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冴えない会社員だった俺が京都で町興しの映画祭を頑張ったら1本のアニメが出来上がってしまったお話 その4

やってきた朝!緊張が徐々にほぐれていく

(前回 https://note.com/yangyang_film987/n/n581d40f5856b)

2019年12月1日。事前予約を受け付けていなかったため、一体どれくらいの人が誓願寺に集まってくれるのか不安でした。しかし、実に10人ものお客さんが、朝早くから映画上映付きアニメ制作に申し込んでくれました。中には石川県からはるばる京都まで来てくれた方までいらっしゃったのです。飯塚監督と宇治茶監督はどちらも、かわいらしいイラスト付きのエプロン姿で登場しました。スタッフの1人はその恰好を見た瞬間、「これは良いものになる」と確信したそうです。それくらい、最初から和やかなムードが会場には漂っていました。

ただ、「アニメ制作をする」「映画監督と話す」という経験自体が初めてのお客さんもいるので、序盤は緊張感もなかったわけではありません。工程を説明する監督2人の話を黙って聞く時間が流れていきます。そこで、私は思い切って「みなさん、質問はありますか?ちなみに、僕は全然分かっていないのですが」と言ってみました。2人が用意した脚本はかなり奇想天外な内容だったので、「なんとなく」作業に突入してもピンとこないと感じたからです。何人かが挙手してくれたのをきっかけに、質疑応答が始まりました。脚本の内容についても、多くの人が細かく設定を聞いてくれました。

土台となるストーリーはこうです。ある青年が海外からやって来た友人、ジョージを京都観光に連れていく。そこで見つけた地蔵を馬鹿にすると、封印された悪霊を怒らせてしまう。その影響で魑魅魍魎たちが京都に集結し、大混戦に…私も改めてあらすじを書いていて何が何だか分からなくなってきました…

楽しいものはいくつになっても楽しい

お客さんは1人1キャラクターを担当し、作画や工作、アフレコまでを行います。設定は脚本から自由に変えてもかまいません。たとえばジョージはなぜかペンギンになりましたし、混乱を鎮める陰陽師はインチキくさい手品師に変更されました。そして、人間は宇治茶監督指導のもと紙人形で、モンスターたちは飯塚監督の指導のもと粘土細工で造形することになりました。

面白いのは、みんな最初は手が止まっているのですが、一度動かし始めたら夢中でお絵かきや工作を続けていたことです。たぶん、「何をしていいか分からない」「大人になってお絵かきなんて恥ずかしい」という気持ちがあったと思うのです。しかし、監督たちがちょっとアドバイスをして方向性を見つけると、たちまちものづくりの面白さが押し寄せてきたのでした。

後日、飯塚監督と話したときに聞いた言葉が印象的です。

「人間誰でも子どものときは楽しく絵を描いたり粘土遊びしたりするわけじゃないですか。でも、大人になると才能がないとか、上手くできないとか言い出してものづくりを止めてしまう。子どものときに、上手い下手なんて関係なかったじゃないですか。楽しいものはいくつになっても楽しい。それを伝えたい」

実際、次々形になっていったキャラクターたちはそれぞれ個性的で、上手い下手を超えた味がありました。私たちは年齢を重ねるほど、誰かに評価されるために動くことばかり考えていたのかもしれません。純粋な楽しさだけで作るアニメーション。これは、いざワークショップを開いてみてから出会えたテーマでした。

まさかの時間切れ!?お客さんからの申し出

同じことは、アフレコでもいえました。みなさん、キャラクターの細かい設定や性格は自分で考えていきます。だからこそ、そのキャラクターを正確に演じられるのは世界で制作者本人しかいません。ほぼ全員がアフレコ初体験だったと思いますが、名演技の連続で現場は大爆笑でした。舞台俳優の方がさまざまな声色を使い分けるのも、淡々とした口調でモンスターが喋るのも、全部がぴったりとはまっていました。私が尊敬するジョン・カサヴェテス監督は「全ての人が名優だ。それに気づいていないだけ」という名言を残しています。あの日の感想を言い表すなら、まさにそんな感じでした。

ただ、楽しすぎるがゆえの問題も発生しました。みんなで細部にこだわりすぎたため、たっぷりあると思われていた制作時間が足りなくなってしまったのです。講堂でそのまま映画上映をするつもりだったので、スケジュールは変えられません。急遽、お客さんにはプレスコ(声を先行して録音すること)をしてもらいました。そして、残りの作業を監督2人が別室で続けることにしたのです。人形は全部完成していたので、後は撮影を終わらせて編集するだけでした。すると、半数ほどのお客さんがすでに映画のチケットを買っていたにもかかわらず、一緒に別室へ移動してきました。そして、「私たちも最後まで制作を手伝いたい」と言ってくれたのです。

カメラを操作しながら複数の人形を動かすのは監督2人だけでは手間でしたので、正直この申し出はありがたかったです。一方で、「映画を見たかったのに気をつかってくれただけではないか」と申し訳なくも感じました。しかし、狭い部屋の中、さっきよりも監督たちと近い距離で作業できて、お客さんたちは心から楽しそうでひと安心しました。『バイオレンス・ボイジャー』を見てもらえなかったのは宇治茶監督に悪かったのですが、どうも未見の人は少なかったようです。監督のファンからすれば、共同作業でアニメを作る時間こそ貴重だったのでしょう。

完成!お客さんとスタッフで上映会

嬉しいコラボレーションもありました。お客さんとして来てもらっていた絵本作家の小池壮太さんがクライマックスの背景を描いてくださったのです。他のシーンでは背景に京都市内の写真を使っていたのですが、衝撃的なラストに相応しい迫力満点のビジュアルを生み出してくれました。

結局、予定よりも1時間ほど遅れてしまったものの、無事作品は完成します。タイトルは『爆裂!カタストロフ京都旅情~地蔵馬鹿にするべからず~』。まあ、このタイトルは後日、Youtubeに掲載する際、慌てて監督たちとつけたのですが笑。上映前には映画祭スタッフもほぼ全員集合していました。その日の血と汗と涙の結晶となったDVDをプレイヤーにかけるときはさすがに緊張しましたね。

上映中、誰よりも爆笑していたのは宇治茶監督。穏やかに微笑んでいたのは飯塚監督でした。お客さんもスタッフもみんな笑顔で4分半が流れていきました。最後はみんなで記念撮影をして、歴史的なワークショップは幕を閉じたのです。ひとつだけ心残りがあります。遠方から来てくださった1人の女性参加者が完成を待たず、途中で帰らなくてはならなくなりました。別室での作業も真剣に取り組んでいただいた方でした。私が連絡先を聞くのを忘れてしまったため、完成の報告をできずじまいです。もちろん、SNSでアップするとは言っておいたのですが…。彼女はYoutubeで作品を見ていただいたのでしょうか。

映画祭の打ち上げでは、私が酔っ払いすぎて宇治茶監督に絡み小林監督に怒られるなどいろいろあったのですが、それを語るのは控えておきます…。以上で、私が映画祭で、監督たちのアニメーション制作ワークショップに関わった思い出は終わりです。

エピローグ~遊びのない生活はつまらない~

私はずっと、「つまらないな」「面白くないな」と思いながら生きてきた人間です。自分が映画やお祭りを生み出す側になるなんて考えたこともありませんでした。はっきりいって、私はカリスマ性や才能に恵まれてもいません。「映画に関わりたい」と思ったのも20代後半からです。

でも、がっつきさえすれば。ちゃんと人に「やりたい」と伝え、自分で場所を探す努力をすれば。正直、大抵の夢は叶います。そして、叶ってからが勝負です。夢が現実になった瞬間、結果を求められます。自己満足でなく、関わる人全員を幸せにしなくてはなりません。私はその責任感にさえ、抜け殻のように生きていたころ、つまらないと愚痴ばかり言ってたころと比べて心躍ります。

2020年。世の中はコロナでたいへんなことになりました。しかし、誓います。どのような形であれ、今年も京まちなか映画祭は何らかの形で開催します。オンラインでもなんでも使って、お客さんがものづくりを体感できる時間を生み出します。映像以外にもさまざまな分野とコラボレーションしたいと考えています。

「今は文化なんて不要不急」という意見もあるでしょう。私も、強く反論する勇気はありません。でも、『劇場版SHIROBAKO』という映画で、アニメーターさんが「ものづくりは原始的な衝動」という旨の台詞を言っていました。

文化のない人生は寂しい。遊びのない生活はつまらない。少なくとも私はそう思います。そして、文化が後回しにされがちな時期だからこそ、もう一度みなさんにも、無我夢中で絵や工作を楽しむ時間を体験してほしいのです。理屈抜きで泥団子を作っていたあの頃のように。毎日のようにクレヨンを折って怒られていた誰かさんのように。








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