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伊集院光『名著の話 僕とカフカのひきこもり』KADOKAWA

NHKのEテレ「100分de名著」に出演している伊集院さんが出会った約 100冊から、心に刺さった3冊を厳選して再読、さらに名著を紹介してくれた3人の先生と再会して語り合ったのが、本書である。

カフカ『変身』、柳田国男『遠野物語』、神谷美恵子『生きがいについて』の3冊である。先生方は、それぞれドイツ文学の川島隆さん、『柳田国男全集』編集委員の石井正己さん、批評家、随筆家の若松英輔さんである。

テレビ番組での伊集院さんの役割は、「わかっていない人」だそうだ。事前に名著を読むことを禁止されている。未読の人である。司会ではない。

伊集院さんは、中学3年の頃、学校に配られた<図書室の名著100>的なプリントで推薦されていた、カフカ『変身』をはじめて読んだという。しかし、そのわけのわからないことときたらなかったようだ。それから40年、読まずに避けてきたという。虫除け人生だという。

先生が、「虫」と訳されることが多い「Ungeziefer」は、「人間にとって有益でない、役に立たないような動物」を指すドイツ語、必ずしも虫に限らなず、「汚れているため神様への供え物に使えない」という意味の形容詞の語源になっていると解説してくれた。(先生は「虫けら」と訳している。)

そのとき、一気に、これは「俺の話」だと伊集院さんは理解できたという。「ひきこもりの経験があってーー今思えば完全な鬱なんですけどーーあのとき僕は突然役に立たなくなっちゃったんだ、虫けらになっちゃったんだ、という読み替えができた」という。

先生も、小学校からずっと非社交的な人間で、とにかく人としゃべれなかったことから、「俺の話」としか思ったことはなかったという。なぜか大学院に入ってから人としゃべるようになったという。

伊集院さんは、『変身』のもうひとりのキーパーソンとして妹を上げる。お兄ちゃんが大変なことになっちゃったと、虫になった兄が自由に動き回れるように環境を整える。虫でいられる自由を認めてしまったから、主人公は安住してしまったと考える。伊集院さんのひきこもりが治ったのは、ある意味、家族が居心地悪くしてくれたからだという。

先生は興味深い読み方だと感心する。小説全体としても、妹側の視点があるので、この物語は悲劇にならないという。

物語の後半で、妹は間借り人の前でヴァイオリンを披露する。妹のヴァイオリンが上手くない。主人公のグレゴールには上手く聴こえるけど、間借り人は退屈している。妹がかわいそうだと、しゃしゃり出たら、みんなに見つかって大騒ぎになる。

伊集院さんは、登校拒否だったころ、姉貴に友だちが来るから絶対部屋を出ないでと言われた経験があり、このシーンはリアルにわかると言う。

妹は兄を「あれ」呼ばわりして、「あれはグレゴールじゃない」と絶縁を主張する。先生も、東日本大震災が起こったばかり、たまたま実家に帰ったときに妹と顔を合わせて、「文学なんかやっている人間はいらない」と言われたと言う。

しかし、2020年からのコロナ禍によって、多くの人が家に引っ込んだ。先生からすると、世界中の多くの人がグレゴール・ザルザになっているという感覚があると言う。

伊集院さんは、グレゴールが虫になるのと対照的に、年老いたお父さんがピシッとしていくのが印象的と言い、物語の途中で、怒り狂った父親がグレゴールに投げつけて大怪我を負わせたリンゴの意味を聞く。

先生は、リンゴはヨーロッパ文学では象徴的なもので、聖書のアダムとイヴの話、ギリシア神話のトロイ戦争のきっかけ、グリム童話の毒リンゴがあると言う。

アダムとイヴでは性的なメタファーとして読むタイプの解釈もある。しかし、お父さんがリンゴを投げつけるというのは、文学ではあまり見かけないイメージで、何かずらしてきている。そのずらし方が面白いと言う。

伊集院さんは、カフカはズレた感じで生きているのではと想像する。安定恐怖症を感じると言う。先生も、カフカの伝記を読むと、そういう面があると同意する。伊集院さんは、日本の将来が不安だとイコールで、ボーダーラインにいると感じながら生きているから、カフカの不安を共有しやすいと言う。

最後にグレゴールが亡くなった後、父、母、妹でピクニックへ行く。伊集院さんは、すごいエンディングと言い、先生は、衝撃的で、すがすがしいほど明るくしてしまうと言う。妹にいきなり夫(婿)をあてがおうと両親がもくろんでいるのも、結構怖いと言う。

先生は、自分が無用の存在であるという感覚が最後また突きつけられるのがすごいと思っていると言う。伊集院さんは、死の無意味さを思ったと言う。

ひとりで図書室で本を読む子が、最終的に才能を開花して先生になった。ひきこもっていた伊集院さんも、高校をドロップアウトして、タレントで食べていけるようになった。伊集院さんは、本当は”虫の世界”ってあると思うと考える。

先生は、文学研究も謎を解くことが目的ではないと言う。よりよく作品を理解したいというのが大きな動機だと言う。人生のいろいろな局面で、まったく別の読み方もできてしまう。

先生は、生きていることが苦しいときに『変身』を読んでほしいと言う。自分の苦しみを外側から見ることができると言う。

伊集院さんは、『変身』は虫の観察日記だとする。自分が虫になったとき、別の虫がわかると言う。自分にとっての”虫の世界”はどこか、ということを考えてほしいとする。

伊集院さんは、テレビ番組では炭鉱のカナリヤみたいな役目であったが、本書では名著を「読んだことがある人」になっている。すると、次から次へと、話したいことが湧き出したと言う。それを先生方にぶつけた。

伊集院さんは、対談した後、3冊の名著を読み直したと言う。自分の中で大きな出来事があるたびに、ページをめくると言う。そのときどき、伊集院さんの力になってくれる箇所が違うと言う。

テレビ番組「100分de名著」を視ていると伊集院さんのコメントにとても感心する。本を読んでないことが嘘のように、ある意味で本質を突いている。

番組のファンはもちろんのこと、それ以外の方も本書を手に取って、名著の様々な読み方を体験してみたらと思う。どこにも正解がないのだから、好きに読んでよいと思う。






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