舞踏とキャバレー:9 フィリピン人は土台がちがう

■9 フィリピン人は土台がちがう

武藤 徐々に、土方が経営していた「将軍」をはじめとするキャバレーにフォーカスを移していきたいと思います。
田野 あたしが(「将軍」に)いたときはフィリピンが入ってましたから。フィリピンが六本木に出入りして、そのときは全盛だったわね。それを目当てに来る方もいらっしゃる訳。そうすると前と後の振りをきちっとして、ステップをして……。
武藤 米軍との関係でフィリピンが入ってきたのは…いつぐらいですか?
檀原 70年代終わりくらいですかね。
田野 早かったわね。不純な入り方したりするから、いまはもうフィリピンってほとんどいないですね。
武藤 フィリピンと日本ってアメリカを経由して繋がってる所があるので、その関わりをみていくと面白いかもしれませんね。
田野 基本的にエネルギーが違う。
武藤 エネルギーが違う(笑
田野 目的が違う。不法滞在してる人、何人もいましたよ。時代なんだけど、かつていろんな国が入ってきた。フィリピーナは言葉(を覚えるの)が早いし、人との関わり合いも早いし、いろんなものを背負ってる人がたくさんいましたね。妊娠して踊ってた人もいたしね。目つきが違うっていうか、生活力の土台が違うというかね。「文化っていうのはこうやって変わって行くんだ」っていう。
武藤 おそらくフィリピンはフィリピンで芸を磨いているシーンがあったんだと思うんですけど、舞踏みたいなものもフィリピンから習ったりするんですか?
田野 彼らは踊りとか歌だから来るんじゃなくて、彼らにとって踊りとか歌とかいうのは日常なんですよ。
武藤 プロでなくても?
田野 ええ。ブラジル人もそうじゃない? 音が鳴れば踊っちゃうような。(歌や踊りは)特別ではない。
慶人 当時はね、風俗的にフィリピン人が目立った訳ですよ。我々が「フィリピン人とタイ人とはどこが違うんだ?」って言ったらね、「タイやカンボジアは王様がいる国だ。日本は天皇制があるでしょ。(アジア圏では)フィリピンだけないんだよ。それでアメリカの影響をもろに受けちゃってるものだから、なんでもありなんだ」。そういうもんだと我々は若いときに認識しちゃってね。
田野 対応の強さですね。
慶人 うん。
檀原 日本のジャズはフィリピン人から学んでいるんですよ。欧米からミュージシャンを連れてくるとギャラが高い。フィリピンはアメリカの植民地だったのでジャズが直接入ってきたんですね。フィリピン人のミュージシャンを雇うと実力は高いのにギャラは安い。それで日本のジャズはフィリピン人から学んでいる部分がすごく大きいんです。
慶人 横浜でも米軍のところで演奏していたのはフィリピンです。(戦後ジャズの)発生、これが影響を受けたんです。
田野 音感が違うのね。拍子取っても身体がリズムになっちゃってるから。振り付けしてても生半可だと適当にやるのね。こっちが厳しくするとノッてくる。そこはおもしろい体験で(笑

ー構成・檀原照和ー

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