見出し画像

YANAGIHARAホールディングス ターニングポイント

画像1

本年4月3日。北九州市小倉北区。
「YANAGIHARAホールディングス杯プロボクシング11」を行う。NPOと会社の法人格を持つYANAGIHARAホールディングス。YANAGIHARAボクシングジムは会社法人の傘下に置いた。

中学生の頃から、YANAGIHARAボクシングジムでボクシングを始め今年、駒沢大学ボクシング部を卒業した後、当ジムに戻ってくる濱村悠太郎。これがメインイベントを張る。

悠太郎が私の手から離れ、あれから8年。8年といえば、馬なら種付馬か死んでるかのどちらだが、我々は最初に出会った時から変わらず初心を忘れず、ボクシングと北九州と他人の事を労わる事ばかり考える所は、お互い変わるどころか、年内強化されている。

さて、プロボクシングの新人王といえば、ボクシング関係者ならずボクシングファン必見! KOを狙い、打ち合い必至。我々からすれば、各地区の代表と戦い、冬には東軍と西軍の代表決定戦が行われる年に一度だけのチャンス。

東軍に勝つと、全日本新人王となり日本ランキングに入るという、日本タイトルを獲るより確率的には難しい、一発勝負で運も左右する戦い。私はいつの日からか日本タイトルより、全日本新人王を排出したくてたまらず、4回戦の新人を熱心に指導し、現在に至る。

YANAGIHARAジムからは、過去1人西部日本新人王は出た。が、中日本地区との対抗戦で負けた。今年は楢崎錬がライトフライ級西部日本新人王になってるが、実は悠太郎もこれにエントリーする。

新人王戦出場規約 アマチュアは20勝以下

最初は、上記のとおり悠太郎は当然出場不可というルールとおり、アマでバリバリやった駒澤大のボクシング部副キャプテン。この相手を探すの大変だな、と思ってた。

悠太郎の場合、アマチュア戦績が考慮され、いきなり6回戦デビューとなる。相手を大阪、東京で探していると、実は悠太郎は高校大学を通じて20勝どころか17、18勝しかしていない事が分かった。

と言う事は、アマチュアで高校・大学と公式戦を、数十戦戦って20勝してない。新人戦はルール上、出れると。いうマサカという坂が今年YANAGIHARAジムに舞い込んだ。

うーーん。8年ボクシングをして20勝してない事を喜ぶべきか、恥ずべきか(笑)。

画像2

私の考えだが高校は高校、大学は大学で各々指導をして頂き、まず感謝する事がある。それは礼儀挨拶、次に悠太郎の良い所を引き出していただいた事。駒大の「消えた天才。井上尚哉に勝った男」でもある林田太郎君とは、悠太郎を通じ有意義な意見交換ができた。

画像4

この林田太郎の下で、きっちり腕を磨いた悠太郎は幸せ者であるが、流石に天才とは、悠太郎の性格の中に、ボクシングでもう一歩勝てない理由を彼と話して私に簡潔な表現で分からせた。私も読み取れた。本当に良い男には、良い男が寄る。

アマチュアとプロの違いはグローブが違うだけで、あとは変わらない。神はやはり存在する。悠太郎が20勝できぬ原因があるのは何処かの経過を間違えてるから、こう言う成績になった。

ではYANAGIHARAジムで更に高めて見せよう。全日本を獲ろう。YANAGIHARAジム最高顧問、島田信行トレーナーも、悠太郎がYANAGIHARAジムから出場した、芦屋大学で行われたアンダーJr.全日本決勝に来ている。相当力を入れ私に指導して下さっている。

画像4

ありがたい事である。人は1人では生きられないと言う。ジム設立からここまでたった14年。アマチュア界の隠れた日本のボス、名古屋のチームゼロの中嶋会長のジムは私が顧問をしている。男山根を引きずり落とし名を挙げた、漢・澤谷さんの会社も、私が顧問をさせていただいている。全てボクシングでのご縁だ。

これだけのメンバーや取り巻きが、ボクシングのお陰で集まった。誰がどうと言う事ではなく、今YANAGIHARAジムは東京や関西と何ら変わることなく対決していける。勿論「仲良く」だが。

全日本新人王フライ級は、YANAGIHARAジム濱村悠太郎が獲る。

素敵やん。

ああ、日々、楽しく幸せである。


宜しければサポートお願い致します。正しい教育活動に使います。今後とも宜しくお願い致します。