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国道16号線、その5。貝塚とアウトレットとアナゴと消えた16号線。

千葉市立動物園を抜け、しばらく渋滞に巻き込まれる。

目の前に高速道路が見える。京葉道路だ。国道16号線は、この京葉道路と並行してしばらく東へと向かう。そのまままっすぐ千葉市内へと進むと、千葉少年鑑別所がある。その先はすぐに千葉の海だ。ちなみに、国道16号線の神奈川側の終着点、横須賀市走水の先には山をひとつ超えると久里浜の少年院と横須賀刑務所がある。少年院と刑務所の目の前は、山を背にして横須賀の海が広がる。国道16号線と縁のある施設は、ショッピングモールと、大学ばかりじゃない、というわけだ。

「それから、ビデオ鑑賞、ですよね、16号線は」

相棒のAM氏がにやりとつぶやく。千葉市に入ってから、街道沿いに目立つのが、「ビデオ鑑賞」の看板とコンテナに毛の生えたような建物である。

「なぜかラブホテルは少ないのに、ビデオ鑑賞ルームが多い! これは明らかに八王子あたりの16号線風景とは違いますぞ!」

AM氏が力説する。そーなのか、八王子と千葉は違うのか。それにしても、AM氏の統計データはいったいどこから引用しているのであろうか。謎である。

京葉道路としばらく並行して走る。左手に緑地が点在する。実はこのエリア、貝塚街道である。東寺山貝塚。荒屋敷貝塚。そして高校の日本史の教科書にもでてきた加曽利貝塚。京葉道路と国道16号線が走っているあたりが、おそらくは縄文時代の海岸線、というわけである。海岸に面した丘陵に、縄文のひとびとが暮らし、貝を食べて生きていた。

やはり国道16号線沿いの、すでに通り過ぎた手賀沼とちょうど反対側、千葉方面を見て右手の鎌ヶ谷市には東林跡遺跡があり、こちらからは旧石器時代の石器が発掘されている。あるいは、16号線からやや外にでた成田市の三里塚も旧石器の出土場所である。

国道16号線の歴史が、数百年数千年どころか、数万年単位、というのが実感できるルート。それが、この京葉線道路と並行して走る千葉の16号線、というわけである。

国道16号線は、途中で館山自動車道と名前を変えた高速道路と別れを告げ、海辺へと出る。大型トラックの数が再び増える。市原のコンビナード群が見えてくる。

国道16号線の起点は横浜市西区高島町。国道1号線と重なる地点。JRの高架の向こうは、横浜の海だ。あそこから20数十キロ。東京湾の反対側で、16号線は海と再会する。養老川の河口の橋を渡ると、ひさしぶりに真っ平らな土地をまっすぐ走る道になる。昔のアニメの背景のように、おなじ景色が延々と続く。

「退屈ですねえ」AM氏はいう。

「退屈だねえ」私が返す。

柏からすでに50キロ。国道16号線は、丘陵地帯を登ったり下がったりしながら走ってきた。地形に沿って、道筋は川のようにゆったり右へ左へとくねる。計画的に作られた産業道路や放射線道路と異なり、古い街道をつないでつないでつくってきたのが16号線、というのが実感できる。

千葉は市原のコンビナートの海岸線ではじめて16号線は、産業道路になる。並行して工場に直結した鉄道の貨物引込線路が走っている。おそらく古代の16号線は、この産業道路ではなく、1本山側に入ったところを走っている県道24号線、県道287号線ではないだろうか。道の自然なくねり具合が、どうにもあやしい。

そんな退屈な直線道路を10数キロ走る。景色が変わるのは、袖ヶ浦に入り、雨でけぶった高速道路。東京湾をわたってきたアクアラインが見えてきた瞬間だ。

道路はいったん海を離れて左手へと蛇行する。海沿いには、三井アウトレットパークがある。この三井アウトレットパーク、東京湾を挟んで、埼玉県入間市にある。八王子の南大沢にある。横浜の幸浦にもある。ちょっと内側になるけれど、千葉と埼玉と東京の境、三郷にはやはり三井系のららぽーとがある。そうそう、ここにはIKEAがあるが、IKEAはやはり八王子の橋本にもある。アウトレットモールと16号線とはお友達である。三井の中のひとに話を聞きたいところである。イオンほどではないが、アウトレットモールがこれだけ沿線にある道路は他にないかもしれない。

といいつつ、当然のことながら、我々はアウトレットモールには寄らない。

内房線を渡って、アクアラインをくぐり抜け、アップダウンのある広い通りを走り、途中で右折して、再び内房線を渡ると、ひさしぶりに街のにおいがする。木更津だ。そのまままっすぐいくと海岸線にぶつかり左折。またまた一直線の海岸道路になる。東京湾岸道路となった16号線をしばらく走ると、16号線自体は湾岸道路と別れ、左折する。かなり長い坂道が見え、その向こうに巨大な集合住宅が現れる。

「あれ、なんですかねえ?」AM氏が聞く。

知るわけないだろ! 知っているのは、グーグルマップさんである。

おしえていただく。

わかった。新日鉄住金の君津製鉄所の社員住宅、大和田住宅。

なんたる規模だ。高島平や光が丘住宅のようなサイズ感である。製鉄産業の規模を思い知る。16号線は団地も数々控えている。そちらの調査は別途することにしよう。

が、我々は団地へは向かわない。団地は団地団に任せる。

我々はひだすら16号線を走る。

ここから16号線は、この大和田住宅のほうには向かわず、右折して、さきほどわかれた産業道路と並行した内側を走ることになる。右手が海。左手はいきなり急な山の斜面である。おそらくこの16号線が埋め立てが始まる前のかつての海岸線であろう。案の定、新日鉄住金の住宅の脇には「きさき塚古墳」がある。

そしてなんと。ここから16号線は、片道一車線の、実にほそーい一般道路になってしまうのである。ところによっては片道三車線の高速道路以上に広々として16号線は、ついに千葉の先で、片道1車線となってフェードアウトしようとしているのであった。君津市のどうやら古い商店街を兼ねた道路のようで、酒屋さんや洋品店などが並んでいたりする。

そして、面白いのは、木更津あたりからこのエリアにはやたらと青い瓦屋根の家が多い。青い瓦屋根と千葉の16号線の関係。調べねばなるまい。

国道16号線は片道1車線。けれども、すいすいと走る。なぜなら車がほとんどいないからである。平日の朝11時30分。そう。東京を出てから5時間が経とうとしていた。

「おなか、減りましたねえ」

AM氏がいう。

減った。

私たちは、店をみつけた。アナゴ屋さんである。

「千葉の海らしいじゃないの」

「このさきは、すぐに富津の海水浴場ですね」

「アナゴ食おうか」

「行きましょう」

そして、駐車場に車を止めて、私たちは気づいた。

いま走ってきた道路は、すでに国道16号線ではないことに。

どこに消えたのだ、16号線は。


続きます。



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