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日常をインプットに。俵万智さんから学ぶ、記念日の見つけ方。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

短歌に詳しくない人でも知っているであろう一首。

俵万智さんのサラダ記念日。

シンプルだけれども、頭の中に絵が浮かぶような表現。

おそらくこの詩を詠むまでは、七月六日は何もない普通の日だったのだと思う。

そんな普通の日が、たった一つの発見で記念日になる。

短歌のおもしろい部分は、この「発見」にあると思っている(何か当たり前の話をしている気が・・・)

何気ない日常を過ごす中で、その人だからこそ気づけたこと。


「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ。

こちらも俵万智さんの歌集「サラダ記念日」から。

ただただ同じように続く寒い日の中で、寒いねと答えてくれる人の温かさに気づけた日は、少し特別な日になったんじゃないだろうか。


もし、発見という言葉に少しハードルを感じるならば。

「心が動いた瞬間を記録しておくこと」でもいいかもしれない。

それだけでも、毎日少し新しい景色を見ることはできると思う。

それに、発見や心が動いた瞬間を記録しておけば、こうやってnoteに書くことに困ることもなくなるはずだ、たぶん。

そういえば、先月から始めたtanka日記も、見返してみると毎日いろんなことがあるんだなぁとしみじみ思える。

「何かを表現したい」と思う人間のひとりとして。

これからもたくさんの発見を得られるように毎日を過ごしていきたいと思います。

※ここからはサラダ記念日の短歌で好きなものと、好きな部分について。(短歌の技法とかはさっぱり分からないので、あくまで素人の感想ベースです)


「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

カンチューハイ二本というのが絶妙。一本でも三本でもダメな気がする。チューハイという言葉の軽やかさも効いているような。
感情が揺れ動く感じも、2人の間に流れる空気感も、自分の頭の中で想像してしまう。

金曜の六時に君と会うために始まっている月曜の朝

楽しみにしている予定が、その1週間の全てになっていく。似たような経験をしたことがある人も多いはず。「月曜の朝」の見方を変えてくれる素敵な短歌だなぁと思う。


電話から少し離れてお茶を飲む聞いてないよというように飲む

どういう状況なのかは詳しくは想像がつかないが、「何かを誤魔化すための何かの動作」というのは、日常でもよく目にする。今でいうスマホをいじる行為なんかは、きっとそうだろう。
動作から伝わる方が、直接的な表現よりもその時の感情を表せるというのは面白いことだと思う。


電車で見つけたひと、仕事での失敗、ランチで出てきた料理、お昼過ぎの眠気、帰り際の会話、たまたま見たテレビ番組。

本を読んだり、講演会に参加するのもいいけれど、一日で接する出来事や景色から感じたものをストックするのもインプットの一つだと思う。

はたして、明日はどんな記念日になるだろうか。

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