推しを見に行けない言い訳をしてもいいですか
このところすこぶる体の調子が悪い。
間違いなく心因性のものだ。
そんな中、あまり寝ていない状態で今の気持ちを書く。
全て放り出してオンラインゲームに耽る日々だが、いざ「小説家の顔」を試みたら勝手に消耗し、人様の家で勝手に少しだけ声をあげた。
今、私はひどいトラウマと戦っている。
過去のものも多いが、一番新入りのトラウマが厄介だった。
それはいわゆる巻き込み事故で、些細は省略するが、間接的に推している人たちに迷惑をかけたことだった。
ファンのあり方について、真剣に悩んでいた。
「推しのいる人間」としての視点で見ると、ファンは石ころなんじゃないかと思ってしまう。
綺麗でもなんでもない、ただの石ころだ。
一つの石ころは特別な力なんてない。
蹴れば飛んでいく些細な存在だ。
だが、集まればどうだろう。
それは階段となって、推しをどこまでも高みに連れて行く階段や道になることができるのではないだろうか。
そう思っていた。
だから、道の端にいることにこだわりつつ、彼女たちの足場になろうと必死だった。
その矛盾は、苦しかった。
苦しかった故に、私が喰らった巻き込み事故は、つらくてつらくてつらくて仕方がなかった。
わたしにも原因の一端があるという事実が苦しかった。
尊い彼女たちの邪魔になる石ころである事実に耐えられなかった。
私は罪の意識を勝手に持っていた。持ちすぎてしまった。
自意識がぶつかり合い、結果としてトラウマになってしまったのだ。
私は「推し」の活動が心から好きで、そのドラマはひとりの作家として絶対勝てないと打ちひしがれつつ、それでももう一度私に「創作のステージに立つことへの覚悟」を持たせてくれた。
彼女たちはかけがえのない存在だ。
推しなんて言葉は本当は使いたくない。
だけど、彼女たちに名前をつけるのは容易ではない。
私たちのしていることは、ものごとに名前をつける仕事でもあると思う。
それでも、言い表すことは困難で。力不足をひしひしと感じる。
日程的に彼女たちを観に行けることがわかり、一度は彼女たちのもとに行こうと思った。
でも、それはやめることをした。
行きたいという気持ちの方が圧倒的に勝っている。
正直、この決断はとても悲しい。
でも、トラウマも克服できておらず、彼女たちの前に会ったらうまくできずにまた調子を悪くしてしまう。
私がいる場所は闇の中だ。
今回はたまたま大事に至らなかったが、次何かあったらどうなるか想像がつかない。
この不安定な状態の今、トラウマに触れることは死を早めることに等しい。
ファンは推しに一方的で脆い約束を交わしている。
それが、「次も見に行きます」という言葉になる。
次も本を買います、次も読みます、次もCDを買います、などなど、そこには色々なバリエーションがあると思う。
それらは、本当に脆い約束で、私の推しの方は推し変をすごく気にしていた。
だから、絶対に観に行きたかった。
約束を守りたかった。
でも、無理そうな弱い私を許してください。
いや、多分私なんて石ころみたいな存在なので、ひとり居ないくらい大したことがないと思うんだけど、それでも謝らせてほしいんです。
ごめんなさい。
元気になったらまた沢山笑わせてください。
皆さんの魂の活動が、本当に大好きです。
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