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『大五郎16ℓ アメリカの敗北とアメリカに敗北』

「今日はバーベキューだ」
狩雄巣からのメールは簡潔にそう書いてあるだけだった。
教えられた住所に向かうため、僕は電車に乗っていた。
以前なら、こういうホームパーティーはみんなでお酒を飲みながら、楽しい気分になれていただろうが、お酒を飲まなくなってからはどんな気分でパーティーを迎えればいのか、少しわからないところがあった。
右手のグラスがファンタやスプライトになるのだろうか。そんな自分がやや信じられないところがある。
どうせ飲まないのだから、電車で行かなくてもバイクや車で行っても良さそうだが、なぜか電車を選んだ。それはやはり、酒飲みの名残なのかもしれない。
どこかに、飲んでもいい状態を残しておく。あわよくば飲んでしまってもいいという甘えを残す、哀れな酒飲みの名残。
単純に車もバイクも持っていないからというのが本当の理由だが。
電車の中に、春らしい光と風が入り込んでくる。心地よい風。風が入り込んでくるのは、さっき乗車してきたおばさんがガッツリ窓を開けたからだった。
ソーシャルディスタンス&ウインド。と呟いて、気づいた。
アースウインド&ファイアーにちょっと語感が似ていることに。
ソーシャルディスタンス&ファイアー。こんなことをしらふで言い出す輩がいるとは、モーリス・ホワイトもびっくりしているだろう。

バーベキューと言われたくせに、僕は目的の駅について早々、駅構内の立ち食い蕎麦屋に入った。
朝から何も食べていないし、蕎麦が食べたい気分だった。バーベキューの前に蕎麦を食べる自由。民主主義に残された最後の希望のようにも思える。
春菊の天ぷら、春菊の天ぷら、と券売機を探し続けるが見つからない。
仕方がないので冷やしたぬきにする。
器の端に粉っぽいわさびが添えられた冷やしたぬきを僕は手繰る。
まだカリカリの揚げ玉が蕎麦の風味と食感にアクセントを加えてくれる。酒を飲みながら食べたものは大体、塩分量でしか美味いまずいを判断できなくなっている気がするが、しらふだと食のディティールにも喜びを感じることができる。
300円だか400円だかの蕎麦で何を偉そうなことを、と思うかもしれないが、その300円や400円の蕎麦が人生のディティールなのだ。1日を3食と考えても、人生のディティールはそれほど多くはない。ひとつひとつを大事にした方がいい。しらふじゃないとそんなことを考える余裕すらないのだ。
ちなみに、冷やしたぬきはまずかった。

駅の外には狩雄巣がいた。SUZUKIのバイクに跨り、こちらを見ていた。脇には僕用のヘルメット。
僕が蕎麦を食べる間、ずっと待たせていたのかと思うと、やや気まずさを感じてしまう。
「腹を減らしてきただろうな?」
さらに気まずさを感じだ。
「アメリカみたいな分厚い肉がお前を待っているぞ」
アメリカみたいなという形容詞はどうかと思うが、言わんとすることは大体伝わった。
僕らはバリバリの日本車でタンデムして、狩雄巣の家に向かった。

着いたのは、古い日本家屋だった。塀に囲まれて、その上から松の木が顔を出している。
まったくアメリカ的ではなかった。
そのことには触れることなく狩雄巣は僕を家の中に通した。
玄関でようやく少しだけアメリカと遭遇する。
バーに置いてありそうなネオンサインの看板に「welcome LAS VEGAS」の文字、それにバニーガールとカウボーイ。実にアメリカ的なものが下駄箱の上に置かれていた。その隣に盆栽。その隣に消臭力。アメリカ的というよりはただファンキーな日本家屋というだけのようである。
想像だが、狩雄巣は親からこの家をもらったのではないか。だから日本家屋も盆栽も松の木も彼の趣味ではなく、最初からあった。仕方なく、それを受け入れているということだ。消臭力は擁護しようがない。

庭には狩雄巣の友人が何人かいた。バーベーキューコンロから炎がチラチラと赤い舌を出し、煙も上がっていた。松の木には絶対によくないはずだ。
友人たちは普通の人たちだった。上下スウェットに突っかけのおっさんもいて、むしろどういう繋がりがあるのかわからなかった。勝手に幼馴染と設定することにした。そう考えると少しスリリングな関係のように思えたからだ。スリリングってこんな使い方であってたっけか、と少し思った。

狩雄巣は何も言わずにバーベキューのコンロの前に立っていた。いつの間にかカーボーイハットを被っている。脇にはこだわりのシーズニング。確かに目の前には分厚い肉。アメリカのお出ましかと思ったが、その隣にはカンカン焼きのアルミ缶が置かれている。ほとんどコンロを占有していると言っていいほどにズドンと置かれている。コンロの上はアメリカというよりも、漁師が昼から酒をかっくらう勢いだった。ちなみに、漁師町出身の友人いわく、故郷の幼馴染たちの服装は漁師そのものなのに、時計と鞄や財布だけはぶりばりの高級品を持っているので、とてもダサいと言っていた。しかしそうしたオシャレかオシャレでないかとは無関係にいられる事が、漁師という高収入の職業のステータスなのだとも言っていた。オシャレかオシャレじゃないかなど、所詮、小人の臆病さが産んだ何かでしかない。漁師は高級腕時計にもハイブランドにも媚びない。ハイブランドのデザイナーが新たなスタイルやモードを提案してきたところで、スタイルオブ漁師に取り込んでしまう。そんな漁師の力強さが、コンロの上でも分厚い肉を凌駕していた。
周りを見ると、狩雄巣が用意したであろうバーボンには手を出さず、ビール、ビールもどき、ストロング系飲料、氷結的なやつ、そんなものを飲んでいた。
みんな飲んでいた。僕と狩雄巣は飲んでいない。
みんな酒を飲めば、声がデカくなる。飲まない僕らの声は小さい。
こういう場では酒を飲む方が強いのだ。以前は僕らもそうだった。圧倒的な強者だっただろう。酒を飲み、記憶を失くすほど暴れるのだ。そのせいで失うものも多少はあった。出ていった恋人も、それより前に別れた恋人も、恋人になる前の女の子も、みんな酒のせいで失ったのかもしれない。けど、この場限りで言えば、飲んだ者は強い。
その立場を捨てた僕らは、ただただ黙って、つまらない会話をふっかけられる度に、苦笑いでやり過ごすのだ。
僕は会話の輪に入らないように、隅に座り、狩雄巣を見ている。
狩雄巣は身を屈めて、カンカン焼きに占有されたコンロの上で、分厚い肉を焼いていた。あたりにはカンカン焼きの味噌と酒の香り。上下スウェットのおっさんたちの自慢話、二の腕の太くなった女たちの笑い声。よく見ると、あのスウェット、mikihouseだった。堂々たる上下スウェットである。狩雄巣のティアドロップサングラスが光っていた。太陽の光ではない。カンカン焼きのアルミ缶が写っていたのだ。その輝きは涙が落ちるかのように、ちらりちらりとサングラスの中で瞬いていていた。

狩雄巣が焼けた肉を持ってきてくれた。
僕たちはふたりで肉を食べた。たぶん美味しかったんだと思う。周りではカンカン焼きが出来上がり、味噌と酒のジャパニーズスメルがより一層、庭を支配した。もはや肉を食べる僕らは滑稽ですらあった。だが、僕らは黙々と肉を食べた。長い時間、黙々と。
狩雄巣が奥さんに呼ばれて、僕の前に戻ってくると、彼は紙皿に盛られたちらし寿司を渡してくれた。奥さんのお手製のようである。
「それを食べたら街に出よう」と狩雄巣が言った。「これ以上、アメリカが負けるところは見たくない」

街に向かう道中、僕は狩雄巣に尋ねた。
「どうしてちらし寿司なんか作らせたんですか? アメリカ的ではない気がしますけど?」
「それはわかっているが、ワイフが作りたいと言ったんだ」
ワイフ? まあ、間違ってはいないけど、と思った。
「アメリカはワイフを尊重する。たとえアメリカが敗北してもだ」
それ以上の会話はなかった。日本的な片側一車線の国道を僕らのバイクは進んでいった。

街に着いた頃には太陽の位置が少し低くなり、昼から夕方へと街の空気が変わりかけていた。
駅付近には休日の繁華街に出てきた者や若い人たちがいた。もちろん男女もいた。なぜ男女というものはつがいになって歩くのか。とても動物的な行動のように見える。男3人女4人の合コンみたいな組み合わせのグループもいる。彼らの手にはストロングなアルコールが握られていた。路上で飲む人が最近増えているらしい。
僕らはバイクを置いてスーパーマーケットに入った。
買わなくてもよかったが、僕は大五郎を買った。赤いキャップのやつだ。
「君はそれを買うだけなのか?」
狩雄巣がもっともなことを尋ねてきた。
「今は買うだけですね。ほとんど無意識に買ってしまいますね」
「飲まないのか?」
「飲みませんね」
「家に置いていたら邪魔だろ」
「邪魔ですね。でも見た目に蓄積しているのがわかるので、自分の依存具合を知ることができる気がします。」僕は続けた。「この前、気づいたんですけど、大五郎って赤と青のキャップがあるんですよ。それを並べた時に、ちょっとアメリカっぽいなって思いました」
「君は何を言っているんだ?」
何を言っているんだろうか? それを僕に言うな、と思った。
「どう思うかは人の自由だが、赤と青を見たからって、アメリカだと思うのはよくないな」狩雄巣が言った。「もう少し頑張った方がいいんじゃないか?」
狩雄巣のティアドロップサングラスの中の僕が鈍い笑いを浮かべていた。
狩雄巣と僕は買い物が終わると、マクドナルドでチーズバーガーとフライドポテトやナゲット買った。店の中では食べずに駅前のベンチで食べることにした。僕は食べる気はほとんどなかった。狩雄巣もなさそうだった。フライドポテトとチーズバーガーが僕らの間にある。ポテトをひとつつまんで、狩雄巣はウィスキーの小瓶を取り出した。そして、あっという間に一口飲んだ。
「帰りどうするんですか?」
「タクシーで帰るさ。バイクはまた取りに来ればいい」
少しだけ薄暗くなりつつあった。
ストロング系を持った若者たちが僕らの前を通り過ぎていく。
「雨が降りそうだな。匂いでわかる」
「たしかにアスファルトが湿った時の匂いがしますね。」
雨が降りそうだった。
「湿ったフライドポテトと湿ったアスファルトはどっちが好きだ」
「湿ったアスファルトですかね」
「びちょびちょのフライドボテトとびちょびちょのアスファルトはどっちが好きだ」
「どっちも好きじゃないですね」
しばらく沈黙があった。
「俺はアメリカに行ったことがない」
「なんとなくそうじゃないかと思ってました」
「だが何がアメリカかアメリカではないかはわかる。マクドナルドとフレッシュネスバーガーなら、どちらがアメリカ的かはわかる。マクドナルドだ。圧倒的にな」
「フレッシュネスは日本の会社ですからね」
狩雄巣がまたウィスキーを煽った。たぶんフレッシュネスが日本の会社だと知らなかったのだろう。悪いことをしたな、と思った。だからマクドナルドも日本の法人だということは黙っていた。
「酒もフライドポテトと一緒でやめ時がわからないな」
「人生に悪いことが尽きないからじゃないですか?」
「わかったようなことを言うなよ。人間わかったようなことを言い出したらおしまいだぞ。わからないふりをしておくことも大事だ」
「それはそうですね」
狩雄巣の意見に同意する。わからないふりをするために、僕らは酒を飲む。酒を飲むとどうなるか? アホになる。とんでもなくアホになる。わかったようなことは言えなくなるくらいに。今、彼が酒を飲んでいるのはわかりたくないことがあったからだ。わかっていたが、わかりたくないことが。アメリカと自分の乖離。わかった気になれば、もう世界は狭く感じてしまう。自分がアメリカとなんのゆかりのないアメリカ大好きおじさんなだけだという世界が一方を圧迫してくるのだ。だから酒を飲む。
ただし、酒を飲んだら、それ以上に人生は短くなる。死に近くなるとかそんな意味もあるけど、単純にアホになっている時間が長すぎる。側から見れば、無駄な時間でしかない。
世界の狭さを否定するために、長さを犠牲にする。何が正解かはわからないが、酒を飲み続ける人間はおおよそこんな風に酒を飲んでいる。自分の理想の世界を守るために。
雨が激しくなってきた。僕は傍の大五郎を抱える。別に暖かくもなんともない。狩雄巣は小瓶を下に置き、もう一本の小瓶を取り出した。
僕はそれを見て、彼との時間も使い尽くしたことを知った。彼は酒を飲みアホになる。僕は狭い世界で長く時間を過ごす。寝るまでの、ちょっとした死までの時間を過ごす。大五郎と一緒に。
僕らはそのまま別れることにした。彼はその場に佇んで、酒を飲んでいた。たまにポテト。たまにポテト。そして酒。雨がアスファルトを湿らせて、センチメンタルな何かを湧き上がらせた。アスファルトの湿った匂いが鼻を抜けて脳にこびりついた。

後日、僕はいつかのコーヒーショップに再び行った。ここもアメリカ資本だ。
以前はコーヒーの種類やドリップ方法の多さに軽い敗北感を味わったが、今回は負けない。店員にお好みを尋ねられた僕は言った。
「全部おすすめで」
これで勝負は引き分けといったところだろう。勝てはしないが、負けもしない。
そう思って、店員の顔を見ると、ちょっとムッとしていた。
アメリカは強いな、と心から思った。
コーヒー一杯に1000円以上払ったのに、この敗北感。店員のムッとした顔を思い出すと少しだけお酒が飲みたくなった。アホになってしまいたかった。
その思いをグッと飲み込み、コーヒーショップで狩雄巣との面談の報告を書き、鳴子坂いずみにメールで送信した。
店を出る頃に返信があった。
狩雄巣がアルコール依存症のセラピーに通い始めたらしい。
むしろ彼は少しだけ回復に近づいたのかもしれない。僕の大五郎依存症も彼のアメリカ依存症も、本当の病名は同じだ。
脳内にケニー・ロギンズの『Danger Zone』が鳴り響き、僕はダイナミックに退店した。

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