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10月に読んだ本

9月は張り切って読んだのだが、10月はまた停滞してしまった。年間に100冊読もうとすると、1ヶ月に8冊か9冊は読まねばならないはずなのに。今月は3冊。そろそろ終りが見えてきた。100冊、達成できる気がしないw。


▼『被抑圧者の教育学』

パウロ・フレイレが書いた本書は、ワークショップ界隈では比較的有名な本だ。教育関係者の多くが知っている本でもある。アクティブラーニングとか、対話的な学習ということについて意識的な人は読んだことがあるだろう。
翻訳は、何度も改訂されているからだろうか、読みやすい文体となっている。フレイレが語っているような、温かい文章が続く。途中、フレイレは熱くなりすぎているところもある。何しろ革命について書いた本だ。熱くなって当然である。
独裁政権が続く国で革命を起こそうとする。反乱軍のリーダーが革命を起こそうと多くの人を率いると、その統率のなかに独裁的な要素が含まれてしまうことがある。そうしないと率いるのが難しくなるときがくるからだ。そんなリーダーが革命を成功させたとしても、新しく生まれる政権はまた独裁的なものになるだろう。では、どうすればそれを避けられるのか。フレイレはそのことについて語っている。
これがワークショップの参考になる。人々のなかに諦めの気持ちがあるときにどうすればいいのか(そもそも、諦めの気持ちはどう生まれてくるのか)。「どうせ何をしてもうちのまちはダメだ」と諦め顔の人を多く見てきた。「そんなことないですよ!」と言いたくなるのだが、「住民がこんなことを言っているんじゃ、どうしようもないかもな」と思うこともある。フレイレは、そんな住民の心のなかに何が宿っているのかを説明してくれる。
「あんな店やこんな店が来てくれれば活性化する」という人もいる。一方で、「そんな店が来ても、うちは東京にはなれないからね」という人もいる。そういう人たちの心にも同じものが宿っている。革命運動のリーダーの心に小さな独裁者が宿ってしまうのと同じだ。住民の心に小さな東京が宿ってしまうのだ。それをどうやって取り除くのか。フレイレが提案する対話の方法が参考になる。
本書はコミュニティデザインのための本でもなければ、ワークショップについて書かれた本でもない。しかし、コミュニティデザインの現場で思い当たることだらけの内容だ。具体的な状況をイメージしながら読み進むと、ヒント満載の内容だということに気づくだろう。おかげで私の本はメモだらけである。

▼『シンプルなかたち』

このnoteの記事には、毎回、奇妙な動物の写真がヘッダーに貼り付けられている。これは私がつくっている陶芸だ。南米とかアフリカなどの、古代に作られた土偶を模してつくった動物たちである。今回のヘッダーは「ボリ」。これがどういう動物なのかはわからない。しかし、アフリカのある地域では、このボリを呪術信仰の対象としているらしい。その形に惚れて、何体もつくることになった。

南米のリャマにも惚れた。かわいいのである。だからついつい作りたくなる。成形し、素焼きし、絵付けし、釉掛けし、本焼きする。そうやって生まれてきた動物たちを棚に並べて飾る。眺めているだけで楽しい気持ちになる。

いずれの動物もシンプルなかたちをしている。細かい部分は削ぎ落とされている。最初からそういうかたちとして作られていたのか、それとも1000年ほどの間に細部が削ぎ落とされてしまったのか。いずれにしても、シンプルな形に惹かれる自分がいることは確かだ。ジャン・アルプの彫刻が好きな自分がいることも確かだ。

なぜシンプルなかたちに惹かれるのか。その理由が知りたくて手にとったのが本書である。本書は、フランスで開催された「シンプルなかたち」展の図録だ。なかには古今東西のシンプルな形をしたものの写真がたくさん収められている。ページをめくるだけで楽しい気持ちになる。つくりたくなる形を発見する。自分がなぜシンプルなかたちに惹かれるのかについての明確な理由はわからなかったが、定期的にページをめくりたくなる本に出合えたことは幸せだったといえよう。

▼『ランドスケープデザインの歴史』

ちょっと気が引けるのだが、自分も著者として関わった本を挙げてみたい。再読だが、実際に最近また読み終えたので。読み終えてみて、改めて感じたのは「うまくまとまっているじゃないか」ということ。いや、自分がまとめた部分はそうでもないのだが、共著の武田さんが書いた部分が秀逸なのだ。
ランドスケープデザインの歴史は、多くがアメリカの歴史として書かれている。アメリカンランドスケープの歴史なのだ。もちろん、アメリカの文化が勃興する前はイギリスの歴史である。だから、ほとんどのランドスケープデザイン関係の本が、イギリスの話に始まり、すぐにアメリカの話へと舞台を移し、20世紀が終わるとともに本も終わりを迎える。
本書は違う。アメリカだけでなく、フランスもオランダもドイツもスイスも北欧も登場する。もちろんイギリスもだ。中国も登場する。あえて日本は本文に登場させていないが、特別にコラムをいくつか設けて日本のランドスケープデザインについて記述されている。
なぜこの本を再読したのか。2021年度の秋学期の授業の教科書に指定したからだ。1850年から2010年までのランドスケープデザインの歴史を学ぶ授業だ。毎回、1章ずつ学生たちが事前に教科書を読み、授業時間内は内容の感想を共有したり、質問を見つけ出したりする。授業の後半は、各チームから出た質問に教員である私が答える。そんな授業の形式にしたため、改めて本書を再読することになったのだ。そして思ったのだ。「うまくまとまっているじゃないか」と。
本書は11章構成である。最終章は2010年までだ。そろそろ増補改訂版を出しても良い頃だ。12章を追加して、2010-2020年の事例を加筆したい。そうすれば14回の授業にフィットする。うちの大学は、100分授業を14回するというのが半期なのだが、1回目にオリエンテーションを行い、2回目から13回目までで教科書の12章を読み込み、最終回の14回目はレポート執筆とする。そうすればもれなく授業が完結する。そんな話を編集担当者にしてみたら、「山崎さんもちゃんと書くなら企画しましょう」という返答があった。確かに、このまま進めると武田さんに頼りっきりになりそうだ。さすがは敏腕編集者。いろいろ見透かされている。


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