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メディアの話150 世界で一番のレンコンを霞ヶ浦で掘る。

霞ヶ浦に行った。

レンコンを掘りに。

東京から車で1時間ちょっと。土浦の先、霞ヶ浦に面したレンコン畑には、割とスムーズについた。

2月27日。ものすごい快晴。

しかも気温が高い。セーターを着ていると汗ばんでくる。

「こいつを履いてください。テレビクルーが置いていったんですが」
野口さんに胴長を渡された。

(もしかしたら、ジャニーズの誰かが来た胴長かも)
などと思いながら、胴長を履く。

小網代の保全活動で、アカテガニのお産の撮影や観察会の仕事でしょっちゅう履いていたから、胴長自体は割と慣れたものである。

が、今日はいるのは、小網代の海辺より、ハードルが高い。

レンコン畑なのだ。深い深い静かな泥の積もった。

「着替え、持ってきましたか?」
「ええ、一応」
 答えると、野口さんはニヤリと笑った。

(なるほど、ズッコケて泥まみれになった人が何人もいるのだな)

ズッコケだけは避けよう。

「じゃあついてきてください」

野口さんの後について、私は人生で初めてレンコン畑に文字通り足を踏み入れた。


ただのレンコンじゃない。世界で一番高くて、世界で一番美味しいレンコン。
そんなレンコンが横たわる畑、である。

きっかけは、世界一のレンコン農家、野口憲一さんと、経営学者、三宅秀道さんからのお誘いである。

野口さんのレンコンは、食に詳しい方ならすでにご存知かもしれない。

1本五千円のレンコンを世に出し、あっという間に「レンコン」という野菜の価値を変えてしまった。今で1本5万円のレンコンもある。国内はもちろん海外のミシュラン星つきレストランが、争ってこのレンコンを手に入れて、振る舞う。

その野口さんとは、まさに五千円レンコンプロジェクトを執筆した「1本5000円のレンコンがバカ売れする理由-新潮新書」 の打ち上げでご一緒したのがきっかけだ。担当編集者の横手大輔さんと、野口さんの仕事にいち早く注目していた三宅先生から「柳瀬さんも来ない?」と声をかけていただいたのだ。野口さんは社会学と民俗学を修めた学者でもある。

前職で、高級ブランドのマーケティングを手伝う仕事をしたり、現職ではメディア論を教えている私にとって、「五千円のレンコン」は、まさにメディア的事件だった。

だって、レンコンですよ。お正月のおせち料理の端っこにお酢に使ったペラペラのやつ。それがレンコンだ。私にとっての。

五千円のレンコン、ありかよ。

が、その日、用意いただいた、野口さんちのレンコンを食べて、思わず叫んだ。

なんだこれは。

岡本太郎か、私は。

でも、本当に「なんだこれは」だったのだ。


素揚げにしたレンコンをいただく。
塩も醤油もつけない。
そのまま。
サクサクと気持ちのいい繊維が噛むたびに口の中で砕ける。
ほんのりと甘みが口内に広がる。
何に似ているだろうか?
 栗? さつまいも? さといも? なし? とうもろこし?
いや、違う。
これが「れんこん」の味、なのだ。
何にも似てない。
一切の雑味もえぐみも臭みもない。
なんというか、清い味、である。語彙が追いつかない!

で。
私は思うのであった。
いつか、レンコン掘りに行きたいです!
ははは、ぜひ来てください! 野口さんは笑った。

そして、4年が経った。

  途中にコロナが2年10ヶ月。

三宅先生の計らいで、コロナでフィールドワークができなかった学生を二人連れ(一人は浜松の実家の近所の子だ、偶然にも)、私たちは、霞ヶ浦に面した野口さんの畑に向かうことになった。

待ち合わせ場所は、霞ヶ浦に面したとあるセンター。
背に谷があり、正面には霞ヶ浦。向こうに牛久大仏が見える。
足元に広がる蓮田。霞ヶ浦が銀色に広がる。

絶景である。
三宅先生が「これって、柳瀬さんがいう古代人が好きな地形、ですね」
と、そこに「石棺」が。
なんと、ほんとに縄文〜古墳時代の遺跡の場所だった。

わかる。ここに住みたい。

野口さんと学生二人がそれぞれ車でやってきて、足元の蓮田に向かう。
霞ヶ浦沿いの駐車スペースに停める。
100羽ほどのカモが一斉に飛び立つ。
カワセミの声がする。姿は見えない。
「昭和の頭までは、4メートル底まで透き通っていて、上から棒を突き刺すと貝が挟まって取れたんですよ」
と野口さん。



「夏は、この蓮田が全部緑になる。最高の景色です」
空も霞ヶ浦も地面も蓮田も広い。その蓮田に向かう。
今日は、レンコン堀りをやらせてもらう。

こちらにはテレビも何度かきている。ジャニーズもきている。
クルーが置いていった胴長、ジャニーズがきたやつかも。


というわけで、冒頭に戻る。
「結構深いですよ」
 足を踏み入れる。
 体がゆっくりと泥に浸かる。腰の上まで。1メートルほど。
絹のようにサラサラで、ねっとりと重い。
野口さんは軽快に前に進む。
こっちは進まない。足を、腰をとられる。
下手すると倒れる。
こういう時は、力を抜くに限る。
力を抜いて、腰を回転させて、あしを交互に前に。

野口さんにお手本を見せてもらう。
ポンプアップした水で泥をかき分ける。左手で、探る。なかなか見つからない。
あった。しっかり持つ。あ、千切れた。
力を入れちゃだめ。
軽く持ち、周囲の泥を払うように、水をぶつける。
今度はうまく行った。
高級レンコン、発掘。



陸に上がる。
「この道路が元々クリークで、昔は船で移動していたはずなんです」
「で、手前の畑に入ってみてください」
あれ、泥が浅い。15センチ程度。
「おそらく、川が運んだ一番重い砂地が川沿いに堆積する。で、川を覆っていたヨシが腐敗した腐葉土が、シルトになって、より遠くにゆっくり堆積する。さっきの畑は、そういう場所です。だから川から離れている。これ、人工的にはできない。100年200年長い時間をかけて堆積した地形で、その地形を活用して、ハスを育てているわけです」
なるほど。
この後、野口さんのうちで、手料理をいただく。すべて採れたてのレンコンである。

最初に刺身。薄く切って、何もつけない。
柔らかい甘みと、サクサクとした歯応え。
えぐみも臭いも一切なし。

なんだこれは。またしても岡本太郎に。

続いて、つみれ。すりおろした蓮根の中に浮かんでいる。
色は薄いグレイ。ちょっと里芋に似た色。
でも味は全く異なる。
里芋のようなあの土臭さは全くない。
泥の中に眠っていたのに。

なんだこれは。

そして、天ぷら。

改めて、なんだこれは。

最後に、火入をしたレンコンと炊き込みご飯を合わせたレンコンご飯。

最後の、なんだこれは。

そう、野口さんの作るレンコンは、なんだこれは、の連続である。

そしてそのレンコンが育つ蓮田とその蓮田を作った地形、霞ヶ浦が、さらになんだこれは、である。

旧石器、縄文からの初期人類が最初に到着したおそらくは別天地。
太平洋に連なる巨大な浅い香取海。
それに面した丘陵。小さな流域がいくつも流れ込む。
住まいも、水も、生き物も、食べ物も、移動するための水路も、すべてある。
海に向かうことも、東北を目指すことも、南に抜けることも、鬼怒川沿いに関東の奥地と行き来することもできる。
「昔は、みんな船を持ってたんですよ。うちのじいちゃんの世代まで」
その世界、もしかすると1万年単位で続いていた世界からもしれない。

このレンコンとこのランドスケープと野口さんの生き方が、未来だ。

巨大なご近所バースにあってきました。


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