舞踏とキャバレー:10 娯楽が風俗と芸術に分裂して、真ん中が失くなった

■10 娯楽が風俗と芸術に分裂して、真ん中が失くなった

田野 あたしが60年代の前半に(キャバレーに)出て(ショーを)やったときに、岐阜に行くとパッケージショーというのがあった。3軒キャバレーがあって掛け持ちで行くんだけども、全部フルバンドで1回目がグループで踊って、2回目がソロの人が踊って、3回目がヌードが踊って、花魁の人の日舞ショーがあって、入浴ショーがあって、最後みなさんでご挨拶。そのくらい豪華って言うかいろんな人の、てんこ盛りなの。そこにアクトが一人バーと客席から出てきてワンクール終わる訳ですよ。
 若い頃そういうものを見せられたとき「踊るとはなんなんだ」と思う訳ですよ。あたしはモダンダンスやりながらキャバレー廻りしてたんだけど、やっぱり踊りの上手さだとか人の目を惹くっていうのは、ああいう所で育ったんだな、というのはよく分かる。バレエダンサーが出てきたっていうのは面白いんですよ。
武藤 そういった所での成果が舞踏に活かされていったり、舞踏でのアイデアがキャバレーに……。
嵯峨 「さあ脱いだぞ。お金をくれ」。こういうダイナミズムがアートを越えるんじゃないかと私は思っているのね。
武藤 いろんな欲望が渦巻いているなかでの行為ですよね。
田野 要するにナンセンスだから。ナンセンスやってるんだからね。
武藤 分かりました。本当に訊きたいことはたくさん残ってるんですけども、時間が来てしまいました。あと5分くらいありますので、お一方、お二方くらい客席から質問いただきたいな、と思っております。いかがでしょうか?
(沈黙)
田野 じゃあこちらから訊いていいかしら。キャバレーに行ったことある方いらっしゃる?
(客席から舞踊批評家・國吉和子さん、挙手)
國吉 土方さんがいらした頃の「将軍」に行ったことがあります。
田野 ああ、「将軍」ね。フルバンドがあった頃のキャバレーでもダンスホールでもいい。なにかそういった場所に行ったことない?
(客席から舞踏家・竹之内淳志さん、挙手)
田野 ありますか?
竹之内 僕も出てました。
田野 ああ、そうですか(会場笑
武藤 僕は浅草の「フランス座」に解体社の公演で行ったことがあって。それから大宮のストリップ劇場に室伏鴻さんが出られたとき、2002、3年……にストリップと室伏さんを両方観たことがあります。ノスタルジーの対象になった後の部類ですけど。
 いまでも折に触れて金粉ショーを、大分の別府温泉なんかでやったりしてます。目黒大路さんも鳥取でやってらしたりして、舞踏は若い世代でも折に触れて金粉ショーだとかストリップだとか参照してますね。
田野 なんで舞踏とキャバレーって……。あたしはあまり関係ないって思うけどね。舞踏とキャバレーって関係ないよね(会場笑
 いやいやどうしてかって言うと、キャバレーは前からあったから。それは仕事上やっただけで、土方さんとか、バレエの人たちが行ったりっていうのは経済的な問題ですよ。
 ちょっとゲスな話になるけどギャラの話をするとね、60年代に福富太郎の所に出たとき、1ステージが4,500円。それで3件掛け持ちすると1日1万3千500円ですよ。60年代の頭にですよ。「将軍」にいたときも同じ。何十年経ってると思います?
嵯峨 私たちの頃は1ステージ1万円でしたよ。
田野 だけどあたしたちの前の人は毎日掛け持ちだから、3軒くらい家が建ったの。
川本 わたしも1万2千円でしたよ(会場笑
田野 その頃浅草なんかではひじょうにダンサーを大事にしたの。その後にお笑いがある訳。渥美清だとかが出てるときには、あの人たちはアルバイトでドアマンしながらエレベーターボーイしながら、でもダンサーの方が上だった。あのときお笑いの人たちを非常に持ち上げていたら、吉本興業みたいにバカなのは出てこないの。それでエノケンなんかは残っていった。
 娯楽っていうのは、もうちょっと洒落ていると粋な形……男の人頼みますよ。もうちょっと粋に生きて下さい。
武藤 娯楽というものが風俗と芸術に分裂して、真ん中が失くなっちゃったなという感じがしますね。真ん中の一番混沌としていた部分が薄くなっちゃって濃くて脆い両端が残ってしまった。
田野 この話を聞いたときに、ちょっと調べたんだけど、キャバレーの本は少ないのね。(*註) 
 この『浅草六区はいつもモダンだった』(雑喉 潤・著 朝日新聞社 1984)は面白い本です。あとは廃版ですけど、『哀愁の昭和史 モダンラプソディ』(白浜研一郎  健友館 1992年)。これは寺山修司からあの年代まで細かく全部出てる。

*註 日本の映画や文学、写真は娼婦やストリッパーを主題にしたものには事欠かない。しかしキャバレーの踊り子を中心に据えたものは絶無である。例外は谷崎潤一郎の文学作品『瘋癲老人日記』 くらいだろう。ただし同作品のヒロインは引退したキャバレーの踊り子である。
 キャバレーの研究本にしても、「銀座ハリウッド」の経営者・福富太郎氏の著作や「ニューラテンクォーター」の回顧録など、特定の店について調べた本がいくつかある程度で、キャバレーの歴史を網羅した書籍は出ていない。

慶人 キャバレーにおける舞踏体験ですけどね、僕はバンドで行ったんですよ。その当時はみんな逆さまに言うから「バンド」は「ドンバ」なんだけど、「シーメ、いーくするか?」が「メシを食うか?」とか。うん。
 最初に大事にされるのが女の人なんですよ。ちゃんと食堂で食べてるんだ。ドンバになると階段で食べてるんだ(会場笑
嵯峨 景気が悪くなると、一番最初にやめさせられるのがドンバなんですよね。
慶人 だけどそれを味わってね。「これは舞踏的体験だな」と。「こういうことがあるから舞踏が生まれるんだ」ということですよ。人間扱いしてないんだから。
武藤 ありがとうございました。時間が来てしまったので閉じたいと思います。
 最後に慶人さんが一曲ご用意して頂いているということで、お願いしてもよろしいでしょうか?
慶人 当時ね、小林秀雄という評論家が「通俗な曲はダメなんだ。バッハだとか高尚な音楽を使わなけりゃダメですよ」と言ってたときがあったんだ。土方さんが草月ホールで珍しくリサイタル(*註 当時は公演を「リサイタル」と呼んだ)をしたときがあるんだ。そのときにこの曲で出てきたんでびっくりした。
(慶人さん、扇ひろ子の「新宿ブルース」で踊る)

ー構成・檀原照和ー

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