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商店街活性化の最終手段はリレー小説なのか(5/5)

●私生活と地続きでも、町と冷静に距離をとった枡野作品

 本好きの間では知られたことだが、歌人の枡野浩一さん(写真)は小説も書く。ヒット作『ショートソング』(2006年 集英社文庫)のイメージがあるのか、「さわやかな青春小説を書いてくれ」という依頼を受けることが多いそうだ。しかしそれが嫌で仕方がない。つねづね「漫画のノベライズなら嬉しいのに」と思っていたという。

 そんな枡野さんが『エトアール物語』の依頼を受けた理由は、なんだろう。

「お金がなくて……ほぼお金目当てです。原稿料が前借りできたので」

 ぶっちゃけた理由に少々面食らった。

 勿論、金銭は動機の一つに過ぎない。

「一番売れた本は『ショートソング』。ただし僕本人の自信作ではありません。この本は企画物で、もとは携帯小説。最初は後輩歌人の佐々木あらら君とライブドアで連載していたんですが、(ライブドアの)事件後、集英社へ移って連載を継続した作品です。

 自分の書きたいものよりも、企画物のほうが受けるんですよね。書きたいように書くとものすごくマニアックになっちゃうみたいで、読みづらくなる。自分が書きたい小説は読者から必要とされていない、企画に合わせた方が自分の場合はいいだろう、という判断がありまして。それでお受けしました。分量もちょうど良かったですね」

 高円寺愛に溢れた増山さんとも半澤さんとも異なる立ち位置からの参戦だったようだ。とはいえ、枡野さんは西荻窪生まれ。結婚していたころに新高円寺駅の近辺で暮らしており、離婚後は十年ほど吉祥寺在住。現在は新高円寺の隣町、南阿佐ヶ谷に仕事場がある。高円寺は勝手知ったる土地といって差し支えないだろう。

 ところが「最初は過去の話を書こうと思っていたものの、実際に書き始めてみたら子連れOKな店しか知らないことに気づいた」という。結婚生活は子供中心に動いていたため、ファミリー向けの、いわば高円寺らしいサブカル感から外れたスポットを廻っていたらしい。

 そういう訳で執筆のとっかかりとして 「お子様OK」な店を紹介してもらったりしていたそうだが、書いてみたら現在の関心ごとをそのまま反映したものになっていたという。

「この作品は今までで一番私小説的というか、エッセイ色が強いですね。舞台だけはこの商店街に寄せていますが、ほとんど実話です。創作しているのは寿司屋のくだりなどほんのわずかな箇所だけ。世間は頭で考えた話の方を評価するのかもしれませんが、それは自分の感覚とは違いますね」

「増山さんと半澤さんの話を聞いて、あえてエッセイ風だと思われてもいいや、という風に軌道修正した」と言うものの、枡野さんにとって『ショートソング』や『結婚失格』(2010年 講談社文庫)のようなフィクションの比率が低い作品を書くのは、ある意味必然だったようだ。

「僕は嘘を言うのが苦手で自分が思ってもいないことを言うのも嫌だし、自分自身の離婚経験をなしにしてネタを喋るのもいやなんですよ。この作品でもある種の『病的な何か』が発揮されているのかも知れませんね。

『結婚失格』という小説では主人公を自分とは異なる AV 監督という設定にしながら、出来事はほぼ本当にあったことを書きました。あとがきで高円寺が出てくるのですが、そのときの感じを元にして何も起こらない話、『ただ歩いているだけ』の感じもいいな、と思って書いています。

 壊れて水浸しになったトイレを女性ファンのアドバイスを受けて自分で修理する話も実話ですし、道端で知らない女性から声をかけられて握手した、というエピソードも実話です。(作中でも番組名は出していませんが *註)あるテレビ番組のオーディションのこととか、リアルタイムの出来事を反映させています。その方が現実と作品が地続きになると思ったんですね。

 気を遣ったのは事実関係の整合性。相方や3人目のメンバー(後述)に見てもらったり、トイレのことを教えてくれた女性に読んで確認してもらったりしながら、現実と齟齬がないように気を使っていますね」

 もう一点心がけたのは「自分だけが分かる高円寺にはしない」ことだという。高円寺に住んでいたことを明らかにしながらも、ある距離感を伝えることは意識したそうだ。

 高円寺といえば古着だが、地方から来るとどこに古着屋があるのか分かりづらい。エトアール通り自体も知名度があるとはいえない。そこで枡野さんは「ビジター感」を大切にした。『天狗キネマ』は、主人公の歌人が相方の詩人と待ち合わせするため、エトアール通りの寿司屋に向かう場面から始まる。しかし待てど暮らせど相方は現れない。実はエトアール通りには寿司屋が2軒あったのだ。iPhoneを家に忘れた歌人は、商店街の店舗をつぎつぎと覗いていく。

「もともと待ち合わせがうまくいかないことがあったこと、それから『寿司屋を2軒とも出してほしい』というオーダーがあったのでこういう展開になりました。寿司屋の下りには創作も入っていますが、作中の『みどり寿司』に関する詩人の感想は実話です(詩人は寿司屋の息子)。『みどり寿司』だけは自分が行った日に閉まっていたので、別の日に詩人に代わりに行ってもらいました。

 普段からつまらないことで相方と喧嘩しています。『悪口ばかり言っているけど、じつは仲が良い』と思ってもらえたら狙い通りですね。反省点? 相方のことをもっとひどく書けばよかった。本当はもっとひどい。ひどさの3分の1も書けていませんね」

*註
 枡野さんは作中の固有名詞の出し方に拘りがあるという。

 例えばこの記事で何度もタイトルが出てきた小説『ショートソング』だが、『天狗キネマ』では「吉祥寺が舞台の小説」と書かれているだけでタイトルは伏せられている。また枡野さんの相方である「詩人」は高円寺で10年以上イラストレーターと同居しているが、そのイラストレーターの実名も敢えて出していない。「書き手の都合で伏せている」と読者に思わせ、検索させることが狙いだという。

 この戦略は、自身の経験から来ているそうだ。

 あるテレビ番組に出演したとき、結婚歴があることを伝えた。しかし相手の名前を明かさずに済ませたところ、そこに検索が集中したのだそうだ。敢えて勿体ぶることによって読者の好奇心をあおるという枡野流のテクニック。詩人と同居するイラストレーターのこともきっと検索されるのだろう。

●出版社を通さないという話に心が動きました

 このプロジェクトに関する感想を聞いたところ「(国からお金が出ているとは思えないくらい)信じられないほどストレスがない仕事でした」という答えが帰ってきた。いい人ばかりで打ち合わせは和気あいあい。ちょっと残念だったのは、読者に紹介したい店舗が商店会に加盟していなかったため、作品に登場させられなかったことくらいだという。

「『従来とはちがう出版の方法はないか』と絶えず考えてつづけてきましたが、今回の話は公称5千部。これが出版社経由ではなく町で配られるという話に心が動きましたね。そんな流通の仕方は面白いと思って。

 ずっと短歌の世界で仕事をしてきましたが、短歌の世界は99%自費出版。僕自身は必ず商業出版してきたんですけど、いまは出版界も不況だから、もはや詩歌の世界の自費出版と小説などの部数がそれほど変わらなくなってきています。むしろ完全自費出版の方がいいケースもあるんじゃないか、と疑いを持っていて。

 僕が出した本、たとえばリトルモアから出した本(『すれちがうとき聴いた歌』 著・枡野浩一、絵・會本 久美子)は雑誌連載をまとめたものですが、文章量が少ないので本にならない、と連載時の出版社には出版を断られてしまいました。そこでデザインまですべて友達に作ってもらっていくつかの出版社に持ち込みに行ったんですが、リトルモアの編集部が気にいってくださって世に出るまで2年くらいかかりましたね。でも売れなかった。イラストレーターにとってはリトルモアというブラント力のある出版社から本が出たことは喜ばしいことだったし、僕自身とても有り難いと思っていますけれど、もしかしたらシンプルな本を自主制作して枡野書店(仕事場を開放したイベントスペース兼インディーズ書店)で手売りしたほうが現金が得られたかもしれないし、出版社も在庫を抱えなかったし、みんなにとって得だったかもしれないと思うこともあります。まあ、ものすごく気にいる美しい本に仕上がったのに増刷されなかった、という結果ありきで思ったことなんですけれども。

 佐々木あらら君はイラストレーターから依頼されてイラストとのコラボレーション歌集を完全自主制作しているんです。薄い本なんですけど紙もデザインも良くて少部数限定で。そういうものはみんな好きだから、 滅多に開かない枡野書店に置いているのにすぐ売れちゃうんですよ。1冊1,200円だから採算は取れていて、そこそこ利益もあったみたい。ある企画展のために制作されたもので、佐々木あらら君は制作費を負担していないそうです。

 そういうことは作家(小説家・ライター)にもあり得ると思っています。ミュージシャンの世界では既にあってメジャーレーベルと契約しちゃうよりも、『自分でつくってライブと合わせて手売りした方が食える』と言う人が実際にいるわけですよ」

 文字を書く人にお金をくれるのは出版社、メディア企業、読者から直接ネット経由で、という三つがほとんどすべてだ。あとはせいぜい企業の広報誌や社内報の仕事くらい。それ以外の仕事を受ける機会はまずない。その一方書き手の食い扶持はどんどん目減りしている。

 ところで前述の通り、以前「マガジン航」に「ライター・イン・レジデンス」という仕組みのことを書いた。レジデンス・プログラムは財団法人や国など公的機関が動かしているケースが少なくない。枡野さんは出版社とも、ライブドアというネット企業とも仕事をした経験があり、なおかつタレント的な活動やメルマガなど読者から直接お金を受け取るしくみも作っている。今回のように公的な財源から報酬を受け取った経験はあるのだろうか?

「今回のような話は珍しいと思いますよ。今回はそれも良いと思って。

 今までの経験だと、国絡みの予算が出たのは『街角で短歌を見せる』というアートプロジェクト(丸の内のアートプロジェクト『コトバメッセ2004』)くらい。

 アートにお金が出るのであれば、アートと短歌をくっつければお金が出るんですね。実際言葉のアートは既にあるんですよ」

 枡野さんが例としてあげてくれたのは、世界各国で「万引きするで。」と書かれた紙バッグを商店で客に配る作品で名を売ったイチハラヒロコさん(現代美術家)。百人一首のお菓子を出しているメーカーと交渉し百人一首の小冊子をお菓子とセット販売している歌人の天野慶さん、といった人たちだった。天野さんの冊子は特定の店や通販でしか買えないそうで、限られた方法で販売していることが逆に強みになっているといえそうだ。

『ミュージック・マガジン』の手帖(“レコード・ダイアリー”)の編集に参加したライターでもある歌人の梅本直志さんがちゃっかりページの隙間に自分のロックンロール短歌を載せている、という話もユニークだった。手帖の装丁イラストは高円寺在住の本秀康さん。

「モトさんのイラストの装丁の手帖で、じつは歌集にもなっているなんて最高じゃないですか。そういうアイデアが短歌みたいなまったくお金にならないジャンルには必要なんですよ」

 お金に罪悪感を持つ表現者は多く、枡野さんを「資本主義に魂を売った歌人」と考えている人もいるそうだ。しかし枡野さんは「ぎりぎりのところで自分の気持ちを大事にしながら、資本主義に寄り添うことは出来ないか」と考えている。

「作家は個人事業主のような感覚だと思うんですよ。一方短歌は華道や茶道のような徒弟制度に近い世界。ヒエラルキーがあってトップの人は教えながら生活していく。下々は会費を払って先生に見てもらう。俳句は特に顕著で推薦文を書いてもらうのにお金がたくさん必要だとか。それが本当に嫌で、どうにかそうじゃないことをやりたいと思ってきたんですけど」

 その姿勢が、現在の活動につながっている。実は枡野さんは「詩人歌人」というコンビ名で芸人活動しているのだ。最近は先輩芸人を交えて「詩人歌人と植田マコト」というトリオでライブに出ている(『天狗キネマ』には、コンビとトリオの間で揺れ動く気持が書き込まれている)。お笑いと短歌。意表を突く組み合わせに思えるが、

「『活字業界でないものと短歌をくっつける』という発想なんですよ。お笑いというメジャーなものに短歌を混ぜ込むことでみんなに知ってもらえたらと思っていて。

 昨日も浅草でステージ二つやって来たんですけど、通りすがりの観光客の前で短歌を交えた漫才をやるんですよ。僕が歌人。こっちに詩人がいて真ん中に先輩がいて突っ込むという。ポエムと短歌で戦っていく、という感じの漫才なんですよね。で先輩が絶えず突っ込むから大爆笑する、という感じで。それによって僕はいま新作短歌をたくさん作っていて、ライブの感想もネタも短歌にしている。依頼されてつくるよりももっと速いペースで短歌を作っている。しかも耳で聞いて通じるもの、笑えるものという考えで作っているから、すこし違う思考回路で作っている。そういうことが僕がやりたい表現活動で短歌雑誌に書くことはそんなに興味がないですね」

 枡野さんの中では短歌も芸人活動も完全に地続きなのだった。

 詩歌など、お金になりにくいジャンルの書き手たちは積極的にジャンルや言語を越境してきた。「ネット上のコンテンツはいくらでも無料で楽しめるので、ライターやミュージシャンが食えなくなって文化衰退の危機にある」なんて話をときどき耳にする。お金にならない作品をつくりながら生活していく、という意味で短歌の状況はコンテンツ業界全体の未来の姿である。

 歌集の出版で対価を得る。それは絶望的にむずかしい。そんな状況でもそれなりに新しい人が参入してきたり、いい歌が生み出されてもいる。お金にならなくても世界はなんとか回っているし、気がつくと今までにない歌風も生まれている。

 短歌は結社を中心とする歌壇を土台に愛好されてきた。不特定多数の読者を相手にする商業出版とは別の回路のなかで廻ってきたのだ。だからこそ出版不況の影響も少ない。作家とよばれる人たちがやらないであろう取り組みも多い。

「南阿佐ヶ谷に『枡野書店』という拠点があるんですよ。小っちゃくてもお店があれば、そこにお客さんが来てくれて直にやりとりできます。超満員でも9人しかお客さんが入らないんですけど、大きい場所でイベントやっても9人しか来ない場合もあります。それを考えれば最初から9人限定にしちゃって一日に何回もやるとか。今までそういう取り組みをつづけてきて、どうにかしてるんですけど。

 僕自身が何で喰っていると言っても怪しいもので、原稿料ももらってますけど、あとはメルマガ。固定読者がずっと200人位いて、読者のお陰で枡野書店の家賃よりちょっと少ないくらいの金額が入っていて。あとはイベントやったり、枡野書店で投げ銭してもらってそれを分けたりとか。そういう形のことを続けながらなんとかやっています」

 短歌は文字数が少ないがゆえに全文を文字化してビジュアライズしやすく、インスタレーションとの親和性も高い。また「詠む」ことを前提として成立した形式なので、声に出すというパフォーマンス的な要素も内包している。また一般人も作り手として参加しやすい。小説などと違って愛好家が表現する側として関わるのも比較的容易だ。きっとまだまだ短歌を活かす盲点があるはずだ。そしてそれは文筆の世界全体にも言えるのではないか。そしてそれは文筆の世界全体にも言えるのではないか。地域商店街の「にぎわい補助金」を利用した今回のプロジェクトを取材して、そんな風に思った。

 今回のような取り組みがよその地域や商店街でも有効なのかどうかは未知数だ。高円寺は有名な町だし高円寺に住んでいる、あるいは住んだことがあるという書き手も多い。またエトアール通り商店会のスケール感はちょうど良い感じだった。そこに以前から関わりがあった書き手が地域と信頼関係が出来ている企業の仲介で参加し、ちゃんと取材もして町にあゆみよっている。これだけ条件の揃うケースはなかなかない。よそでやるなら少し異なったノウハウが必要かも知れない。(おわり)

2014年4月16日、枡野さんからの要望により、文言の一部修正を行いました。

#高円寺 #枡野浩一 #佐々木あらら #短歌 #高円寺エトアール物語

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