行列のできる店

 もう10年近く、テレビを観ていない。したがって、いわゆるトレンドに鈍感である。もっとも、昔から、世事には疎(うと)かった。
 池袋で小さな編集プロダクションを経営していた頃、マンションを出ると、人が並んでいるのを見かけた。行列ができているのである。
「昼前から、ヒマな人間もいるものだ」
 と、いつも思っていた。

 ☆ジレンマ
 ある日、スタッフに訊くと
「あれは大勝軒ですよ」
 とのことだった。
 大勝軒という有名なラーメン屋があることを初めて知った。気になった。たまたま時間が空いたので、列の尻尾(シッポ)についてみた。待つこと約1時間、空腹も限界近くになったころ、店に入ることができた。
 木造平屋、まわりは、しもた屋。下町の昔ながらのラーメン屋だった。体格のいい店長が立ち働いていた。味は、というと、さすがだった。
 大勝軒にはその後、一回くらいは行っただろうか。とても時間がなかった。
「これでは、地元の人間は入れないな」
 人気が出るのも、考えものである。

 ☆生活の知恵
 四国で同窓会があった。ほとんどが幼稚園から中学校卒業まで同じ校庭で過ごした。先進の10年間一貫教育である。「竹馬の友」と、かれこれ20年ぶりの再会だった。
 近況報告をしあううち、池袋で勤めている、という女性の同級生がいた。しばらく話すと、行動範囲がほぼ重なってきた。私の事務所と100メートルも離れていなかったのである。すれ違っていても、気づかなかっただろう。年月は幼馴染みをさえ隔てる。
 当然、大勝軒の話になった。食べたくてもなかなか入れない、とぼやくと
「私の会社では電話しておいて、取りに行き、持ち帰って食べている」
 とのことだった。
 地元民の生活の知恵。賢くなったころには、少し離れた場所に事務所を移転していたような気がする。
 あの付近はいまだに、下町の情緒が残っているだろうか。道路に、遠方からの客が並び、近所の人々は湯気の立つラーメンを持ち帰る――開発の波は容赦なく、ありふれた日常を呑み込んでいく。


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