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古き良き鬱陶しいほどに愛おしい昭和~三丁目の夕日

先日、大好きだった「おじ様」が亡くなられました。
おじ様とは、血縁的に言えばハトコの親という遠い関係ですが。
実は、同居同然・家族同然というとても深い間柄で育ちました。
これは、一昔前の家庭環境と言えると思います。

と言う事で・・・。
今日は、お若い方はご存じ無いであろう「三丁目の夕日」的、家族の風景を書いてみたいと思います。

キャッチの写真は、まさに三丁目の夕日ど真ん中。
そんな時代の写真です。私の写真ではなく、母の写真です。

私自身は、いわゆる団塊Jr.世代。
誕生した頃には、既に高度成長期も終わり、核家族化が進んでいた時代ですから、本物の高度成長期は知りません。

ただ、なぜか三丁目の夕日的な家庭の在り方が残っていた家庭も、極小数ですが残っている時代でした。例えば、昔ながらの下町では子育ては地域でするもの。どこの家にも子供達は出入り自由で、遠慮無く叱られる。そんな環境で育ちました。面白いと思われますので書いてみようと思います。

私は祖父母、両親と、未婚の叔父の居る家庭で育ちました。
製菓業を営んでいる家庭で、自営業。
かつ、家族経営で祖父の兄とその子供達と従業員。
大人数で家業を回す製菓業でした。
スーパーに菓子を卸していたので、地元の方でしたら主力商品を見れば「懐かしい!」と言って貰えるかも知れません。

製菓業の作業場は、自宅に隣接しており。屋外に出ず、風呂場の隣り。物置スペースの引き戸のこう側が作業場でした。そこで、大人達が毎日毎日賑やかに、機械を動かしながら、ラジオを大音量で掛けお菓子を作っていました。

ここまでは、意外とありそうな感じですが・・・。

お菓子を作る作業場を中心にして、北に我が家、南に本家が建っていました。どちらの家も作業場と屋内でつながり。私が生まれる少し前までは、台所とお風呂を共用していたそうです。

そんなこんなで、扉と壁はありますが。
棟続きというより、同じ家の中に住んでますという感じになります。
何せ、元々一軒だったのを増築増築で繋げた家屋です。
片方の台所で、水道を捻れば、漏れなくもう一つの台所の水が出ない。
「ちょっと!水止めて!!こっちで水使うから!」と窓を開けて大声で呼びかけるとか、奇妙な風景が日常でした。

両親が結婚するに当たり、実家には台所とお風呂が増築されました。
ですから、私は本家と一緒に食事をする事はありませんでしたが。
隣が、違う家という認識は全く無く。
あちらのリビングでテレビを見ていたり。隣りのお姉ちゃんの部屋で、遊び疲れて寝てしまったり。私の初めてのお菓子作りは、隣りのお姉ちゃんに手伝って貰ったりしました。

母曰く、三丁目の夕日時代はこんな感じで近所が1つの家族のように過ごしており。人の家も自分の家も無かったそうです。
「貴女の育った環境は昭和30年代の家庭に近いのよ」と言われています。

そういう環境で、家族全員がどういう血縁なのか考えたことも無く。
小学校に入学して、祖父母の事を聞かれ。
「家は、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんが4人います」
と言い放ち、担任を混乱のるつぼに落とし込みました。

他に家族は?と確認されると。

えっっと・・・。
お父さんお母さんと、弟、妹
M兄ちゃん(父の弟)。
オジサンと、その奥さん。
お兄ちゃんと、お姉ちゃん。
夜になると帰る親戚のオバサン。
オバサンの子供で、お兄ちゃんと、妹。

ここまで来ると、担任は首が折れそうなほど
首を斜めにして考えていました。

しかしながら、私の認識の中ではこれが家族なのだから仕方無いのです。

子供達は、誰がどういう関係かなんて考える事は有りません。
自分の親くらいの人は、オジサンとオバサン。
年上の子供は、お兄ちゃんとお姉ちゃん。
自分より、年下の子供は、弟と妹。

だから、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと同じくらいの年齢で。
しかも身内なら、この人達もオジイチャン・オバアチャン。
子供なんて、そんなものです。

母が子供の頃は、我が家の様な家庭が多かったそうです。

母曰く、終戦で行き場を失った兄弟が身を寄せて生活を立て直すことが多く。それぞれに配偶者と、子供も居り。一つ屋根の下で大家族。
別に珍しい事では無かったそうです。

こういう謎な親戚がギュッと一緒に暮らす。
これが三丁目の夕日時代の特徴で、近所付き合いも濃かったので。
核家族で暮らしている今とは違い、プライバシーは吹けば飛ぶレベルで自由自在に人々は人の家に上がり込んでテレビを見るのも普通だったそうです。

ちなみに、母の実家にも、
祖父母
お姉ちゃん(イトコ)
大っきいお兄ちゃん(叔父)がいました。
イトコは両親共働きで、母の弟の娘。週末だけ親が迎えに来る。
平日は、祖父母の家に預けられていたという状態だったそうです。

ちなみに、実家の家族と思って居たハトコのお兄ちゃんと、母の弟で大きいお兄ちゃんが同級生。顔見知りだというのが、笑えます。

こんな状況でしたから。
先日亡くなった、おじ様も。
父親に近い感覚で、おじ様も娘の様に可愛がってくれていました。
そりゃ、生まれた時から同居していればさもありなんですが。

父など、おじ様を「兄ちゃん」と呼んで、本当の兄弟のように育ってきましたから父の落ち込みようは、とても気の毒でしか有りません。

現在は「はとこ」なんて遠すぎる関係で。
「いとこ」も居るけれど、良く知らない。

そんな方が多いくらい、血縁関係も狭い付き合いになってきています。
この感覚で、居ると先祖調べ(ファミリーヒストリー)をされている方は、非常に損です。少なからず、団塊の世代より上は今書いた様な認識の上で生活をしていましたから。遠い親戚の事も良く知っていますし。
年寄りから、昔の話を聞いて育っています。

是非とも、戦前生まれ~戦後の混乱期に生まれた方々がお元気な内に沢山お話を聞いて口伝を引き出して欲しいと思う今日この頃です。