メディアの話、その62。なるほど、プラモはメディアだ。

現代ビジネスに、「これはやられた!」という記事が載っている。

「異色のブロガーが語る「組み立てるメディア」プラモの魅力を再発見」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55049

まずは記事を読んでほしい。

読んだら、私自身が書くことはもうない。

・・・・読みましたか。

はい。

プラモデルは「メディア」である。

以上である。

最近、なんでも「メディアである」と勝手に定義するクセがついてしまった私であるが、プラモデルのことは、すっかり失念していた。

そう、まさにあれは「メディア」である。

昔話をする。

私が物心ついたとき、60年代半ばから後半は、子供向けテレビ番組と、その子供番組とタッグを組んだおもちゃ屋さんとが、新しいビジネスを展開する時代が到来する、まさに瞬間であった。

まず、最初が、サンダーバードである。モスグリーンのサンダーバード2号。こいつのプラモデルを作らなかった私の同世代の男子は、むしろ少数派ではないか。

サンダーバード2号は、ただの貨物機である。絶対飛べそうにないドカベンの山田太郎みたいな体型に申しわけ程度の小さな羽根がついている。

普通に考えたら、シルバーのスマートなボディのサンダーバード1号の方が、圧倒的に人気が出そうなものであった。

ところが、サンダーバードといえば、当時からいまに到るまで「2号」である。

2号は、「ドラえもん」だったのだ。「ドラえもん」がメディアに登場する前から。

毎回違うコンテナに、秘密兵器が搭載され、しずしずとそのコンテナから、磁力牽引機だのジェットモグラだのサンダーバード4号だのが、お出ましになり、一番の山場のシーンをかっさらって行く。

ちびっこはもう拍手喝采である。

そして、このサンダーバード2号はおそらくはおもちゃ屋さんのドル箱プラモデルとなった。一体何台のサンダーバード2号を作ったことか。

(最近、ディアゴスティーニがサンダーバード2号を展開していた。あんなのずっと買って作る人はいるのかなあ、と思って検索したら、いました。それどころか基地まで作っていた。世の中にはすごい人がいるものである。 

https://www.youtube.com/watch?v=i3uezHtIHZA  )

このサンダーバードのマシンの人気ぶりをおそらく見据えて作られたのが、ウルトラセブンである。人気の中心は、1つの戦闘機が3つの戦闘機に分離合体する、ウルトラホーク1号である。

子供は、秘密兵器が搭載されたり、マシンが分離合体したり、という「ギミック」が大好きなわけである。その点、スターウォーズは、やっぱりやや大人向けなので、そんな子供心をマーケティングしたマシンは出てこない。

さらに、自動車に目を移すと、10年後のスーパーカーブームを見越したがごとく、やはりプラモデルとセットで登場したのが、「マッハGOGOGO」だった。60年代の子供達は、まずマッハ号を組み立てて、砂場で遊んだ日々を過ごしたのち、小学校高学年でリアルなスーパーカーに出会い、やはり本物は買えないので、プラモと消しゴムに手を出すのであった。

マスメディアであるテレビが放映する番組の中に登場する、架空のマシンが、実際に手に入る。しかも、あえて未完成のままで。完成させるのは自分自身。プラモデルの形で供された、テレビ番組のヒーローマシンを組み立てることで、視聴者である子供達は、番組の中の人になる。当事者になる。受け手としてのメディアだったのが、半ば送り手としてのメディア側に、自分も属しているような錯覚を起こす。

未完成の部品のまま提供されるプラモデル。それを組み立てることで、消費者は生産者になる。受け手のはずが、当人の中で送り手になっている。完成度がただ高いだけのモデルが欲しければ、完成品モデルを買えばいい。でも、当時から現在に至るまで、細密なおもちゃの世界において、完成品モデルより未完成のプラモデルの市場規模の方が、おそらくは圧倒的に大きいはずである。

70年代以降のスーパーカーブームや、機動戦士ガンダムブームも、プラモデルとの相性の良さが、おそらくその市場規模の拡大を招いた理由の一つになったいるはずだ。

消費者を、送り手を、生産者に、作り手に返信させるプラモデルは、まさにインターネット登場以前から存在し、決してアトム(物質)からビット(情報)に置き換えることが不可能な、いや置き換えることが意味のないメディア、それがプラモデルである。

40年ぶりに作りたくなりました。。。。

プラモデル、作る時間が取れるのは、一体いつだろう。。。。。

続きます。




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