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教育の義務を果たそうと模索してきた保護者が積み重ねた50回【レポート】第50回オンライン交流会

義務教育と教育の義務

不登校でよく問題とされるのが

教育を受けさせる義務

2020年の近未来的な時代にあっても、学校へ行けば「法律違反ですよ」という親と子を心無く傷つけるコメントをかけられるのが現状です。

教育者は条文をじっくり考えて読んだことがあるのでしょうか。


「けだし、憲法がかように保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは、単に普通教育が民主国家の存立、繁栄のために必要であるという国家的要請だけによるものではなくして、それがまた子女の人格の完成に必要欠くべからざるものであるということから、親の本来有している子女を教育すべき義務を完うせしめんとする趣旨に出たものである」(昭和39年2月26日最高裁大法廷判決)
(関連条文)
民法第820条 親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
児童の権利に関する条約第18条第1項 (前略)父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。(後略) 文部科学省 教育基本法 第4条より 

まずそもそも、文章が古い。
昭和22年に制定されて、基本的なことが変わっていません。
戦後の対応のための教育が、現代でも続いています。

普通教育と義務教育の違い、という言葉遊びをしたいわけではなく、交流会50回を通して、どんな会だったのかに通じる例として参考としています。

子女の人格の完成に必要欠くべからざるものであるということから、親の本来有している子女を教育すべき義務を完うせしめんとする趣旨


の部分、とかく学校へ行かないと決定すると、

教育の義務を果たしていない、と責めたてられます。

「義務を負う」
親には、憲法以前の自然権として親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられているが、この義務教育は、国家的必要性とともに、このような親の教育権を補完し、また制限するものとして存在している。


義務教育は、親の教育権の補完・制限、であり、本来親が有しているこどもを教育すべき義務の一部であるということ。

制限に不登校家庭は困り、現状は補完の部分はあまりありません。(担任の運によるが)

本来、学校に行く行かないを別として、親にこどもを教育する義務があり、「学校へ行けばOK」「勉強しなさい!!」というだけが親の教育の義務ではないと思うのです。

不登校は親の義務を果たしていない法律違反だと言われるが

学校へ行かないことを決めても、やはり義務教育中は学校とのやりとりが発生します。

理解のある担任の先生になれば、話合いも可能ですが、むかしからの「学校や不登校」に対する考え方からアップデートされてない先生や管理職にあたることで、親やこどもたちは「心無い無意識の言葉」で傷つけられ、数年を無為に過ごしてしまったりします。
学校復帰にしろ、そのほかの学びの選択肢にしろ、情報を提供してくれるのは義務教育の場ではありませんでした。

保護者が自ら探し、選び、作り出し、こどもに合うか試し、調整し、成長を促し、未来へつなげる。

少なくとも、わたしの周りの地元やいろいろな縁で知り合った不登校家庭、50回の交流会のなかで関わってきた不登校家庭、ハイブリッド家庭のほとんどはそうであり、これを

教育を受けさせる義務を果たしていない

というのであれば、そもそも教育とは何か、という話になってきます。

教科学習だけでなく、こども本人の特性や能力、タイミングを見計らって社会生活へと繋がる学び。
それに加えて、実社会にはまだまだ義務教育の内容である教科学習も重要であることは理解しているから、いわゆる勉強、という部分も。

親がみな教育学部を出てるわけでもありません。
学校で学ばない場合には・・・というガイドが行政や教育委員会から配られるわけではありません。

保護者が調べて、実践して、工夫して、こども自身をみてバランスをとる毎日を送る。

これは「教育を受けさせる義務を果たしてきた」とは言えないのでしょうか。

不登校家庭の大部分は、もちろんこどもが学校に通っていた時期も経験しています。

学校が学びの道筋を立てて、親は進学について話合いする

とか

勉強しなさい、っていう

っていうのはとても楽だったと感じます。


改めて、不登校オンライン交流会を振り返ってみると、

学校というレール、道筋が決まったものから外れたこどもたちによって、

教育の義務ってはたして何ぞや

というものを真剣に考えることを余儀なくされて、情報を求めてたどり着いた、そして通り過ぎていって、ご自身で新たな活動をはじめていった方も多く、特に仲間ーといった感じではない集まりであり、

仲良しグループではない自律的な参加者さんたちを含めて積み重なった結果としての50回目のオンライン交流会

だなと感じました。

関わったみなさんが、

「教育の義務を学校外ながらにギブアップせずにこどものために模索し続けてきた」

方々ばかりだったということは、教育機関や学校に向けて、声を大にしていいたい。

そして、もっと社会全体で、

本当に学びってなんなのか、

ちゃんと、思考停止しないで考えてみたらいいと思う。

そんな機会を(タスクを)こどもたちに出されて、真剣に学びや社会を考えざるを得なかったわたしたちはある意味幸せで、偏見をもたれがちな不登校、というものに感謝している、そんなことを改めて感じた交流会でした。

今回は、50回という節目ということもあり、お久しぶりの方や、イクミナル主催セミナーでおなじみの岩澤先生にも参加していただき、プチ相談会&同窓会っぽくなりましたが、最初のころの

ZOOMは、オンラインはハードルが高いです!

っていう人も全然いなくなり(笑)、あー日常にオンラインが浸透する時代になったなーとしみじみ思いました。

大事なのはオンラインではないのですが、地方からも都心からも差なく、情報にリーチできるという利点はやはりオンラインが持ってきてくれたものであり、居場所もフリースクールも見当たらない地方の不登校家庭にとって、学校と対等に話をするための自信やリソースを与えてくれた交流会でもあります。

初期のころと、50回目あたりの学校の対応が大して変わってないことに落胆しつつも、教育の義務を果たし仲間(笑)がどんどん増えているのを感じます。学校か、学校じゃないかではなくて、こどもに合う学びを、そんな社会に一歩ずつ近づいて、不登校が古い言葉になればいいなと感じています。

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