見出し画像

坂爪真吾『ツイッターで学ぶ「正義の教室」』晶文社

著者から言わせれば、ツイッターの世界では、毎日のように、「自分たちの考えこそ正しい」と主張する人同士が、激しい論争を繰り広げていると言う。

血生臭い戦場となる理由の一つとして、「情報の拡散する速度がきわめて速いから」であるとする。誰もが炎上に巻き込まれるリスクがあり、一度ネット上で出回った投稿・画像・動画は、半永久的に残る。これがきっかけで、失業、家庭崩壊、訴訟、場合によっては自殺や他殺といった取り返しのつかない結果を招いてしまう。

ツイッターは、正確さに欠けるが、人々の感情に強く訴える、単純化された情報で、炎上に加担する加害者になるか、何もしない傍観者となるか、燃やされている人を助ける支援者になるかの選択と決断を、無意識のうちに迫られている。

著者は、SNSを使用する際のマナーやリテラシーといった表面的な領域からさらに一歩踏み込んで、これらの社会を生きる若い世代の人たちが、リスクを踏まえた上で、批判や炎上を恐れず、自分が正しいと思う主張を堂々と発信するため、そして自分と異なる正しさを掲げる他者と対話していくために必要なノウハウを伝えることを本書の目的としている。

著者は、キーワードとして「メタ正義」を掲げる。自分なりの正義のつくり方を学ぶことだと言う。みんなが正義と考えるもの、自分が何を正義と考えているか、そうしたことを俯瞰的(=鳥のように一段高い視点から)に捉え直したうえで、今必要な正義のあり方を構想する力を身につけることができれば、よりましな正義を選ぶことができると言う。

正義(ジャスティス)は、適切さ(コレクトネス)とは違う。また、正義は間違い探しではないと著者は主張する。マナーやコレクトネスに反する相手を、文脈を読まずに一方的に批判・攻撃する振る舞いを(こどもに失礼なネーミングだが)「こどもの正義」と呼ぼうと言う。

「この会社は、長年障害者雇用に取り組んでおり、すでに障害者がたくさん働いているので、今年度は、障害者を新規に採用しない。」から切り取って「障害者を採用しない。」として、差別発言をしたと騒げば、マナー、コレクトネスをめげる争いに勝利しやすい。

人を裁いてもいいのは、自分が裁かれる覚悟のある人だけだとも主張する、そして、ツイッター上で人を裁くことは、正義ではないと言う。正義は悪者探しでもなく、自分たちのノリや空気を守るために誰かを悪者にすることでもないとする。

正義は、怒ることでも、「復讐」でもなく、被害者だからといって場外乱闘してよいわけではないと言う。また、「誰かのため」は免罪符とならないとも言う。

公の場で、個人的な好き嫌いを叫ぶことは正義ではなく、二元論で正義を語れない。体系的であったり、論理的であることは必ずしも正義でなく、ずるいからと言って誰かを叩くことは正義ではない。

科学的統計データの結果を掲げれば、それで正義となることはない、ジェンダーギャップ指数の順位の低さ(2021年120位)から、「日本は世界で最も女性差別するひどい国である」と主張することは正しくなく、ジェンダー不平等指数の高さ(2020年24位)から、「日本に女性差別がない」と主張することも正しくないと説明する。

問題を社会のせいにする社会決定論や、市場にまかせればうまくいくという新自由主義的市場論も正義ではないとする。

おとなの正義のつくり方は、本書の第2章を読んでほしい。また、「正義」つかいこなせるおとなになるための道場として、クラウドファンディングを事例にしながら、本書の第3章で説明している。

著者は、「温泉むすめ」という全国の温泉地を美少女萌えキャラに擬人化して魅力を発信する地域活性化プロジェクトについて、キャラクター設定が「性差別」「性詐取」と女性活動家がツイートして炎上した事件で、「#温泉むすめありがとう」というハッシュタグで、全国から大量の感謝言葉を一斉にツイートすることで、暴走を止めたことに感銘を受けたと言う。

キャンセルカルチャーに対し、エンカレッジカルチャーで対抗する。感謝は文化であり、正義であると言う。

著者が経営するNPO法人では、生活に困っている女性に対する無料の食料支援を行っている。お礼のメッセージを読むと頑張ろうという気持ちになると言う。しかし、「次はいつですか?」という1行メッセージだけの人、さらに「欲しいものが入っていない!」「到着が遅い!」「普通に考えればわかりますよね?」と連絡してくる人がいる。祝日に「早く送ってください」、到着予定日には「いつ来るんですか」「まだ届かないんですけど」と督促が頻繁に来る。

生活困窮者支援の世界には、「困った人は、困っている人」という格言があると言う。感謝のスキルを身につける機会がなく、怒りや暴言、不機嫌になって相手をコントロールするという、いびつなコミュニケーションしか学んでいなかった。それゆえ、仕事を失い、孤立し、生活に困って、追い詰められている。それに気づかないからこそ、支援が必要だと言う。

キャンセルカルチャーの主導者となっている人には、過去の被害体験と思っていることをバネとして、現在の社会的成功を手に入れた高学歴者や、NPOなどの活動家に多いと言う。胸に手をあてて思い当たるところがある人は、本書を読んで欲しいと思うのだが、こういう人を、無視することがよいだろうと思う。

本書に書かれたスキルをすぐに身につけることは難しいと思うので、まずは、分断をあおるようなツイートに近づかない、ましてや賛同しないことではないだろうかと考えた次第である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?