094 遊戯王カードが好き(だった) <中>

(↓前回からの続きです)

『にんていカードの思い出』

4.
 翌朝、川口との「持ってきた?」「うん」という短い会話の後、カードの管理係だった僕がクリアファイルからカードを取り出して、川口のお道具箱のフタに入れた。

 2時間目の休み時間、川口と僕は軽くアイコンタクト。さあ、ここからがショータイムの始まりだ。
教室の前の方に立ち、「今日から発売のにんていカードだよー」と呼びかけると、みんなは「(?)」という顔を浮かべた後に、ワラワラと川口のお道具箱の周りに集まり始めた。

 (遊戯王カードにとってかわるカードゲームが、川口とやなせ2人の手によって出来た!)ということを徐々に察知し始めたクラスメイトは「すげー!!!」と感嘆の声を上げた。

 「はいはい、一人ずつ、一人ずつね~」と、同い年なのにまるで子供をあしらうかのように言う川口。
教壇の前に、にんていカードを手に入れようとする人々の列が出来た。

 本家遊戯王が40枚からデッキを作れるのに対し、にんていカードは20枚ぐらいからでも遊べるようなものだった。
そのため、早い人はその日のうちにデッキを作れるほど、にんていカードを多く手に入れ、そこらじゅうでデュエルが始まり、皆が対戦に興じる光景が目の前に広がった。
僕と川口は再度、無言のアイコンタクトを交わして頷いた。共同創設者として、二人で達成感を噛み締めていたのだった。

 用意した在庫250枚はすぐになくなった。あまりのブームの加熱ぶりに、隣のクラスからも噂を聞きつけた人が来るほどだった。
すぐに再生産をかけたが、高橋ゆうやが1度の休み時間に4回とか引くため、すぐになくなってしまうので「一回の休み時間に一人一回まで!!」という規制まで設けられた。

 にんていカードは驚くほどすんなりと、クラスに受け入れられすぐにブームとなった。(そりゃそうだ。遊戯王カードとポケモンカードのパクリなのだから 声:キートン山田)
僕と川口はブームの仕掛け人として、にんていカードの勃興を肌で感じていた。

5.
 にんていカードのブームから一週間ほど経ったある日、僕と川口は、サッカー少年団がある日以外は、川口の家に集まり、いつも新作カードを作ることに追われていた。
こんなカード作ったら、みんな驚くぞ~という、プロデューサー的楽しさを感じながら日夜制作に励んだ。

 第三段新作カードを持っていったある日、奇妙なことが起こった。(一週間で第三段というかなりのハイペース)
いつもどおり、お道具箱にカードを開放し、みんなが引きに来たのだが、その日は不思議とレアカードばかり無くなっていく。
お道具箱には使えないカードばかりが残って、あとの方に引いた人たちが「こんなカードばっかりかよー!」と文句を言っていた。

 僕が「今日なんでレアカードばっかり無くなるんだろう」とつぶやくと、「だって良いカード全部デカイじゃん~!」と軽口を叩くやつが居るではないか!
…声の主を見ると、それは他でもない高橋ゆうやだった。

 一回の休み時間にカードを4回引いて「一回の休み時間に一人一回まで」の規制を設ける元となるほど、にんていカードに熱中していた高橋ゆうやが、「にんていカードはレアカードのほうがサイズがデカイ」という制作者しか知らないはずの法則を発見し、皆にリークしたのであった!!!

 にんていカード4つの特徴のうち、僕がノリで決めた

・強いカード・レアカードはカードのサイズを大きなものにする

の法則がアダとなった。

 僕と川口は大いに焦った。
この法則がリークされたことを逆手に取り、今度はレアカードを極端に小さいものにし、最初は難を逃れたと思ったのも束の間、その法則さえバレるのには1日とかからなかった。

 それでもまだ僕は、にんていカードを諦めたくなかった。仲良しの川口君と初めて作った”作品”である。こんなことで終わらせてたまるか!と思っていた。

6.
 毎週月水金はサッカー少年団の練習日だった。
その中で、二人一組でパス練をする時間があった。皆、仲の良い人と組んでいて、僕はいつも川口と組んでいた。

 パス練中、いつもサッカーとは関係のないどうでもいいことを話していた。
 その日もいつものように僕が「もうカードなくなってきたからさ~明日にんていカード作るべ」と川口に言った。

 すると、川口からは、驚きの言葉が帰ってきた。
「にんていカード、(権利を)もうやなせにやるよ。」

えっ…と言うことしか出来なかった。川口が蹴ったボールが、コロコロ…と転がって横に逸れた。

 ボールを拾った後、「どういうこと?」と聞くと、
「いや、もう俺にんていカード辞めるわ。これからお前が全部やっていいよ」と川口は答えた。
そうか、と言ってそれっきり、にんていカードの話はしなかった。

(こんなに人気のコンテンツを手放すなんて、あいつは馬鹿だなあ)と思いながら、心のどこかで少し寂しかった。
それ以降、川口はにんていカードには一切無関心になり、もちろん休み時間に引きに来ることもなかった。

 翌日、わずかに残った在庫と、僕が一人で考えた新作カードを加えていつもどおり休み時間みんなに引かせた。
リリース当初ほどのブームではなかったが、まだにんていカードの関心は高いもので、高橋ゆうや、平河かずきを始めとしてヘビーユーザーがたくさんいた。新作カードのお披露目は、いつもそれなりに盛り上がった。

 しかし、そもそも僕と川口の画力は、天と地の差・レバニラとニラレバの差だったので、川口の書くカッコいい絵のカードが人気を下支えしていた。
川口の代表作で人気カード『屍を貪る龍』と、僕の代表作『甘チャン』(甘酒に、酔っ払ってるみたいな顔が書いてあるキャラ。1ゲームで5回まで回復してくれる)では、やはり屍を貪る龍のほうが人気だったのだ。僕のキャラクターはどちらかというとビックリマン2000に影響されていた。

 「やなせ一人体制」になってからというもの、にんていカードの人気は徐々に下火になり、一部残った、高橋ゆうやを始めとするヘビーユーザーのおかげで存続しているような状態だった。
そんな矢先、事件は起こった…

(続きます)

うれしいです。