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映画「perfect days」

ヴィムベンダース監督の「パーフェクトデイズ」を観た。
「ゴジラ-1.0」とどちらを観ようか迷ったが、久しぶりのヴェンダース監督作品を観ることにした。

 これは、東京(渋谷区?)で公衆トイレの清掃員として働く男の日常を淡々と描いた映画である。主人公の名前は「平山」。これは、小津安二郎監督の「東京物語」で笠智衆演ずる老人「平山周吉」から取ったものである。
 いかにも、小津安二郎監督を敬愛して止まないヴェンダース監督らしい。
さて、この主人公は何故一人暮らしで、トイレの清掃員として働いているのかは、一切説明されない。

 彼は淡々と自分が決めたルーチンに沿って日々を生きている。
毎日、朝早く起き、歯を磨き、作業服に着替え、缶コーヒーを買い、車で
現場に行く。作業は昼過ぎに終わり、その後、銭湯でひと風呂あびて、行きつけの場末の居酒屋で一杯のみ家に帰る。それから、部屋で育てている植物に水をやる。たまには、淡い恋ごごろを抱いている小料理屋のおかみのところへ顔を出す。

 趣味と言えば、フィルムカメラで、木漏れ日を撮影することだ、それもモノクロで。と、読書。そういえば部屋にはテレビがない。
 そんな、変化のない日常でもいろんなイレギュラーなことが起きる。若い同僚の恋沙汰につきあったり、トイレの中の謎の3目ならべ、突然の姪っ子の出現。
 この映画は、最近のVFXやCG等を駆使した、大作映画とは真逆の映画である。
時には退屈してしまうだろう。

 しかし、そこにはなんというか、わびさびのような味わいを感じる。
雑踏の中でひとり、意味不明の踊りを踊る老人(田中泯)。主人公はその老人と言葉を交わすことはないが、なぜか、心がお互いに通ってるようにも見える。

 主人公にとって、ルーチンの生活を行うことは、何か自分に罰を科しているかのようである。完全にルーチンを守ることが彼にとって必要なのだ。
しかし、何事も思い通りには行かない。
だから、最後に彼は禁を破って煙草を吸う。
 同じことを繰り返し行っているように見えても、それは常に変化している。

 方丈記の無常観のようなものだ、同じようにみえて同じものは無い。
映画の最後に出てくる、木漏れ日は樹々の間から、漏れ来る光であるが、二度と同じ木漏れ日は無いというコメントと似ている。

 何事も無常であるということは、いろんな価値観が絶対的であるような、現代において相対的な価値を見つけることが大切であるということを、この映画が伝えてくれているようだ。

 パーフェクトデイズとは、パーフェクトではないことが、パーフェクトであると言っているのでしょうか。
「今は今、今度は今度」😊

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