和と秩序が維持されなければ、人間は安心して生産活動や社会活動に参加する事が出来ない。

食料や物資の生産がままならなくなれば、生きていく事自体が難しくなり、そんな状態では文化や科学の発展も望めない。

人間の幸福には社会の平和と秩序が必要なのである。

社会と政治

では平和と秩序はどうやって維持すればよいのか、平和や秩序は自然に達成される場合もあるが、人為的な介入によって秩序を形成する場合もある。

対立や抗争、それによる混乱は、政権交代や社会改革、逆に行き過ぎた変革を是正するなど、むしろ社会を発展させる契機にもなりうるため、悪戯に鎮圧すればよいというものでもない。

しかし、社会が傾くほどの混乱や暴力の嵐が巻き起こるのであれば、それを何らかの「強力な措置」によって抑制しなければ無秩序が訪れ、人々の暮らしがままならなくなるのも確かである。

「強力な措置」は政府による支配・統制による逸脱の抑制、再分配による格差是正、公共事業や社会福祉などによる社会の安定化など様々な形態や度合がある。

最たるものとして、犯罪者を逮捕し、訓告や罰金、懲役や死刑といった罰を課すというものがあり、ここからわかるように「強力な措置」には【物理的強制力】が含まれているといえる。

再分配や公共事業・社会福祉なども究極的には税金滞納での差し押さえや制度に定めた物資・サービスの提供など、問答無用で政府の意に沿うよう動かす点で物理的強制力に還元される。

まとめると、人間が安心して幸福に生きるには社会が必要であり、社会が存続繁栄するには平和と秩序の維持が必要であり、平和と秩序の維持には物理的強制力が必要という事である。

政治的権力

社会の平和と秩序の維持に必要な物理的強制力、これを振るう権限・権力を指して【政治的権力】という。

先に挙げたアリストテレスの言葉のように古今東西の国家は必ず政治的権力を持ち、古くはシャーマンや領主がそれを振るい、あるいはイソノミアのような特殊な政治的権力の在り方もあったが、近代国家においては政府が政治的権力を独占している。

さて、政治的権力は本来、国家国民の繁栄と幸福のために、その平和と秩序を維持するための強制力である。

つまり、それを用いる政府や統治者もまた本来、国家に平和と秩序をもたらし、その継続と繁栄、そして、そこに生きる国民の幸福を目的として存在するといえる。

政府とそれ以外の違い

先に政治学では国家や政府以外の集団における政治的な営みを「政治」から除外すると述べていたが、その根拠はこの目的の違いと政治的権力の有無にある。

まず政府は国家の繁栄と秩序、国民の幸福を目的とするが、政府以外の集団は必ずしもそれを目的とするわけではない。

そして、たいていの場合、私的な集団が物理的強制力を行使するのは違法である。

政治的権力を振るえないという点は政府とその他の集団を分かつ最も大きな違いであり、これなくして国家の平和と秩序の維持はかなわない最重要要素である。

よって、政治学では国家の繁栄国民のために政治的権力を行使するものだけを指して「政治」と呼ぶ事にしているわけである。

まとめ

政治とは、政府や統治者が、国家に平和と秩序をもたらし、その継続と繁栄、そして、そこに生きる国民の幸福を目的として政治的権力を行使する事を意味する。

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