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『超訳・桃太郎』

 どうしても我慢できないことがある。
 俺は鬼退治に向かっている。理由は鬼たちの横暴が許せなかったからだ。当然だ。だが、そのためには仲間がいる。俺ひとりでは難しい。
 祖母はなんでも吉備団子で解決できると考えているようで、俺に吉備団子を持って行けと渡してくれた。祖母は吉備団子と学校に持って行く雑巾だけは必ず俺に寄越してくれる。ところでどうして学校はあんなに雑巾を持ってこさせるのだろうか?
 しかし祖母の言うことは信じることにしておく。なぜなら彼女がいなければ、俺はあのまま川に流れ続けていたかもしれないからだ。祖母が俺の桃を拾ってくれた。感謝している。
 その頃、祖父は柴刈りに行っていた。祖母が俺の桃を割ってくれた。
俺に傷つけずに丁寧に割ってくれた。感謝している。そして祖父は俺に桃太郎と名付けた。
 酷い名前だ。もう少しなんとかならないのか。感謝はしていない。そもそも祖父は柴刈りをしていただけだ。家に帰ってきた祖母が見つけた桃を見て、驚き、中から出てきた俺を見て、桃太郎と名付けたのだ。
 こういう男にはなりたくない。何の権利があって名付けたのか理解できない。

 だが、それはもう終わったことだ。いま我慢できないのは、吉備団子で集めることができた仲間が、犬と猿と雉だということだ。
 できれば人がよかった。当然だろ。俺はこの畜生どもを仲間として鬼を退治しに行くのか?大の男が犬と猿と雉を連れて戦いに臨むのだ。それを見た鬼たちはどう思うだろうか。
 小粋なお供連れてるやん、と思うだろうか。
 ない。そんなことはない。イカれた奴が来た。そう思うだろう。俺が鬼ならそう思う。
 それと、考えなければいけないのはこちらの勝算だろう。猿も雉も小さくて見るからに弱そうだ。せめて犬がシベリアンハスキーやドーベルマンや金持ちが連れているでかくて細長い犬とかなら戦力になりそうだが、残念ながら柴犬だ。こいつをお供にした後、秋田犬を見かけて、心底失敗したと思った。そう考えると、こうなったのはすべて俺の責任かもしれない。それならそのことを受け入れて、このまま鬼退治に向かうべきだろう。
 幸い、俺は強い。めちゃくちゃ強い。地元では鬼と呼ばれていた。
「桃太郎さん、マジ鬼っすね」
 とこんな感じでよく地元のツレには讃えられていた。そいつは都で随分と出世しているらしいが、そんな奴が俺のことを「鬼」と讃えたのだ。そこらへんの鬼程度なら余裕で勝てるだろう。だから、この脆弱な小動物たちを連れて行ったとて問題ない。ちょっと意表をつけるかもしれない。ただのペット連れの観光客と思われて、鬼も舐めてかかったりするかもしれない。
 そしたら、そのまま鼻パンである。
 さらに鼻を押さえる鬼の首を刀で斬り落とす。鬼の首からは赤い花が咲く。唐突に圧倒的な暴力を見た鬼たちはどうなるか。恐れ慄き、動揺する。ぶるしょんする奴もいるかもしれない。
 俺は地を蹴り、鬼どもに飛びかかる。さらに赤い花が咲くだろう。
 鬼退治はいい。たぶん勝てる。畜生どもをお供として連れて行くのもいい。意表をつける。
 それでも我慢できないことは、こいつらがいっこうに糞を我慢しないことだ。
 どんな時でも自分の欲求に従い、糞をする。犬は歩いていると急に糞をする。猿は俺の話を聞き神妙な顔をしていると、実は糞をしている。雉は上空から糞を撒き散らす。
 一匹ならまだいいが、二匹と一羽いる。一匹が糞をした後に、別の奴が糞をする。その間に他の奴は休憩というか糞をリロードする。そして、自分の番が来たらまた糞をする。糞リローデッド。永久機関が完成しちまったな、と思わざるを得ない。
 最初のうちは俺も糞を片付けていた。拾ったり、地面を掘り返して埋めたりしていた。ところがこいつらは際限ない。常に糞をしている。キリがない。俺はお腰につけた吉備団子をくださいと言われ、こいつらにやった。すると俺のお腰についているのはこいつらの糞に変わった。どういうからくりだ?
 そのことに気づいた時、俺は拾うのを諦めた。腰につけていた糞が入った巾着も金持ちそうな屋敷に投げ入れた。それ以来、俺の鬼退治の道程には点々とこいつらの糞がある。
「これならもし道がわからなくなっても家まで迷わずに帰れますね」
 と猿が言った。
 殺したろか、と思った。と同時に悲しくなった。俺の来た道は糞の道なのだと。しかし、俺は鬼を退治して、都で評価され、出世する。一足先に出世した地元のツレたちにまた「桃太郎さん、マジ鬼っすねえ」と讃えられるのだ。

 そんな俺の糞の道も終わりを迎えつつあった。この糞で作られたベクトルの終着点、つまり鬼たちが屯する鬼ヶ島に近づいた。鬼ヶ島には船で行く必要があった。地元の漁師に頼んだが、いまからだと遅すぎると断られ、明日の朝に向かうことになった。
 俺と畜生たちは近くで野宿することにした。
 燠の爆ぜる音と波の音が混ざり合う。海は光もなく黒く、ただただ底を見せないような深さだけを感じさせた。俺はそれらに誘われ内省へと沈んでいく。足、腰、胸、喉、内省の海に浸かっていく。これまでの人生。そして、これからの人生。
 桃として流れていた俺はあの時、祖母に拾われるのが正しかったのだろうか? 違う場所で違う人に拾われていたら? 俺の人生も変わっていたかもしれない。鬼退治に向かっていなかったかもしれない。
「桃太郎さんってもしかして都で出世できなかった人ですか?」と犬が言いやがった。「ちょっと聞いておきたかったんですよ。鬼ヶ島に行く前に」
「そうだよ」
 俺が薪を動かすと火の粉が舞った。猿も俺の方を見ていた。俺は話を続けた。
「出世なんかするわけないだろ。そもそも桃から生まれたんだぞ。なんだそれ? 意味わかんないだろそんなやつ。履歴書になんて書くんだよ」
 雉が言った。
「そういう出自で差別するの、よくないと思うわ」
 こいつ、メスだったんだ、と俺は思った。全然、興味がなかった。
「そうは言ってもそういうのはあるからな。差別というか、怖いんだろ。どう対応して良いかわからなくて。それは仕方ないと思うよ。あったことないだろうからな、桃から生まれた奴なんて。だから実績上げるしかない、結果を残すしかないって言われて、そうだなって納得したんだよ」
「ふーん」
 猿が興味なさそうに横になる。眠ろうとしているようだ。俺に背中を向けると、ぽつりとつぶやく。
「じゃ、明日結果残せばいいじゃん」ぽりぽりと赤いケツを掻いた。「やったろうじゃん」
 雉が寝床と定めた枝に飛んだ。犬はじっと俺を見ていた。はっはっはっは、としばらく舌を出していたが、何も言わずに焚き火の前に座り込んだ。
「もう火を弱めてもいいか?」と言う、俺の言葉に誰も返事はよこさなかった。
 俺は焚き火を弱める。あたりが暗くなる。生ぬるい潮風が顔を撫でる。人の匂いというか、生命の匂いを感じた。海は黒く、深く、先が見えなかった。この風が運んできた生命はどこから来たのだろうか? そしてどこへ行くのか。
 俺は桃から生まれた桃太郎だ。

 朝の海は少し時化っていた。
 漁師は揺れるけど、渡れるだろうと言って、船を出してくれた。働く人間らしい擦り切れた衣を纏っていたが、首や手首や耳にギラギラの金の装飾をつけていた。この辺は漁業が盛んで、羽振りがいいのだ。
「今日はもう漁はできねえし、兄ちゃん送ったら酒飲んじまうから、迎えは明日だな」
「帰れるかかどうかわからないから、それでいいですよ」
 あいよ、と片手を上げて漁師は鬼ヶ島から離れていった。金のブレスレットがキラキラと輝いた。朝焼けのように。
 俺はついに鬼ヶ島にやってきた。最初の一歩は少し震えていただろうか。これで俺の未来が決まる。桃太郎という名がこれまでのように侮られることなく、都に轟くか。あるいはここで鬼どもに返り討ちにあい、死ぬか。そのどちらを考えて、俺の足は震えたのだろうか。その答えはいらない。必要なのはもう一歩前に出ることだ。我々は進んだ。畜生共は相変わらず糞を漏らしながら進んだ。
 鬼の根城にバレずに近づくことができた。鬼たちはこれから朝マックでも買いに行こうかという大学生のように覇気がなかった。そんな状態でも鬼は鬼だ。なめてはいけない。俺も鬼と呼ばれたことがあるからわかる。鬼は鬼なのだ。
 刀を抜き、鞘を投げ捨てた。そして、あ! と思った。
 鞘を投げ捨てるのは生きて帰る気がない証拠だ。それはいかん。しかし、拾ってどうこうするのも今更である。そんなふうにおたおたしていたら、猿が言った。
「好機!」
 畜生たちは一斉に飛び出した。
 あ。あ。あ。と喉の奥から変な声が出た。完全にタイミングを逃した。俺は慌てることもなく、刀と鞘を持ってちょこちょこと出ていった。
 そこでは。
 猿が鬼の目をくり抜き、耳をちぎり、髪の毛ごと頭の皮を剥いでいた。犬が鬼の急所を噛み砕き、腿を食いちぎり、腹を食い破った。雉は鬼の女子供を狙い、肉をついばんでいた。
 そして三匹は鬼を蹂躙しながら糞をしてた。糞を撒き散らしながら、鬼を殺していた。
 鬼たちは為す術なく、血だるまにされ、あたりは鬼の血と皮と目、鼻、急所、臓物が飛び散っている。そして畜生たちの糞も。
 血と肉と臓物と糞便の鬼ヶ島。悲しみしかない。
 すでに戦いの緊張感から虚脱した俺は覚束ない足取りで、宝の在処を探した。鬼たちが都から略奪した宝だ。持って帰れば俺は都で英雄となる。宝だ。宝だ。宝さえあれば。すぐに俺は宝物庫らしき小屋を見つける。
 中に入ると見当通り宝物庫だった。金銀財宝の山。新型iPhoneなんかもある。
 あ。あ。あ。と声が出た。
 少女がいた。鬼の少女だ。
 部屋の隅、宝物の影で息を潜めていた。鬼殺しの現場から逃げ隠れていたのだろう。
 少女は怯えていた。
 俺はこの子を守らねばと思った。鬼を殺しに来たはずの俺はなぜかこの子を守らねばならないと考えた。地元で鬼と呼ばれた俺の中の鬼が父性を獲得したのだろうか。
 少女に手を差し伸べる。
 彼女も俺の手にその小さな手を重ねる。そして俺の指をへし折った。
 ぎゃん。俺は声も出なかった。
 少女は俺の目を狙ってきた。ばちんと両目に激痛が走り、視界が真っ黒になった。
 俺は暗闇にのたうち、やって来た方へと逃れる。宝物庫から這い出でようと足掻く。背中に少女の重みを感じた。髪の毛を掴まれ、ガンガンに地面に叩きつけられた。死ぬ。殺されると思いながら俺は這いずった。宝物庫の外を目指した。視界はまだ暗い。しかし、光を感じることはできた。光の方へ光の方へと目指した。ガンガンに頭を叩きつけらながら。
 光の暖かさを頬に感じ、俺は最後の力を振り絞り、鬼の少女を振り払い、立ち上がる。ぼんやりとだが、視界が回復し始めていた。
 俺は走った。走った。臓物の感触、糞の感触、鬼の皮、目玉の感触を足に感じる。それらが俺の足を重くする。最後には俺は糞を踏み抜いて、滑った。
 倒れ込んだ俺の方へ鬼の少女がやってくる。
 もうあかん。殺される。
 命乞いでもなんでもしようと振り返る。鬼の少女が鬼の形相でこっちに向かってきていた。
 と。
 少女の首元に犬が噛みつき、雉が目をくり抜いた。首をぐにゃりと曲げながら少女は倒れ込む。犬はさらに首を噛み続けた。猿が髪を引きちぎり、耳と鼻をもいだ。
 俺は糞を漏らしていた。
 ケツが温かかった。

 金ネックレスの漁師が翌日迎えに来た。
「宝はどうした?」と聞いてきたので、欲しけりゃやる、と返した。俺は糞をちびった袴のまま、船に揺られて本土へ帰った。
 漁師は嫌な顔をしていた。
 船を降り、畜生たちの点々と続く糞の道標を追いながら、家を目指した。
 明日、祖父と柴刈りに行こうと考えていた。

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