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漫画編集者による意味のよくわからない言葉から漫画の本質に近づいてみようのコーナー4 「そのキャラクターである意味がわからない」

どうしてこのキャラクターにしたの?

この質問も編集者がよくする。
主に短編とか長編の出だしで聞かれる言葉である。
「他のキャラクターでも良かったんじゃない?」
とワンセットになってることもある。これを聞いてアナタ(もちろんボクも)は思うだろう。
どうしてって……なんとなく。
発想の根っこなんてそんなものである。それでも精神分析でするように深掘りを続けていくと
「実はボクの両親の特に父は毒親で、学校に行ったら『お前に学問は必要ない』と言うし休んだら『人としてダメだ』と言うし、そういう恨み辛みがボクの中に溜まってそれを晴らすべく……」
と、暗い何かが出てきちゃったりする。
もちろん編集者はそういう人生相談をしたかったわけではない(多分)。
じゃあ、編集者が何を言わんとしているのか。漫画家は何を描けばいいのか。

やりがちな失敗

ここで漫画家が失敗しがちなのは
「ああ、じゃあこのキャラクターの背景を描けば良いのか」
と思い至って、そのキャラクターの事情を描いてしまうことだ。
「このキャラクターの両親の特に父は毒親で、学校に行ったら『お前に学問は必要ない』と言うし休んだら『人としてダメだ』と言うし、そういう恨み辛みがボクの中に溜まってそれを晴らすべく……」
いや、これでも良いときは良いんですけどね。大概ダメ。
何処がダメかっていうと、これでわかるのはそのキャラクターの事情。アナタの(もちろんボクのも)暗い過去の事情に誰も興味なんか持たないように、キャラクターの過去の事情って読者にとってどうでもいいのである。大概。
でも、漫画家はそこを勘違いして
「えーっと、このキャラクターは両親が毒親で……」
と事情を説明し出す。そして、こっちの方にいくと、抜け出せなくなる。
昔、呉智英氏が「その狙撃はゴルゴでなくてもよかった」という論争を誰だかと延々続けていたが(確か『バカにつける薬』収録)、その時も狙撃者の役割、事情について説明していて論争から抜け出せなくなっていた。

『バカにつける薬』(双葉社 1988)

じゃあ、何を描けばいいの?

もちろん、こんなんなっちゃう大きな原因は編集者の不用意な発言だ。もっと誰にでも理解しやすい要求しろよ。と思うが、まぁそれを言っても詮無し。とにかく解決策を捻り出さなければ収入にならない。そこで描くべきは実は
キャラクターの事情ではなく心情
なのである。毒親がいる事情ではなく、毒親に痛めつけられて歪んでいく心情を描くのだ。エクスキューズが欲しいのである。こうすると編集者は
「なるほど、こういうキャラクターならこの場にいても当然だよね」
と納得する。
これを怒濤のように展開させているのが最近の週刊少年ジャンプ、ジャンプ+など。キャラクター商売になってるから一人一人の心情にフォーカスさせて山ほど説明していく。そしてキャラクターを個別に売っていく。心情を一杯語るにつれ物語の湿度が上がるので、正直ボクにはくどすぎる。さっさと話を進めてくれよ、って思う。

ついでに呉智英論争解決策

では上の呉智英論争は、どうやって解決すれば良いのか。ゴルゴは語らないキャラクターだから「オレの両親は毒親でさ」なんて心情を吐露させられない。ここは一番、テクニックがいる。こういう時は
他の名だたるスナイパーたちがこぞって
「オレにはおっかなくて出来ねえ。しくじったらこっちがやばい。できるとしたら……」
みたいに心情を語れば良いのである。
まぁゴルゴは事情を語る漫画なので、そこまで心情を語らないのが粋ってものかもしれないけど。



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